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「円安」で考えること(付 「備忘録No.24」) [現状把握]

図表(円安・原油高、家計に年6万円の負担 輸出恩恵も低下).jpg円安が進む。ロシアvsウクライナの影響による燃料等資源高に加え、世界的な食糧不足予想もあって、目の前に突きつけられる値上げラッシュ。鈴木財務相も「悪い円安」と明言。しかし日銀は、放任の姿勢を崩さない。安倍元総理も「原材料の価格上昇によって起こるインフレが続くなか、金利を上げるのは間違っている。燃料高などに対しては、財政支出で対応していくべき」と言う。どう考えればいいのだろうか。

以下、今朝の日経社説。

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資源高・円安には腰を据えた対応を

日銀は28日の金融政策決定会合で、大規模な金融緩和策の維持を決めた。物価上昇率は目標の2%に迫るが長続きせず、むしろ資源高が新型コロナウイルス禍からの経済回復に水を差すとの判断だ。

米国などとの金利差の拡大を見越して市場で円安が進み、円相場は対ドルで一時1ドル=130円台を付けた。政府・日銀には企業や消費者への影響を見極めつつ、腰を据えた政策運営を求めたい。

日銀は短期金利をマイナス0.1%、長期金利の指標になる10年物国債の利回りをゼロ%程度に導く長短金利操作(イールドカーブ・コントロール)の維持を決めた。10年物国債を0.25%の利回りで無制限に買い入れる指し値オペ(公開市場操作)も毎営業日に実施し、金利を安定的に抑える

40年ぶりのインフレで利上げを急ぐ米連邦準備理事会(FRB)とは対照的な緩和姿勢で、円相場は対ドルで3月初めから約15円も下落した。黒田東彦総裁は記者会見で「急速な相場変動は経済にマイナス」とけん制する一方、2%の物価上昇率に向け粘り強く金融緩和を続ける姿勢は堅持した。

28日公表の経済・物価情勢の展望(展望リポート)では、2022年度の物価上昇率予想を従来の1.1%から1.9%に上げた。ロシアのウクライナ侵攻による資源高が主因だが、23年度の上昇率は1.1%に縮小するとみる。

資源高は消費や企業活動を下押しするとして、22年度の実質成長率見通しを3.8%から2.9%に下方修正した。金融緩和は円安を招くが、経済に逆風が吹くなかで修正しにくい状況だ。

ウクライナ紛争で加速した円安と資源高のうち、日本経済への悪影響が大きいのは資源高だ。円安は原材料高を助長するが、輸出採算の改善などの恩恵ももたらす。

だが、恩恵は自動車分野など輸出が多い大企業に集中する。企業数で99%強、従業員の数で7割近い中小企業には及びにくい。

資源高と円安の二重苦に見舞われた企業や困窮世帯に目配りは必要で、ここでは政府が中心的な役割を担うべきだ。26日にまとめた物価高対策などで、焦点を絞った効果的な支援を求めたい。

より本質的には化石燃料への依存度を下げるエネルギー政策や、資源高・円安でも競争力をもつ企業の育成が課題になる。長い目でみた成長を促す構造改革に日本全体で取り組む好機にしたい。

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円安のメリットはある。しかし、恩恵は自動車分野など輸出が多い大企業に集中する。企業数で99%強、従業員の数で7割近い中小企業には及びにくい。ではどうするか。長い目でみた成長を促す構造改革に日本全体で取り組む好機にしたい。》「成長を促す構造改革」の言葉が浮き上がって聞こえてしょうがないのは私だけだろうか。そんな発想はもう時代遅れのような気がしてしょうがない。

今朝の南陽市内全新聞に「たかおか亮一備忘録 No.24」を折込んだ。4月16日発行の「議会だより」に、私に対する「問責決議」全文と、私一人が反対した「ロシアによるウクライナ侵略に断固抗議する決議」全文が掲載されたことに対しての説明責任を考えてのことだ。「議会だより」→http://www.city.nanyo.yamagata.jp/up/files/giyousei/sigikai/168%20(1).pdf  4月20日に折り込めるよう準備したのだが、折込センターから「ワクチン反対がまずい」「政治的」「山新記事の無断掲載はダメ」と拒否された。その後山形新聞と女性セブンには了解を得て、今日の折込となった。常任委員会の毎月5,000円積立2年分が、コロナで視察等がなかったため、ほとんどそっくり戻ってきた。ちょうどその分を使えた。相変わらずのバタバタ仕事で至らないところもあるがもうしょうがない。「そこまでしなくても」と案じてくれる友人もあったが、後で「しとけばよかった」と思うのがいやだった。

