倍賞千恵子と小六さん [日記、雑感]
倍賞千恵子 私の履歴書(22)小六さん
第一印象は最悪だった。
今の夫で作曲家の小六さん(小六禮次郎)。最初の出会いは1985年のリサイタルの打ち合わせ。この時期、私は映画中心だった仕事のバランスを歌にもシフトし、映画と歌という「二兎を追う」ようになっていた。
名付けて「おんな'85愛…千恵子」。こんなタイトルを付けるなんて私は「愛」を求めていたのかもしれない。とにかく久しぶりに「下町の太陽」を歌ってみたら、昔のように高い声が出にくくなっていた。
無理もない。当時43歳。
それなりに年齢を重ねていたし、煙草をずっと吸っていた影響が出たのだろう。だからキーを元の曲より低くして歌いやすくし、新しいイメージの「下町の太陽」に編曲してもらおうと考えたのだ。
仕事で面識があったボニージャックスに相談すると「いい作曲家がいる」というので紹介してもらったのが小六さん。こちらの意向を伝えるとフンフンと頷きながら「はい、分かりました」という。
そこで私が「植村直己物語」のロケで北極圏に行っている間に編曲してもらうことにした。撮影を終えて帰国。出来上がった譜面を見て、エッ!と驚いた。元の曲は影も形もなくなり、どこで歌い出したらいいか分からない難しい曲に変わっていたからだ。
「私、これでは歌えない」
すると相手がムッとした顔に変わり突然、怒り始めた。
「そう言われても……。曲を変えてほしいと言ったのはあなたの方じゃないか!」
東京芸大作曲科卒。「ゴジラ」「ゆうひが丘の総理大臣」など映画、ドラマ、アニメやCMの音楽制作、楽曲提供も幅広く手がける売れっ子作曲家。年齢は私より8つ下。
プロ意識は高いし、腕もいいかもしれない。でも言い方に毒があった。こちらも意図をうまく伝えられなかった非はある。でもそれを正確に理解できなかった相手にも非はあるはず。お互いさまだろう。
「御免なさい。こんなに変わるとは思わなかったので」
ひとまず先方にお願いする形で私が歌える曲に直してもらった。でもこの人とは二度と会うことも、仕事することもないだろうと思っていた。
(ホントに意地悪な人!)
ところが――
なぜかコンサートや舞台で小六さんと顔を合わす機会が増えてくる。頼んだわけでもないのに……。まぁ、あえて拒む必要もないから「仕方ないか。これも何かの縁ね」と割り切って仕事を続ける。
すると予想外の展開に。
じっくり向き合ってみると意外に相性が良かったのだ。
不思議な人だった。
多忙なせいか、いつもおなかをすかせている。酒屋さんみたいなジャンパーを着て稽古場にバイクで乗り付け、差し入れのおむすびやパンをモグモグ食べてから「さぁ、行こうか」と音合わせに入る。
休憩時間になるとアメやお菓子を口にパクパク放り込む。そして課題をテキパキ指摘しながら「じゃ、お疲れ」と去って行く。小六さんは理論派、私は感覚派――。職人気質だから時々、喧嘩や衝突もあるが決して悪い人ではない。
同じ音楽を奏でるうちに親近感も湧いてくる。よくよく見れば、柴犬みたいに愛らしいところもある。
最初の意地悪――
あれは仕事の気負いだったのか、それとも一種の口説きの手口だったのか……。その後、簡単ではない様々な曲折もあったが2人は結婚する。
入籍日は93年2月8日。バツイチ同士の再婚だった。
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