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石城山行③ 山上修法 [神道天行居]


このたびはじめて右旋行進委員の任を得た。大麻奉持の第三回担当。大麻を先頭に、4人の右旋行進委員がそれぞれ神衣、天上神物、神乃伊振を捧持して斎火の周りを右旋する。その間、総員10分間の十言神咒(トコトノカジリ)奉唱。それを3回繰り返す。私は最後の第三回担当。(写真は神道天行居HPよりhttp://tenkoukyo.jp/katudou.htmlより)

「アマテラスオホミカミ」の大音声の中、斎火の熱を右身に浴びながら、一歩一歩大地の感覚を確かに感じつつ踏みしめてゆく。この時の感覚をしっかり記憶しておきたい。おそらく「一心清明」に通ずる、至上の感覚だった。太鼓を合図に行進を終えるが、そのままつづけていたかった思いの感覚が今も残る。

思い起こして安藤昌益の「自然(じねん)」の感覚がリンクした。(「気張らず自然(じねん)で通すこと」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-04-30-1/「安藤昌益は「神道思想家」に近い!」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-10-05)この世に生きるヒトとしての立脚点、原点感覚とも言えるかもしれない。昌益は「自然ノ世」の骨子のひとつとして《「転定(てんち=天地)モ人倫モ別カツコト無キ「天心一和」の調和》『安藤昌益事典』207p)と言っている。

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◎自然ノ世(『安藤昌益事典』206-7p)

 「自然ノ世」とは、自然のままなる世、「自然ニ全キ人世」のことである。その内容の骨子は次のごときものである。

 第一に、社会に「上下無ク」、君権・王権がなく、国家権力・統治機構がなく、民衆は自治・自律し、人為的統治の政治も政府もなく、そのための法律・制度もなく、つまり、支配・被支配の関係がないこと。

 第二に、「貪リ取ル者無ケレバ貪ラルル者モ無ク」年貢も税金もなく、「税斂ノ法」がなく、つまり、搾取・被搾取の関係がないこと。

 第三に、「彼(かシコ)に富メルモ無ク此(ココ)ニ貧シキモ無ク」、窮民がなく、つまり、貧富の差がないこと。

 第四に、「一夫二妻無ク」「男女モ上下無ク」性差別がなく男女は平等であり、四民制やその他の「上下貴賎凡テ二別無ク」、つまりすべての社会的差別・不平等がないこと。

 第五に、国境や土地所有がなく、したがってそれを奪いあう戦争も軍備・軍学もなく、「兵乱」「乱争・妄戦ノ苦難無ク」「軍兵・大将ノ行列無ク」、無事・平安であること。

 第六に、一切の抑圧的で他律的で欺瞞的なイデオロギー・道徳・宗教・学問がなく「売僧(マヤス)」「売神(ドロボフ)」が居らず、神社・寺院がないこと。

 第七に、貨幣がなく、「金銀銭ノ通用無ク」、商業・商人がなく、妄悪な物欲がないこと。「無欲無乱ノ自然世」とは、「未ダ金銀有ラザル前ノ世」である。

 第八に、私利私欲にもとづく利益本位の妄業がなく、華美・贅沢がなく、「飽食・珍味・美膳・酒狂・淫欲モ無ク」、遊女屋がなく、泥棒がなく、また災害がなく、病苦がないこと。

 第九に、自然と人間が融和し、自然の生態系の円滑な循環と人間の生産活動とが照応しあい、「転定(てんち=天地)モ自(ひと)リ然(す)ルナリ、人倫モ自リ然ルナリ」と、自然の運動と社会の運動とが一体化し、「転定モ人倫モ別カツコト無キ」「天心一和」の調和があること。

 第十に、社会の全員が皆そろって生産労働に従事し、「不耕貪食」の遊民がなく、「男は耕し、女は織り」、すべての者が天地とともに「直耕」にいそしむこと。

 

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