その中に、4/5の「マスコミだけ見ていても世界の動きが何もわからない」の前段を転載した。日経社説を読んでそのことを思った。

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今から30年前、「美(うま)し国 おいたま」というスライドをつくったことを思い出しました。副題は「21世紀、置賜は世界の中心になる」でした。こんな言葉が入っています。(https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-04-19-1
 《今私たちはとてつもなく大きな夢に捉えられています。
  その夢とは、21世紀の置賜を日本の中心、
  そしてさらに世界の中心にしてしまおうというとてつもない夢です。
  ・・・ただしそれは、20世紀を支配してきた感覚とは全くちがった、
  ややもすれば片脇に押し退けられ、あるいはまた、
  ようやく私たちの意識の中に顔を出しつつある21世紀的感覚によって、
      はじめて見つけることのできる可能性のはずです。
      置賜は、この21世紀的感覚によって世界の中心になるのです。》
そして「21世紀的感覚の芽」を見出すべく、置賜にゆかりある何人かがとりあげられます。寺島求馬(明治の初め、成島八幡宮近くに住む学者)、上杉鷹山公、結城豊太郎、浜田広介、吉本隆明、井上ひさし、ますむらひろしの7人です。
 《置賜にゆかりある方々を取り上げてみましたが、
  共通のイメージが浮かぶとすれば
  それは、心のやさしさ、人の善さであり、
  そして理想主義、高い精神性への強い志向です。・・・
  精神文化の高さを測る物差しは人の心の善意の度合いです。
  20世紀を支配してきた物欲文化、
  より多いモノとカネの追求、
  その根っこにあるのは、
  羨(うらや)み、ひがみ、やっかみ、そねみ、ねたみ、・・・
  それらをすべて善意で浄化した高い次元の世界、
  それが21世紀的世界。
  としたらそれこそまさに、心やさしく人のよい置賜人が
  心の底で芯から望んでいる世の中。
  時代は私たち置賜人の望む方向へ、
  まっしぐらにつき進んでいるとはいえないでしょうか。》
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この思いが私の原動力だ。わかっていただきたい。
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たかおか亮一備忘録 No.24 

◎「よく考えて!!子どもへのワクチン接種」
 3月から小学生へのワクチン接種が始まりました。4月10日までの接種状況は1回目521人で29.9%、2回目337人で19.4%です。そのうち10%以上の児童が体の不調を訴えて翌日学校を欠席せざるをえないとのことです。新型コロナで重症化したり無くなったりする子どもは全くいないと言っていいのに、なぜそんな思いをしてワクチン接種しなければならないのか。このワクチンは開発されたばかりで、まだ治験中の遺伝子ワクチンです。中長期的にどのような影響が出るかまだ誰にもわかっていません。人間に本来備わった免疫力を阻害するとの報告もあります。かつてない薬害事件になる可能性もあるのです。周りの空気に流されずに、いろんな情報を知った上で、慎重に考えて欲しいと機会あるごとに訴えてきました。
 ところが、市と県の補助金で行なった粡町商店街の新聞折込チラシに、「よく考えて!!子どもへのワクチン接種」と書いて注意を喚起したことが悪いということで、議会で問題にされ、問責決議を受けて、新聞にも取り上げられることになりました。誤解を恐れずに言えば、騒ぎが大きくなって、そのことでワクチン接種について多くてくれる人が出てくるとすれば、むしろ問責決議はありがたいことに思えました。4月16日発行の「議会だより」に決議全文が掲載されていますのでお読みください。また、3月定例会一般質問の要約も掲載なっています。「コロナ禍をめぐって」です。
 なお、問責決議が出されるに至った粡町商店街チラシ問題については、私のブログ「移ろうままに2」に詳しく書いていますのでご覧ください。
  ・粡町商店街チラシ問題(1)https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-02-22
  ・粡町商店街チラシ問題(2)https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-02-24-1
  ・粡町商店街チラシ問題(3)https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-02-26

