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一般質問⑵ 愛郷心② 神社の意義 [議会]

次のような壇上答弁があった。

市長《「愛郷心」とは、生まれ故郷を愛する心と理解しております。なお、市では令和5年4月に「南陽市教育、学術及び文化の振興に関する施策の大綱」を策定し、「たくましい心と身体を鍛え、愛郷心を育む環境づくり」を、大綱が目指す四つの方向性の一つとして掲げております。その趣旨に沿って、南陽市みらい議会や南陽高校市役所部の活動の充実を図り、教育委員会が掲げている地域総合型教育の推進を支えてまいりたいと考えております。》

教育長《南陽市教育委員会では、「地域総合型教育」を中核とした第6次南陽市教育振興計画を策定し、実践しております。「地域総合型教育」は、地域の教育機関や団体、あるいは、個人の持つ教育機能を連携・連動・一体化を図り成果を高めていく手法と理論を兼ね備えた実践型の教育です。/子どもたちは、多くの市民の方々との「かかわり」の中で、社会性や規範意識等を身につけ、地域の一員としての自覚を高めながら成長を遂げています。同時に、子どもたちの学びが地域の中に組み込まれることで、歯車が動き出し、そこで生活する人々の繋がりが増したり、各種団体の学び・活動が充実したり、地域の活性化や文化の継承・充実等まちづくりの起点の一つになっております。/このように地域総合型教育の充実は、生涯にわたる学びの中で、子どもたち、ひいては市民の愛郷心の醸成に繋がるものと捉えております。》

再質問で、「”愛郷心”ということで何を思うか。行政の観点からではなく個人的なレベルでお答えいただきたい」と市長と教育長に訊ねた。さらにそのあと、愛郷心の拠り処(物実)としての神社の意義についてただしました。市長からはいい答弁をいただきました。

*   *   *   *   *

市長《えー愛郷心、ふるさとを愛する心でありますけれども、人間が形成されてゆく上で最も土台になる根本的なものの一つというふうにとらえておりますので、その人間として生きてゆく上での最小単位が、日本のこの社会においてはいわゆる家族というふうに言われておりますが、その家族と愛郷心というのは重なるところが非常に大きい。したがって、幸せに生きてゆくための大きな土台の一つというふうに捉えております。もし愛郷心がなければ、非常に荒んだ精神状態になってゆくんではないかなと思います。私自身振り返ってみても、やはり幼少期の思い出、ふるさとにまつわる思い出があるからこそ、今こうして仕事をさせていただいているわけで、そういった愛郷心の涵養ということは、議員がおっしゃるように、大変重要なものと考えていろんな施策を講じているところでございます。》
教育長《大変抽象的な言葉になろうかと思いますけれども、やはり自分の存在を確かめながら、あるいはまた市長おっしゃったように、家族の中の存在を確かめ、そのために地域があるということもふまえた大変大切な心であるのかなと思っております。人を愛する、人を理解する、自分を愛する、自分を理解する、そのためにも、地域があってその中で自分が支えられている、あるいは地域に感謝する、そんな心が愛郷心なのかなと思っているところでございます。》
《お二方ありがとうございます。で、愛郷心、今お二人にお聞きしましたように、基本的なところで、愛郷心というのがあって、その地域に住む人のお互いの気持ちの共感、そういったことも可能になる、そういった独特な、その中にいなければわからない共感の世界というのが、その愛郷心にはあるように思います。そしてたどり着いたのが、神社だったんです、私なりに。あーそうか、愛郷心の拠り処として、宮内だったらおくまんさまということになるんですけれども、まー赤湯だったらお八幡様、おくまんさまが北条郷33カ村の神様ということになれば、赤湯も、南陽市一帯含まれるということになるんですけれども、やっぱり神社というのは産土(ウブスナ)の神様として存在する。生まれた土地を守っていただいている産土の神様として存在する。産土というのは、生まれた土地を守っていただいているそれぞれの神社、神様。それが日本にはあるということ、どの地域にもそれぞれの産土の神様がある。これすごいことなんだなあということを、あらためて今回私なりに思ったわけです。それからみると、今問題になっているイスラエル、ああいったところは結局そもそもユダヤの人たちというのは、自分の住む土地を持たない人が世界中にちらばって、そういった人たちがなんとか土地が欲しいということでパレスチナにイスラエルという国をつくった。それがいまもってこういう形でゴタゴタしている。そういった中で、日本人というのは、みんながそれぞれの形で産土の神様に守られてあるということがほんとうにありがたいということを思ったわけです。で、神様というのを行政の場でもちだすと、すぐ政教分離だなんだと言い出されかねないんですけれども、やっぱり、日本の神様、神道というのは、本来、宗教とは違ってあくまでも生活に密着した習俗というか、そういったところで、政教分離でなんだかんだ言われる筋合いのものではないと私なりに思っているので、今回あらためて神社のありがたさについて私なりに思ったんですが、その辺、市長ご自身、教育長どうお考えになっているかお聞かせください。》

市長《憲法によって政教分離の規定があるという現行憲法の制約の中でお答えするのはなかなか難しいわけですけれども、あのー、個人的にとお断りした上で申し上げれば、あのーやはり、年の初めには初詣にまいりますし、子供が大きくなれば七五三のお参りをする。日本人にとっては空気や水と同じように、えー、いわゆる宗教というものではなくて、やはり自然に根付いている、自然に感謝する、自ずから根付いている、自然に感謝する心の表れや生活習慣がそういった施設といった形をとったのかなあと思っておりまして、あまりこう、あの、今の憲法で規定されているような厳密な分け方というのは、生活と政治や行政が関わっていることを考えると、やはりその国その国によってあるべき姿というのは違うんだろうなというふうに思います、というところで止めておきます。》

教育長《何を信ずるか、宗教の中にも様々あるわけですけれども、それは個人の自由の選択なのかなというふうに捉えております。》

《市長仰られたように、自然、そういったところである、自然の中にとけこんであるということ、日本として非常に大事な柱というか、愛郷心というのがただ抽象的なものでなくて、ひとつ物実(モノザネ)というか、日本の場合、ひとつの拠りどころとしての神社というものがあるということは、愛郷心というものを考えてゆく上で、非常にだいじなことなんだなあと。それでこれ、政教分離でどうだこうだとなるとややこしくなるんですけれども、もっと自然な感覚で愛郷心といいものを考えてゆけば、ひとつ、これからゼニカネで測れるような世の中ではどんどんなくなってゆく。おそらく、というかまちがいなく。そういった中であらためて愛郷心というものを、政治、行政を考える上で大事なものとして考えていきたいと、そういったところで、私も出発点としてここにたどりついたところなので、今後私もいつまで生きられるかわからないけれども、どういう形で私の中で発展してゆくかわからないですけれども、今回、ゼニカネ基準、豊かさ、便利さの基準とはまた別なところでの、政治、行政を考える上での基準として、愛郷心を提示しておきたいということを問題提起しておきますので、今後ともよろしくお願いします。》

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昨日の午後、小松に行ってきました。きれいな空でした。例年よりかなり暖かいです、今のところ。

幸来橋辺から。3時30分すぎ。

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関根から漆山に抜ける途中、高規格道の下から。4時30分ぐらい。

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