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「韓志和」とは(池黒皇大神社) [地元の歴史]

まず、棟木に何が記されているかについて整理してみる。

皇大神社棟札南陽市史.jpg①『南陽市史』(上巻515p 平成2年)にあるのが左。《所蔵の棟札は応徳三年(1086)のもので棟札としては山形県最古となる貴重なものである。現在、文字は薄れ、赤外線撮影でも判読は困難である。三宅良次著『郷土の社寺巡礼』(昭和七年八月刊)には、棟札銘をつぎのように記している、》そして左図が入って《この銘記は、『山形県金石文集』(昭和十三年刊)にも『山形県史』(古代中世史料2)にも記載のない「□カ)志和」の三文字が「木刻師」の下にあり注目される。》この記述は錦三郎先生による。

皇大神社棟札調査報告書棟札内容DSCF0107.jpg②前記事「日本最古の棟札https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-01-04」に載せた錦先生による調査報告書(平成7年)の「付記」に解読銘文は、銘文についてはじめて記載された「山形県金石文集」に近いものになったといえる。》として記載の右図。

ここで疑問。②で、錦先生は『南陽市史』に自ら記した三宅良次著『郷土の社寺巡礼』について記さなかったのはなぜか。そもそも平成7年にあらためて調査の必要性が生じたのはなぜか。さらに、渋谷さんの記述の中に、今年(令和元年)、専門家に赤外線カメラにて撮影し鑑定すると》とあるが、これはどういうことか。さらにあらためての調査の必要性があったのだろうか。

韓志和像.jpg以上はこれから確かめたいが、「韓志和」の記名は確かだろう。ただその「韓志和」が何者かについて錦先生の追究は及んでいなかった。(錦先生は平成九年に惜しまれつつ、あっというまに亡くなった。)清野春樹氏はその「韓志和」が、銅像が立つほどの伝説的飛騨匠であることを突き止めた。《皇太神社の棟札に残る「木刻師(もっこくし) 韓志和(からしわ)」とは誰だろうか。この「韓」の字の右下の部分が欠けでいたために、 長い間正確な読みと意味が分からなかった。ただなぜ「韓」という朝鮮味半島系の名前の人がででくるのかが不可解とされていた。私が現代の機器を使っていろいろ調べでいくと、「木刻師 韓志和」は歴史上の人物であることが分かった。ただの木刻師ではなく、飛騨匠であるという。 飛騨高山市には飛騨匠神社がある。飛騨匠神社 では、木匠祖神(きのたくみのおやがみ)として、猪名部真根大人(いなぶのまねおうし)他二神を祀っている。それから飛騨匠累代神璽として歴代の名人が祀られている。 神社の解説には代表的な名工の名前が記してあるが、「延暦年間には〈韓矢田部志和眞人〉(韓志和)が飛騨工匠頭に任ぜられ平安城を造営すると伝えてい」るとある。平安京は飛騨匠によって建設されたが、それを統率したのが韓志和という人物であった。》『山形歴史探訪4 平清水・宮内・赤湯・上郷・長井の秘密』77p)ここまででも十分すごいのだが、さらにすごい展開がある。(つづく)

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