梅津伊兵衛さんのこと [弔辞]




産経新聞全国版に掲載されたこの記事から、高橋正二先生はじめ多くの出会いが生まれた。梅津さんとの出会いもそうだった。この記事から、平成10年3月22日、南陽市議会有志と山形県教職員組合協議会の共催で公開討論会が開催された。この時の出席メンバーが中心となって「新しい歴史教科書をつくる会」山形県支部が立ち上がった。梅津さんに会長を頼みに行ったら「あんたが事務局長やるなら引き受ける」と言われて逃げられなくなった。当時、梅津さん67歳か、私もあの年齢をとうに過ぎている。毎週水曜日、県議の沢渡さんが主人の山形の千歳館に通った。梅津会長はじめいつも20人近くのメンバーが集まった。軍人上がりもいて、私がいちばん若い方だった。いつも実のある話し合いだった。今でも「同志」といえる懐かしい人たちだ。
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梅津さんの存在は大きかった。多くの山形の経済人を引き込むことになった。あの勢いが全国で展開されれば、つくる会の運動は違うものになっていたはずだ。一口で言えば、社会運動であるべきが、政治運動に矮小化されてしまった。対立のみが表面化した。いろいろもがいたが、結局運動はしぼんでいった。
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梅津さんとお会いした最後は、4年前山栄酒造の遠藤孝蔵さんんの葬儀の時だった。(→https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2017-05-29)耳はだいぶ遠くなっておられたが、言葉を交わすことができた。今年の春、桜まつりの開園式で息子さんから「元気です」とお聞きした。米沢日報に連載の自伝的エッセー「ベートーヴェン物語」の要約版を今読んだ。→http://www.yonezawa-np.jp/html/serialization/beethoven/essay01.html 体は年相応になっても、心はいつも弾んでおられた。私にとっての一時代、ともに並走していただいたかけがえのない人だった。
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【追記 2021.7.20】


2021.7.20 葬儀に参列してきました。その記事追記しました。
by めい (2021-07-20 21:21)