◎早くマスクを外したい!
 「議会だより」の一般質問報告の最後に《マスクをつけることが、感染予防以上に「従順さ」の指標のようになっている。あたりまえに考えれば負けるのがわかっていた戦争に精神力で立ち向かった80年前を思わせる。異状を異状と思わなくなることが怖い。》と書きました。
 昭和22年生まれの私は、戦争の記憶がまだ生々しい時代に育ちました。アメリカによる占領政策がひたすら過去の日本を貶(おとし)めることにあったこともあり、戦時中のバカバカしさについて、耳にタコができるくらい聞かされたものでした。祖父の死後、戦前の凛々(りり)しい祖父の写真を見て、どこか頼りなげだった私の知る祖父との落差に驚かされました。戦時中祖父は町内の役員として、先頭に立って金属供出に走り回りました。兵器製造に向ける金属不足を補うということで、各家庭のあらゆる金物類を供出させられることになったのです。大切な指輪を泣く泣く出した人もあったそうです。祖母は当時の祖父について、いささかの軽侮(けいぶ)をこめて語ったものでした。それに対して沈黙するだけの祖父でした。そんな祖父がある時、「あの戦争、敗けてよかった」と洩らしたことがありました。いちばん辛い思いをしていたのは、時代の圧力に抗しきれず”理不尽さ”に屈した祖父だったのです。そんな時代が今と重なります。
 誰しも思っているマスクの弊害。マスクによる酸素吸収濃度低下・二酸化炭素吸収濃度上昇という健康問題もさることながら、いちばん心配なのが子どもの成長への影響です。「小さな時に視覚の障害等で多くの人たちの顔を見て育たなかった場合は、その視覚の障害が治ったとしても、後の人生で顔の認識能力を回復できない可能性がある」とのことです。子どもたちだけではありません。マスクをつけて暮らすことは、自分を半分隠して生きているようにも思えます。その気楽さがマスク社会許容の世の中になっているのかもしれません。それでいいのかどうか。このままではとんでもない世の中になってしまいそうです。
 風船爆弾やら竹槍やら、後で考えると馬鹿げたことに真剣だった戦時中、そんな時代がまた来るとは思っていませんでした。早くマスクを外したい。
◎ロシア対ウクライナは第三次世界大戦への序曲か
 コロナ騒ぎで80年前の戦時中を思っていたら、ほんとうに戦争の時代に入りこんでしまいました。ロシアvsウクライナは世界中を巻き込む戦争になりかねません。
 山形県出身の軍人石原莞爾(1889-1949)は、『世界最終戦論』を唱えたことで知られます。石原莞爾にとっての最終戦争は、東洋的「王道」対西洋的「覇道」の対決であり、日本を主体とする日満支「東亜連盟」と最終的には米国との決戦として構想されていました。昭和6(1931)年、南陽市池黒に家族を疎開させた板垣征四郎中将(後に陸軍大臣)と共に満州事変の口火を切ることになりますが、結局石原の『世界最終戦論』は皮肉にも、広島、長崎への核爆弾投下という悲劇を代償に現実化したようにも思えたのでした。ところがここにきてにわかに「核戦争の可能性」が現実のこととして語られ始めています。
 実は私には、石原が構想した「王道対覇道」という最終戦は、敗戦国日本が表舞台から下りた状態で、別な形となって始まっているように思えます。一言で言えば「通貨戦争」です。要するに、「お金をどう考えるか」ということについての対立です。
 「議会だより」に全文掲載されていますが、3月議会の最終日、「ロシアによるウクライナ侵略に断固抗議する決議」が採択されました。私ひとりが反対でした。次のように発言しました。《8日の一般質問冒頭で申し上げた通り、西側プロパガンダのマスコミ情報に乗せられた一方的ロシア弾劾には絶対反対。ロシアにはロシアの攻め込まねばならなかった理由がある。国連決議も人口で見れば賛成しなかった方がむしろ多い。ゼレンスキー大統領はすでにNATO加盟を諦め、ロシアとの和解に向けて動き出しているとの情報もある。また今朝の情報によると、ロシアは中国が協調して単一通貨の導入を検討しているという。これまでの「持っててナンボ」の金融中心経済から、「使ってナンボ」の実物中心経済への大転換が起こりつつある。そうなっては困るドル経済圏のあがきが今のマスコミ報道だ。そんな流れには乗ってはならない。反対です。》
 お金自体が目的の世の中から、人間がお互い交流しあいながら生きてゆくための手段としてのお金の世の中に戻ろうとしているのです。それが本来の世の中です。

