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竹田君782票(4位)、青柳君756票(7位)! [獅子の会]

第一回の選管発表で「竹田正樹400票」は驚いた。《本気で手を振ってくれる人が確実に増えています。わざわざ車から降りて激励していってくれる人もいます。炎天下を自転車で走り回って真っ黒に日焼けした竹田君、選挙カーを使わなくても選挙はできる、地道な行動でそれを実証してくれているのが理解できました。》と昨日書いた。それでも当初の不安は残っていたのだが、上位横並び400票で「大丈夫」を確信して電話した。

竹田君は新しい選挙の流れをつくった。「こんな選挙なら自分にもできる」、そんな選挙を貫き通して当選した。若い人の意欲に火を付けることになるのではないか。まさに「参政党」の原点だ。

竹田君は参政党にはちょっと距離を置くが参政党シンパである。私も参政党除名(前回の参院選、黒木候補の選挙カーに乗って舟山康江候補の応援をしたのが問題になった)になってはいるが参政党シンパのつもりだ。今回の竹田君選挙でも多くの県内参政党同志からの応援を受けた。参政党を打ち出して当選した青柳君とともに、高畠に時代の新しい風を吹き込むことになる。高畠だけでなく置賜にも風が吹く。

21世紀は置賜から 資料.jpg選挙戦4日目、ヨークベニマル前での街頭演説中、思いがけなく糠の目のH君が駆けつけてくれた。置賜獅子の会のオリジナルメンバーだ。高畠の獅子の会オリジナルメンバー始め知り合いに声を掛ける、と言ってくれたのがなんとも心強かった。実は先の飯豊町議選でも獅子の会オリジナルメンバーが当選した。島貫寿雄君69歳で初当選だ。やはりオリジナルメンバーの後藤恵一郎君は議長まで務めて今回勇退した。獅子の会的にはその後を承けた形になった。(後藤君には、新型コロナ意見書請願で力になってもらったhttps://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2021-10-15)島貫君も選挙カーを出さずに独自の選挙だが、高い知名度があった。電話作戦が中心だったらしい。4位当選を果たしていた。迷った末の出馬決意だったようだが、「物言う人間」なので起爆剤になるはずだ。青柳君からは2年前から出馬の意欲を聞いていた。その時獅子の会のことを語ったらすぐ共感してくれた。今回の高畠町議選、ずっと徳田さんのことが頭を離れなかった。徳田さんとの出会いは高畠だった。今はないが「ラドン温泉 八幡郷」だった。徳田さんは当時中学生の長男哲君を伴っていた。徳田さんとは全く違って内向的に見えた。そんな息子に親父の生き様を伝えたかったのだと思う。そんな姿にも共感した。高畠町立病院も問題を抱えていての徳田さん講演だったのだが、南陽市立病院も同じ状況にあり、その場で南陽市での講演をお願いして2ヶ月後実現した。いろいろな当時のことどもが思い浮かぶ。そんなこんなで、徳田さんの魂が置賜で動き出した、そんな気がしてならない。平成3年(1991)徳田さん講演会を前に打ち出した実力100倍の目標設定「21世紀、置賜は世界の中心になる!」は、いよいよこれからだ。→「置賜獅子の会」復活へ!https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-04-19-1
https://blog.ss-blog.jp/_images/blog/_e75/oshosina/E5BEB3E794B0E38195E38293E381A820E381AEE382B3E38394E383BCE5B08F.jpg
↑ 14年前、山形、新潟、仙台の徳友会メンバーと共に葉山ハートセンターの徳田理事長にお会いした時の写真です。あのころはまだ意思の疎通が可能でした。→徳田理事長訪問記https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2009-02-26

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