「現在の企業は、広義のファシズムの 定義にあてはまる」 [mespesado理論]
久しぶりのmespesadoさんで、かつての日常が戻ったようで穏やかな気持ちです。今日の起きがけには、亀さんの「日本とトルコ」http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-1961.htmlを読んで、ユーラシアに心を馳せることができました。まだ完全に終わったわけではないけど、ずっと追い立てられてきた「宮内小創立150周年記念誌」編集と「がんばろう!商店街事業」の後始末は、私にはかなりの重石としてこたえていたことを今更ながら実感しています。あと一息でそこから解放される!
mespesadoさん曰く、《そう!これって、西洋の(=弱肉強食をベースに持つ文明の)企業のことに他ならない。高度成長期の日本式経営の企業とは根本が異なる。》そういえば、「宮内小創立150周年記念誌」の同窓生出版物紹介の「星岳雄東大経済学部教授」の項に、《時代の変化の中で抜本的変革が迫られるとき、それをなしうるかどうか、企業経営の管理能力( コーポレート・ガバナンス)の重要性を説いたのでした。2013年の著書『何が日本の経済成長を止めたのか 再生への処方箋』でこう訴えています。《日本経済は長期にわたって停滞してきた。しかし、まだ再生は可能である。必要なのは改革への政治的意志である。本書が、成長を取り戻すための政策議論を活発化し、今度こそ日本を再生させる一助になれば幸いである。再生が不可能になるまで日本経済が衰弱してしまう前に。》》https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2023-02-11 と書いたのを思い出しました。要するに「企業におけるファシズムの徹底」ということかと。高度成長の時は、みんな必要に迫られて突っ走っていた。今はSDGsやら気候温暖化やらの得体の知れないものを鼻の先にぶらさげてもらわないと前に進むことができない。もう無理に前に進まなくてもいいんだよ。→「1990年の生活レベルで日本人が満足した」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2023-01-31-1
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298 名前:mespesado 2023/03/02 (Thu) 22:13:34
https://twitter.com/moonsunlight007/status/1631058147036090374
oonlight@moonsunlight007
> 地球を企業と考えた時、経営陣は不採算な人員や部門が多ければそこを
> 削ろうとするのは当然と考えます【考えている顔】
> 削る方法を随分前から巧く【注射器】で思いつき、それに大義名分をも
> たせた正義によって断行してます。
> そこに躊躇は無い。だから出来るんです。
> 正直今回の事象、経営的な観点を持っていれば見抜けます。
↑確かにそうなのかもしれないが、ちょっと引っかかる所がある。そこで、いろいろネットサーフしていると、この視点と同じ発想で書かれたブログ記事が見つかった↓
https://twitter.com/moonsunlight007/status/1631058147036090374
oonlight@moonsunlight007
> 地球を企業と考えた時、経営陣は不採算な人員や部門が多ければそこを
> 削ろうとするのは当然と考えます【考えている顔】
> 削る方法を随分前から巧く【注射器】で思いつき、それに大義名分をも
> たせた正義によって断行してます。
> そこに躊躇は無い。だから出来るんです。
> 正直今回の事象、経営的な観点を持っていれば見抜けます。
↑確かにそうなのかもしれないが、ちょっと引っかかる所がある。そこで、いろいろネットサーフしていると、この視点と同じ発想で書かれたブログ記事が見つかった↓
企業ファシズム・コーポレートファシズムについて
http://yorutokiri.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_966b.html
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まず、会社とは何だろうか。会社法上の会社ではなく、予想される通常人
の立場から定義する。会社とは、通常人が集まり、何らかの役割を得て、報
酬を受け取る場所とできるだろう。もっとも、これは働く通常人からみた定
義であるので、会社の定義のひとつに過ぎない。会社法上は、社員とは株主
のことをいうのであり、働く通常人は従業員である。また、その会社を利用
する通常人からみれば、サービスを受け取る場所、かつ、組織である。組織
といえば、これはどのような立場の通常人にもいえるのから、会社とは組織
のことである。この場合の組織とは、経営が主体であるから、企業とするこ
とができる。すなわち、一般にいわれる会社とは、企業のことである。
次に、ファシズムとは何だろうか。ファシズムとは、狭義の定義では、イ
タリアのファシスト党のことをいう。広義には、全体主義、また、権威主義
および独裁、自由の極度の制限をし侵略政策を採用して、合理的思想体系を
持たないことをいう。
現在の企業は、私が先にあげた定義が善の部分である。その定義は、一般
的であり、そこには何らイデオロギーはない。すなわち、社会的に制約され
偏った観念は何らない。しかしながら、それは抽象レヴェルの定義であるか
ら、そうなのであって、具体レヴェルにおいて定義しなおせば、企業とは、
私があげたファシズムの定義にかっちりあてはまろう。広義のファシズムの
定義にあてはまるのではないか。
企業の内部から見ても外部から見ても、企業は全体主義的である。全体主
義と言い切ってもいいだろう。なぜならば、企業は、個人に対する全体の優
位のもとに成立しているからである。たとえば、従業員は、個別具体的な意
見は持てないのが原則である。ほとんどすべてにおいてマニュアルがある。
そこから逸脱した発言をすれば、応用できる従業員として褒め称えられる場
合よりも、責任を問われるだろう。それが権威主義である。盲目的服従を求
めるのが企業である。しばしば、従業員は、顧客のために自己を卑下しなけ
ればならないのも、その論拠となろう。ところが、顧客も神様のように仕立
てられているだけで、実際には、獲物に過ぎない。それが侵略政策なのであ
る。その政策には、経済的合理はあっても思想体系はない。思想体系の体系
は余計なのである。そのようなものを持てば、融通が利かなくなるのが企業
に解っているからである。融通とは、従業員のための融通でもなく、顧客の
ための融通でもない。企業全体の融通のことである。
ファシズムの特徴として、実体の無さがあげられよう。企業がファシズム
の定義にあてはまるのならば、やはり、そうなのである。企業には、その業
務内容以外の実体はない。あるといえば、金儲けである。私見は、金儲けこ
そが企業の実体であるとする。なぜならば、ファシズムは資本のあるところ
に出現してきたからであり、第一次大戦後もそれは変わらず、唯一の理念だ
からである。
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そう!これって、西洋の(=弱肉強食をベースに持つ文明の)企業のことに他ならない。高度成長期の日本式経営の企業とは根本が異なる。つまり、最初の記事でいう「企業」って、弱肉強食でカネ儲けで成功することを唯一の価値観とする組織のことに他ならない。だから、いわゆるDSが西洋価値観での「企業」とそっくりだ、というのはアタリマエと言えるのだろう。
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