◎「邪悪が善意を飲み込もうとしているのではないか」(三都住)(4/15記)
 今朝、「大陸から見た日本」ともいうべき地図を見ていろいろ思わされるところがあったところで、放知技板初登場の三都住さんの文章に出会って、今世界に起こっている全体構図がくっきりと浮かび上がった。
 三都住さんは、ロシア人、ルーマニアをはじめ東欧の女性たちに、《日本女性では滅多にお目にかかれないほどの人格的魅力》を感じ取った。「古風」とも言えるもので、《長い歴史と深い文化に根ざしたもの》であり、《キリスト教世界の良心とも言えるようなエッセンスを感じたのだ。》《この感じ、西欧やアメリカの女性にはほとんどない。質が違う。》と言う。そしてこう締めている。《今回の紛争と無理やりこじつけるのはどうかとも思うが、イエズス会のバチカンと、東方教会の歴史的な確執は、今なお続いているのではないか。そして邪悪が善意を飲み込もうとしているのではないかと、いささかの恐れをもって見ている。》
 日本に、三都住さんが東欧女性に感じ取った「人格的魅力」に対応するものがあるのだろうか。敗戦、そしてその後のアングロサクソンによる精神的侵食にまかせて80年近く、もうズタズタにされきってしまった今の日本を思う。その結果としての、同じくアングロサクソンに侵食されきったウクライナへの一辺倒。きっと日本もウクライナも同類なのだ。
 かつては間違いなく備わっていた日本人の人格性、精神性。それをどこまで呼び覚ますことができるかどうか。これから始まろうとしていること、いや、もうすでに始まっていることは、そのことが根底から問われる闘いであることを、がっちり自覚させてくれる三都住さんの文章です。
 《若いころ、北米、中南米、アジア諸国に短期間住んだり、長期の旅をしていた。なので外国人には慣れていたし、欧米人ってこんな人たちという漠然としたイメージがあった。しかしロシアや東欧の人とは出会ったことがなかった。
 旅の生活は終わり、地方都市でサラリーマンをしていた頃。30代半ばになっていた。外国人との触れ合いが欲しくて、しばしば外国人パブに通った。フィリピンパブ、フィリピンとインドネシア、白人系も混じった店、あの頃はいろいろあった。ある忘れられない出会いがあったのは、2001年9月11日のこと。居酒屋に設置されたテレビでニューヨークの大事件を報じていたが、驚きはしたものの、激突炎上、それ以上のことにはならないと見切って外人パブに繰り出すことにした。
 その日出会ったのが、ロシア人のターニャ。金髪碧眼の、絵に描いたような白人美女。プラチナブロンドに真っ白の肌、グラマラスなボディ。一年弱いたアメリカでもこんな完璧な白人に出会ったことがない。ソ連崩壊後の混乱でルーブルは暴落し、多くのロシア人が困窮していた状況で、日本への出稼ぎも多かった時期。ターニャはハバロフスクで美容師をしていたが、日本に働きに来たという。彼女は25歳だった。酔っ払いの私という客への対応が、妙に素人っぽい。夜の女ではない普通さ、まともさを感じたのを覚えている。私は彼女のことが気に入って、それからたびたび通った。彼女は媚びないし、ドリンクの要求もしない、金の話など全くしないし、1時間で去ろうとする私を引き止めることもなかった。それでいてにこやかで明るく、話も弾む。一緒にいて楽しかった。
 ある日、「ゴッド」の話になった。彼女は敬虔なキリスト教徒だ。一神教の神とそれを信仰する人々に懐疑的であった私の論調は自ずと否定的になる。話の文脈はもはや思い出せないが、彼女が言ったのは「ゴッドはシステムだ」ということ。システムの訳語は数多あるが、一番近いのは「規則性、統一性」。その時の彼女の言わんとすることは、私の語彙では「真理」に一番近かった。仏教的に言えば「ダンマ(ダルマ、達磨)」。因果則をはじめとする法だ。お互い拙い英語の会話で感じ取ったことだ。彼女は6ヶ月ほどで日本を去った。一緒に山にドライブをして、焼き鳥屋に行ったことは今でも懐かしい思い出だ。
