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石城山行④ 天行居とユダヤ [神道天行居]

「フリーメーソン」という言葉とともに、いわゆる「ユダヤ陰謀論」について意識するようになったのは昭和60年代はじめだった。神道天行居修斎会無言潔斎中の熊野秀彦先生講話による。先輩から『神々の陰謀―闇の結社・フリーメーソンの世界支配戦略』(赤間剛)を見せてもらったが、それには反フリーメーソン団体の代表的存在として、神道天行居があげられていた。
戦前から戦後、東北帝國大文学部を中心に仙台が天行居の一大拠点だった。ユダヤ問題の古典的名著「猶太と世界戦争」(昭和18年)を書いた「愛宕北山」は、奥津彦重東北帝大教授(独文学/1895-1988)のペンネーム。
奥津先生は参玄社版「友清歓真全集 第二巻 天行林」(昭和48年)の帯に「日本民族の魂の原点に迫り 古神道霊学体系の太陽を明らかにした待望の名著!」としてこう記しておられる。《若き日に、何ものかに促される思いがして端座し、或ることを体験して以来、世の常の霊覚者ないし霊術者の前に出て、彼等の所業を直視すると、多くの場合、その真似ーあえてその堂奥までもとは言わぬがーをすることができた。しかし、これによって大きな禍誤を犯さず、魔境ないし地獄にさらわれることのなかったかに見えるのは、幸運というほかはない。今にして思えば危険極まりない道を歩いたのである。その後幸いにして友清先生の御著書に接し、救われたの感がまことに深い。とは言え、ついに肉体的には、先生の前に正坐して、高教を承る機会を失したが、その理由は、今なおこの侏儒の身には不明である。おそらくは、生得の不精のためか、或いは身の卑小の故に、へだたりが余りに大きかったからであろうと察せられる。しかし、今、先生の御全集を前にして机辺に坐するとき、身をもって果たしえなかったことが、ここに実現されたとの感の切なるものがある。/平伏して、御全集全巻完了の日を待望し奉る。》
この全集には詳細な注解がつくが、その中心となったのが奥津先生の後進小野浩明治大学教授(1907-1997)。小野先生は一時期、天行居宗主の座にあった。また奥津先生は、『ユダヤは日本に何をしたか -我が愛する子や孫へ語り継ぎたい-』(原題『攘夷の流れ』)の著者渡部悌治先生(1912-?)の岳父。太田龍氏によって渡部悌治私家版『攘夷の流れ』を知り、隠棲されていた酒田のお宅を訪ねたことがある。その後「新しい歴史教科書」運動の中で、高梨勝さんとの縁で、鶴岡の荘内神社で2度御講話いただいた。渡部悌治先生に「(ユダヤの問題に取り組む中で)危険を感じたことはありませんでしたか?」とお尋ねした時の答えは、「地を這う思いで生きてゆくこと。そうすれば健康で過ごせるものです」だった。私にとっての金言としていつも心に留めている。実はこの言葉、今回の山上修法の中で強く意識された。とりわけ大地を踏みしめ踏みしめ歩みを進める右旋行進において。
実にその時、天行居が「反ユダヤ」を標榜するとして、決して敵対を意味することではないことを悟らされた。「万有和合・世界霊化」を玉条として掲げる天行居に「敵対」はありえない。ならば、ひたすら自然に即すること。日本人にあってユダヤ人にはない「産土(ウブスナ)感覚」、このことをあらためて思わされたのだった。(完)

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