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新・mespesadoさん講義(4)「新しい生活様式」に向けて [mespesado理論]

昨夜「Go To 商店街」に向けた話し合い。30代3人、60代3人、70代2人。3商店街が一緒になって事業をやれば1,540万円(税込)まで金が出る。それだけの金をどうやって使うかが話し合いのテーマ。コロナ対策として打ち出されたこの事業、12月1日から2月14日までの間に出た金を使い切ることが原則。のぼりを作るにしても、イベント以後も使うことを前提にしたのぼりは認められない。あくまで期間中のイベント用としてならOK。だから、この期間にバーっと使い切るような思いっきりのいい発想が出てくればいいのだが、それがなかなか出てこなくて「将来につながる事業」的発想のあたりでウロウロ、そこから前へ進めない。《日本人の一般大衆が「おしん根性」に骨の髄まで毒されていることの典型としか思えない。》まさにその通り。「新しい生活様式」とは、そこを突き抜けることから生まれるのではないか。「Go To 商店街」はそのための試金石、そう考えると、いろいろおもしろい発想が生まれそう。いま、産みの苦しみ。

「Go To 商店街」ってこのノリなんだ!とわかるいい動画→https://www.youtube.com/watch?v=GmNOxb0IMBo

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134:mespesado :2020/11/15 (Sun) 14:40:36
 実は、最近政治・経済・哲学のサイトより、5チャンネル系の「庶民の愚痴」系のサイトを読みに行くことが趣味になっているのだがw…

>【5ちゃんねるまとめサイトの一つ「鬼女速」より】

> 妻が残り600万近くの奨学金返済があるんだけど専業主婦希望してる。
> 自分で返せと言ってるんだけど・・

http://kijosoku.com/archives/47901299.html
↑2016年に投稿されたものらしい。

 それに対するコメント欄も含めて「そんな大金借りたなら自分で稼いで返すのが当然」だの、「奨学金借りてまで大学院まで出て専業主婦なんて意味が無い。それなら何で奨学金なんか借りたの」みたいな「自己責任論」ばかり。
 しかも「周り見ると奨学金借りてダンナに返してもらっている人結構多い」とか言ってる人もいて、それなら個人の問題というよりマクロな問題だとどうして気付かないのだろうか?
 まあ、今から4年「も」前(つまりMMT登場前)の話だから無理もないかもしれないけれど、「奨学金」は「返すものだ」、つまり「奨学金」とは名ばかりで、現行の奨学金制度が「学生ローン」に過ぎないことを問題にする発言者が一人もいないのが何とも…。国がタダでオカネを刷って奨学金として給付すりゃいいじゃん、とか、冗談にも主張する人が一人もいないw
 これこそ、日本人の一般大衆が「おしん根性」に骨の髄まで毒されていることの典型としか思えない。

137:mespesado :2020/11/15 (Sun) 16:01:56
>>135
 奨学金って、本来なら、勉学に励んで、学ぶ本人のためというよりは、学んだことを社会に還元して全体への奉仕者になるために、経済的理由で学問の道に進めない才能ある人を援助するために発足した制度のはずなのに、今日では単に個人のキャリアアップの為に学歴を欲しがる人の経済的救済措置になってしまっている。目的が「公的」なものでなく、純粋に「私的」なものに変わってしまっているのだから、奨学金を国がタダで支給するなんてトンデモナイ、進学できずに本人の才能をみすみす捨てるのはもったいないから、一時的にカネは貸しはてるけど、あとでちゃんと返せよな、となるのは必然の成り行きではあるのですが…。
 しかし、たとえ目的が公的でなく、私的なものであったとしても、これだけ供給力過多の余裕ができた現代社会で、相変わらず「国から借りたカネは返せ」というのは、次のようなやり取りを見ると、はたしてどうなのよ?と思ってしまいますね。

ニール・セイダカ@firebottleabe
> MMTを語るのは大いに結構ですが、労働しなくても構わないという考えが
> 現実的に受け入れられないことは理解できますよね?
 ↓ ↓ ↓
池戸万作@mansaku_ikedo
> そういう考えが受け入られる社会にすることです。失業者を責めるよう
> なことは止めましょう。
 ↓ ↓ ↓
ニール・セイダカ@firebottleabe
> 「失業者を責める」のとは意味が違います。失業者は「働かない」ので
> はなく「働けない」ですから。

> 「働かなくても収入が得られる」という考え方を原理主義的に発信して
> いては社会に受け入れられないだろうと危惧してます。
 ↓ ↓ ↓
池戸万作@mansaku_ikedo
> でしたら、「働きたくない人」を責めるべきではないとします。

 ↑池戸さんは、大学院まで出たエリートでありながら、いわゆるオーバードクターとして「高学歴低所得者」の身に甘んじていることを自虐ネタで売りにしている経済評論家ですがw、2020年の今日に至っても、このニール・セイダカさんみたいな「労働道徳観」を持っている人たちが圧倒的多数だろうと思うのです。
 「人間は働きたいのが正常である」というその「道徳倫理」というのは、何度も言うように、世の中が生産行為が人手に強く依存した供給不足の時代があまりにも長く続いたことによって形成された社会的道徳観であり、大多数の人、とりわけ「労働はできることなら避けたい」という白人や中国の伝統的「本音」とは異なる強い倫理に縛られる日本ではとりわけ強く世の中を支配しています。
 でも、そういう道徳観の人はよく考えてみるとよい。サラリーマン社会って一見「仕事している」ように見えるけれども、実は「オレはアイツより仕事がデキる」というマウントの取り合いで維持しているだけじゃありませんか?アンタが仕事しなければ、代わりに二番手が「仕事できる」認定されるだけのことであり、全体としての生産性には影響がない。つまり、マウントを取ってるアンタにはいくらでも「替え」が効くんですよ。
 そして、そういうマウント社会の程度が強い職種ほど、実質的な生産は機械が行っていて、人間がサボっても全体の生産供給力に影響は無いのです。だったら、奨学金、というか、学問の世界には「道楽を追求する」ために大学に行きたい人は国がカネを出して自由に行かせればよい。それくらい我々の現代社会は供給力に余裕があるのです。ちょっと池戸さんにはルサンチマンのニオイがするけれど、言っていることは本質的に正しい。そろそろ古臭い労働倫理を人に押しつけるのはやめませんか、って思うのです。そうしないと、その、人に強制された労働に心を蝕まれて汚される「汚心(おしん)理論」をDSにいいように利用されるだけですぜ、と言いたい。

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