 その後も数人のロシア人、ルーマニアをはじめ東欧の女性たちと出会った。もちろん店で。先のターニャとの出会いを初め、幾人かは日本女性では滅多にお目にかかれないほどの人格的魅力を備えていた。そして、彼女らから感じるのは、「古風」であった。昔の大和撫子ともまた違うであろうが、長い歴史と深い文化に根ざしたものであることが感じられる。キリスト教世界の良心とも言えるようなエッセンスを感じたのだ。この感じ、西欧やアメリカの女性にはほとんどない。質が違う。今回の紛争と無理やりこじつけるのはどうかとも思うが、イエズス会のバチカンと、東方教会の歴史的な確執は、今なお続いているのではないか。そして邪悪が善意を飲み込もうとしているのではないかと、いささかの恐れをもって見ている。》
◆ブログ「移ろうままに2」より
 私の、備忘録ブログ「移ろうままに2」から、最近のいくつかを一部転載しておきます。
◎「マスコミだけ見ていても世界の動きが何もわからない」(4/5記)
 マスコミ情報のみで世の中を見ている人と議論できる状況ではありません。そのことで消耗するより、自分にとって信頼できると判断した情報で、しっかり自分の「本(もと)」を固めること。そのことと並行して、やがてくる「新しい世界」に向けて、今何をしなければならないかを考え、手立てが必要ならその手立てを講じること。その「手立て」とは、これまでの感覚のたとえば経済的な手立てのどうこう以前に、心構えというか、精神的なことのように思えます・・・こう書いて今から30年前、「美(うま)し国 おいたま」というスライドをつくったことを思い出しました。副題は「21世紀、置賜は世界の中心になる」でした。こんな言葉が入っています。
 《 今私たちはとてつもなく大きな夢に捉えられています。
  その夢とは、21世紀の置賜を日本の中心、
  そしてさらに世界の中心にしてしまおうというとてつもない夢です。
  ・・・ただしそれは、20世紀を支配してきた感覚とは全くちがった、
  ややもすれば片脇に押し退けられ、あるいはまた、
  ようやく私たちの意識の中に顔を出しつつある21世紀的感覚によって、
      はじめて見つけることのできる可能性のはずです。
      置賜は、この21世紀的感覚によって世界の中心になるのです。》
 そして「21世紀的感覚の芽」を見出すべく、置賜にゆかりある何人かがとりあげられます。寺島求馬(明治の初め、成島八幡宮近くに住む学者)、上杉鷹山公、結城豊太郎、浜田広介、吉本隆明、井上ひさし、ますむらひろしの7人です。
 《 置賜にゆかりある方々を取り上げてみましたが、
  共通のイメージが浮かぶとすれば
  それは、心のやさしさ、人の善さであり、
  そして理想主義、高い精神性への強い志向です。・・・
  精神文化の高さを測る物差しは人の心の善意の度合いです。
  20世紀を支配してきた物欲文化、
  より多いモノとカネの追求、
  その根っこにあるのは、
  羨(うらや)み、ひがみ、やっかみ、そねみ、ねたみ、・・・
  それらをすべて善意で浄化した高い次元の世界、
  それが21世紀的世界。
  としたらそれこそまさに、心やさしく人のよい置賜人が
  心の底で芯から望んでいる世の中。
  時代は私たち置賜人の望む方向へ、
  まっしぐらにつき進んでいるとはいえないでしょうか。》
 物欲文化の行き着いた先に開けてくる世界です。今朝アップした「「これからは人類の一人一人が天皇が独占していた祭祀を行っていくのである」(猿都瑠)」とも重なります。今しがた読んだ田中宇氏の「ドルを否定し、金・資源本位制になるロシア 」の射程は、私にはそこまで及んでいるように見えます。(以下略)

