宮内に流れる名家大江氏の血脈(南陽市民大学講座)(完) [地元の歴史]
◎おわりに
大江氏:文治5年(1189)〜天授6年(1380) 191年間
伊達氏:天授6年(1380)〜天正19年(1591) 211年間
蒲生氏:天正19年(1591)〜慶長3年(1598) 7年間
上杉氏:慶長3年(1598)〜
名だたる日本の名家の血(文化遺伝子、ミーム)が流れ込む置賜のすごさをあらためて思わされます
大江氏:文治5年(1189)〜天授6年(1380) 191年間
伊達氏:天授6年(1380)〜天正19年(1591) 211年間
蒲生氏:天正19年(1591)〜慶長3年(1598) 7年間
上杉氏:慶長3年(1598)〜
名だたる日本の名家の血(文化遺伝子、ミーム)が流れ込む置賜のすごさをあらためて思わされます
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この資料をつくりながら、最後にこのことをどうしても言わなければならないと思いました。
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そして今回、大江氏について知ることができました。今回の資料から汲みとってもらえると思いますが、氏柄というか家柄というか、一族に流れる1本のスジを感じ取ることができたような気がします。そのDNAがいろんな形でこの置賜にも流れ込んでいることをほんとうにありがたく思えたことでした。
蒲生氏についての関心も今年になってからです。三重にいる娘と孫とたまたま行った松阪市の本居記念館で『蒲生氏郷小伝』を見つけたことから始まります。400年以上も前に7、8年しかいなかった蒲生氏郷を、松阪の人たちは今も盛大な「氏郷まつり」で顕彰しているのです。それは松阪に来る前の生誕地近江日野でもそうです。東京・三重行(6)本居宣長記念館③ 蒲生氏郷https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-07-18-4 そしてその後、氏郷への関心から読んだのではない『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』によって、氏郷がイエズス会にとって日本における最重要人物だったかもしれないと知りました。『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』(1)蒲生氏郷https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-10-10 氏郷自身はこの置賜に足を踏み入れることはなかったかもしれませんが、その配下を通して氏郷の文化的遺伝子は確かにこの地に影響したはずです。それは上杉氏と替わってからも、キリシタン禁制の流れに抗するこの地における抵抗の姿勢に感じ取ることができます。『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』(3)地元史とキリシタン①https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-10-21-1 /『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』(4)地元史とキリシタン② /https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-11-01
八百数十年の間に、大江・伊達・蒲生・上杉という日本の名だたる名家の遺伝子がこの置賜の地に流れ込み、そして互いに反応しあって今の置賜があることに深く思いを致します。これから先、この宮内は、南陽は、置賜はどうなるのか。最近の熊野大社の賑わいも思いつつ、気持ちはおのずと弾んできます。
↓11月15日(日)の午後2時ごろです。
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