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一般質問⑴ 愛郷心① [議会]

今回の一般質問、なかなかテーマが定まらなくて、これまでになく難産だった。『激安ニッポン』を読んでの異和感から出発したことは先に書いていた。→「12月議会一般質問 ”愛郷心”」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2023-11-24  ”愛郷心”までたどり着いたがその先が見えなかった。どうなるだろうと思いながら、とにかく前日までに書き上げたのが↓ の原稿。その先は当日朝、ご先祖様に教えてもらった。それが再質問につながる。相変わらずのゆきあたりばったりだが、言うべくして言わねばならないことを言った内容になった。言わされている気がする。あらためて書く。

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令和5年12月議会一般質問原稿
1.”愛郷心”の涵養を行政、教育の柱に


 22年ぶりに議会に戻ってから、早いものでもう3年8ヶ月が過ぎました。新型コロナを2類相当から5類に引き下げる意見書提出請願で走り回った 令和3年9月議会を除いてずっと一般質問させていただきました。ふりかえればいつも新型コロナとワクチン接種に振り回されてきました。4年の任期、今議会と3月議会を残すだけとなった今、後々「高岡といえばコロナとワクチン」と言われたくないので、今回は自分にとっていちばん大事な問題を取り上げさせていただきます。
 
m_E68890E995B7E78E87E6AF94E8BC83E382AFE38299E383A9E38395.jpg 3年前、最初の年の9月議会、1995年から2015年まで20年間の世界各国名目GDP成長率ランキンググラフをお示ししたことがありました。日本が世界唯一のマイナス成長で、断トツ最下位になっているグラフです。このグラフをご覧になった市長の感想として、「これはどの程度信用性がおけるものかというのが、私の素直な気持ちでございます。」との率直なお答えをいただきました。あれから3年たった今、あのグラフはすっかり世の中に広まって、先ほど佐藤明議員も取り上げられたように「日本経済30年の停滞」としていろんな場で問題にされるようになっています。


 そこであらためて「生活実感」というレベルでこの30年をふりかえってみました。すると、この間くらしが「大変になった」かといえば必ずしもそうではない。むしろ「楽になった」と言えるのではないか。3年前、市長が「このグラフは信用ならない」と思われたのももっともだったという気もするわけです。


 そこでその辺について探ってみて、5年前発表された野村総合研究所の調査結果を見つけました。それによると、「日本のGDP(国内総生産)が増えていない一方、日本人の生活満足度が向上している。GDPだけでは、消費者の生活実態を捉えられない。GDP以外の要素として『消費者余剰』を考えねばならない」と言っています。「消費者余剰」とは、「消費者が払ってもよいと考える値段と実際に払った値段の差」、つまり「モノやサービスが思ったより安く手に入る」ということで、30年間の技術の進歩、とりわけデジタル化の進展がそのことを可能にしてきているというのです。「2013年から2016年の実質GDPの成長率は年平均0.7%だが、それに消費者余剰を加えると、3.8%になる」、「2020年までの4年で消費者余剰分は2割以上増えた」との試算が出ていました。


われわれ染物の世界にも言えますが、印刷製本などもかつては考えられないほど安価に手軽にできるようになっています。価格だけでなく品質の向上も著しい。あるいは30年前のトイレと比べた今のトイレの快適さについても言えることです。われわれ日本人にとってあたりまえの温水洗浄便座は、水の問題などから日本以外ではなかなか普及しにくいのだそうです。日本人であることのありがたさを思います。


 さらに令和2年春からののコロナ禍は、在宅勤務の常態化が、世の中のデジタル化に拍車をかけることになります。三菱UFJリサーチ&コンサルティング(MURC)が在宅勤務者を対象とした調査によると、新型コロナ以降、家事・育児時間は男性1人あたり月約42時間、女性は約52時間増えたそうです。デジタル化によって仕事が効率的になって家事・育児に費やす時間が増えたのです。その分は国民総生産には含まれません。そういう面からも、GDPの数値だけでは測れない分で生活実態が自由で豊かになった、楽になったといえるわけです。3年前、日本経済停滞のグラフを見た市長が「信用できない」と言われたのもうなづけると、今更ながら思ったところでした。


 おそらく日本は、生活レベルに限っていえば、30年前の時点で基本的に達成すべきところに達成していたと言えるのではないかと思います。もうどうしても必要とされる基本的な需要は目一杯で経済の成長は望めない。それを補うには、酒やビールのメーカーがつぎつぎ新趣向の銘柄を打ち出すようなことで差別化を図り、目新しさで勝負するしかない。しかしちがいがわかる消費者などはそうそういるものではない。決め手は宣伝ひとつ。そんな中で日本語では「クソどうでもいい仕事」と訳されている「ブルシット・ジョブ」、本来なくてもいい仕事だけが増えてしまう世の中になってきている、そういう面も否定できないのではないでしょうか。

 では、今のこの世の中はこれからどうなるのか。


 ジェレミー・リフキンという文明批評家の『限界費用ゼロ社会』という本がロングセラーになっています。ソフトウェア開発が初期投資を回収すれば、全くコストゼロで流通可能となるように、AIインフラが行き渡るにつれ、労働力をほとんど必要としないで、必要最小限の材料でモノが生産されてゆく。AIの進展によってモノやサービスの値段は限りなくゼロに近づいてゆき、カネ基準、経済基準の資本主義は衰退を免れない。リフキンは、「これからの世の中は、カネ本位の資本主義社会から、共感に満ちたかかわり本位の『社会関係資本主義』に変わってゆく。」と言います。「共感しあえる人間関係」こそが資本の世の中になるというのです。


 富の偏りを均せば、人類が生きてゆける生産能力は十分達成している。これからはひとりひとりにとって何が幸せかを大事にしてゆけばいい。リフキンは、「最高に幸せな瞬間とはつねに、最も大きな共感を覚える瞬間にほかならない」として、まずは身近なところから共感の輪を広げてゆくことの大切さを説いています。


 さてそうだとして、政治、行政の立場で、金でない何を基準にすればいいのか。そこで思い至ったのが、共感の土台となる”愛郷心”でした。そう思った時、これまで聞き慣れたはずの”愛郷心”という言葉がにわかに新鮮に思えだしたのです。

 今回の質問、「日本経済30年の停滞をどう考えるか」から出発し、これまでになく難産でしたが、たどり着いたところは私にとってはいちばん大事なところでした。そこの地点から質問いたします。

⑴南陽市政において、”愛郷心”についてどう考えられているか。
⑵南陽市の教育において、”愛郷心”についてどう考えられているか。


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