◎80年前の再現(4/7記)
 日本はいったいどうなったのか。いったん街に出れば、お互いを憚(はばか)って、マスクをしていない人はだれもいない。新聞もテレビは朝から晩まで、「ロシアが悪い」の一方的報道の垂れ流し。及川幸久氏の最新動画「2022.4.6【ウクライナ】ブチャについて」を観ると、まだアメリカの方が正常だ。
 以下、ロシア発信のスプートニクから転載しておきます。
 《ロシア大統領府のドミトリー・ペスコフ公式報道官はブチャの虐殺の煽動について、集団的な西側世界はブラインダーで目や耳を覆い、何にも耳を貸そうとしてはいないものの、ロシアは自国の立場を前に出していく構えであることを明らかにした。》
 ロシアは、あくまで淡々と事態の進展に即して事に臨んでいる姿勢です。アメリカはというと「もっと大きな悲劇の序章に過ぎないという不安」から、冷静にならざるを得ない感じ。それに対して日本のマスコミは、何の思慮もなくただヒステリックに叫ぶだけ。きっと80年前も同じだったのでしょう。(以下略)

◎「市民虐殺の濡れ衣をかけられるロシア」(田中宇)(4/9記)
 ちょっと冷静に調べればおかしいと思えるはずなのに、まったく検証もせずに戦争プロパガンダを鵜呑みにしたマスコミの報道姿勢に「80年前の再現」を思い、《日本はいったいどうなったのか》と書きました。そこでスプートニク記事のいくつかをあげておきましたが、田中宇氏がきちんと整理してくれています。
 ロシアによる犯行とされる「ブチャ虐殺」が、ロシア軍撤退後ブチャに入ったウクライナ内務省傘下の組織極右民兵団(アゾフ大隊等)の犯行であることは時系列的に明らかです。第一、どう考えてもロシア側が市民虐殺に及ぶ理由がわかりません。マスコミ報道を真に受ければロシアはまさに「悪鬼」以外のなにものでもありません。ロシア国民の80%がプーチン大統領を支持し、世界の半数以上が「ロシアが悪い」とは思っていないのです。冷静になって、正常な感覚で物事を判断すべきです。
 ロシアの求める第三者機関による調査を英国はことごとく拒否しています。そもそもウクライナの「極右民兵団」なるものは、英国諜報機関によって育てられた組織です。そのワルノリの後始末を、マスコミ挙げてロシアのせいにしてしまおうというのが今の実相です。
 思えば新型コロナにしても、マスコミ挙げて、さもコレラの再来のような恐怖感を煽り、9割方のワクチン接種に持ち込むやり方と手法は同じです。そのおかしさ、わかる人からどんどんわかり始めています。(以下略)

◎「日本人は、じっとして何もしないで、居ることが一番、優れた態度だ。」(副島隆彦)(4/13記)
 ギリギリの状況下では、もはや「在るベキ」論はほとんど無意味だ。いま「在る」がままを受け容れたところからしか始まらない。その意味で【深田萌絵TV】「高校教師、日本が侵攻されたらどうすると生徒に質問→生徒の回答に絶句。」からは、高校生だけでなく、今の日本人意識の全体が見えるように思えました。
 阿比留瑠比氏のツイッター発言《知人から聞いた福岡県の某高校での話。ロシアのウクライナ侵略を受けて教師があるクラスで「日本でこんなことが起きたらどうする?」と聞いたところ、全員が「逃げる」と答えたという。教師は「逃げるって、どこに」と絶句した。高台に一時避難すれば、侵略者が帰ってくれるわけではない。》について深田さんがコメントする。
 《逃げ場がないのは事実なんですけど、実際高校生に何を求めているんですか。戦中もね、女子高校生に対して「竹槍で戦ってください」と竹槍が支給されたことがあるんですけれども、実際竹槍では戦えないんですよね。逃げるところはないんですけれども、高校生に過剰なことを求めすぎなんじゃあないかと思いました。むしろ、有事が起こった時に大人が何ができるのか。有事が起こった時に、私たち大人の世代が今の間違ったところを正していかなければならないんだというところを議論しなければいけない時だと思うんですけれども、それ以上に「今の若者はなっておらん」みたいな話でまとめて、自分たちは何お問題もなしという、そういうものの口調に、ちょっと・・・変なのかと思いました。・・・》ということで、深田さん自身、大人に対する「在るベキ」論になっているのだが、「逃げるしかない」は、現状日本人の多くの本音に思える。 そもそも逃げる場所はないのだから、ふとんをかぶって、攻め込む敵が通り過ぎるのをじっと待つしかない。ここで今更核武装論を持ち出す、もはやそんな状況ではないと、私は思う。状況はずっと切迫している。ただし、日本にロシアや中国が攻め込んでくると、思っているというのではない。そうではなく、今のロシアvsウクライナが、核戦争の危機もはらんだ第三次大戦を覚悟せねばならない、そういう状況に今在る、ということだ。(以下略)

                **************************************

◎「村山の人間にとって、置賜は憧れなんですよ」(奥山清行氏)(4/14記)
 4月4日、報道機関への発表に先立って、奥山清行氏による議員への説明会があった。 隈研吾氏参入を受けた今回の話の眼目は、とりあえずは旧館の方は後回しにして、隈氏設計の新館建設を優先してスタートする、ということだった。だからといって、決して旧館をないがしろにするものではないことはなんども強調された。不安もないではないが、新たな視点が提供されたとして前向きに受け止めたい。
 議員への説明の中で、奥山氏の置賜観を聞くことができた。《村山の人間にとって、置賜は憧れなんですよ。》の言葉は意外だった。あらためてじっくり聴きたくて文字に起こしました。           
 《この山形県、特に村山の人間にとって、置賜盆地というのが豊かで羨ましくてしょうがない場所でして、村山の方がいらっしゃったら申し訳ないんですけれども、やはり庄内と置賜というのは、山形の二つの誇りだと思うんですけれども、歴史的な財産、そして食材、それから地形といった意味では非常に素晴らしい、憧れの対象でございまして、そういった意味では、今回のご縁を非常に感謝しているところでございます。》
 《日本はイタリアの世界遺産に選ばれているところに全く劣らない、いろんな街がある中のひとつがこちらだと思っています。・・・南陽を世界ブランドにするという風にご覧になると、ちょっとお前、風呂敷広げすぎなんでねえの、みたいな風に思われるかしれませんが、オクヤマとしてはきちんと計算した上で、それだけの価値ある場所だという風に認識しましたので、今回のこの件に手を上げさしていただきました。・・・こうこうこういう理由で皆さんの居る場所がすばらしいということをちゃんと…・・講演会・・・講演会等で行なっていきたいと思っています。今のところ2回ほど予定しております。》
 《私の家内の父方の実家がここでして、高橋という名前でして、そういった意味ですと、母方は米沢なんですけれども、それで昔からいろんな話は聞いておりましたし、先ほどから申し上げているように、村山の人間にとって、置賜は憧れなんですよ。上杉がありますし、食材素晴らしいし、お米も肉もすごいし、フルーツすごいじゃないですか。村山はやっぱり貧しいですから、ソバしかないですよね。・・・・・山形がないかというと、堰が5本通っています。たとえば御殿堰のところにお店を作ったり、あそこのマスタープラン立てさせていただいた。そういった意味で、ぼくら奥田(政行)さんでないですけれども、シェフみたいなもので、食材があってそれで料理できる内容を想像してそれを実現するのが、ぼくらのデザイナーとしての建築家としての役割。ひとつの食材としてこちらの場所を見たとき、最初疑ってきたんです。いろんな方から、旅館の方からのお話も、なかなか大変だよと正直伺っていましたから。ただ切り口変えて、あの里山を若い人にわかるように、ちょっとお化粧直ししてあげて、宿泊施設をこういった形で別につくる。それも最初疑っていたんですけれども、計算してみたらちゃんと計算合うんですよ。新築であそこに建てるとは考えたことなかったんですが、自分でその場を歩いて、見て、それで納得して、これならやりたいなと。ただ、簡単ではないと思いました、当然のことながら。簡単ならだれかやってますんで。そういった意味で、お金集め、金融機関へのお話、こういった世界に誇るメンバーを集めて、というところで、まだ道半ばですから、最後まできちんとやらせていただきます。》














 






















 

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