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新・mespesadoさん講義(114)「世界は〈愛〉でできている」 [mespesado理論]

「地球のアセンション」(ものすごい「覚醒」)が起きつつある、だれにでもわかる理由。だからといって軽挙妄動、浮かれることなく、今こそ本質を見極める「感覚」が必要》なのです。

②真の「愛」について(つづき)。「愛」の反対概念というのはもちろん「憎しみ」でもないですが、実は「無関心」でもありません。しいて言うなら「受容の域に達していない心の状態」》《自分の子供が例え外の価値観で「不出来」であってもそんなこと関係なく愛情が注げるなら「愛」》「自他」感覚とは無縁な「溶け合っている」感覚です。『世界は「関係」でできている』の「関係」そのもの? とすると、世界は〈愛〉でできている」と言い換えれる!

③自民党改憲案に反対する理由:国家そのものがパワーエリートによって支配されてしまった場合のことを想定していないという重大な欠陥》「国家そのものを支配する上位の勢力に好き勝手される根拠に使われるから反対」》◆参照:新・mespesadoさん講義(108)【超重要】憲法の主権者は誰か」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2021-12-22-1

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659:mespesado :2022/01/11 (Tue) 11:35:17
よくスピリチュアル界隈では、地球がアセンションするとか、宇宙人が~ということを述べる人たちがいて、特に唯物論的な界隈の人には、もうそれだけで「ムリ」となってしまうことが多いと思います。
 実は私もついこの間まではそうでした。でも、よ~く考えると、これ、ムリでも何でもないです。
 で、その理由を説明するために、一旦は、これらのスピ的な概念を一切使わずに、純粋に「唯物的」に、「今起こっていること」を説明してみることにします。
 ここ2~3年で、特にコロナ騒ぎを通じて、我々の「覚醒」がものすごく進んできたことは間違いないと思います。ここで「ものすごく」と言いましたが、これは「人数」という「量」だけではなく「理解の深さ」という「質」も込めての「ものすごく」です。
 では、何で、この21世紀のまさにこの時期に来て、そんなにものすごい「覚醒」が生じるに至ったのか?
 一つは、人々の「満足に生きる」ことへの物理的な障害が無くなってきたからだと思います。その物理的障害とは、具体的に言えば「貧困問題」です。どこぞのスレでホームレスが云々という言及がありましたが、その根本原因は、要するに「供給不足」によるものであり、それは一見すると、原料となる「資源」の問題に見えるかもしれませんが、実は、その資源から我々が実際に利用できる「モノやサービス」に「加工」する技術の問題だったのです。実際、極端な話をすれば、資源のうち、「材料」は原子からなり、その原子は「陽子」と「中性子」と「電子」からなり、「エネルギー」は究極のところ「光子」からなる。そして、前者は地球にも、それから月とか火星とかの天体に満ち溢れているし、後者は太陽の出す莫大な光子として満ち溢れている。あらゆるモノは、これらの「陽子」と「中性子」と「電子」と「光子」さえあれば、それらを「加工」することによって理論的にはいくらでも作ることができます。だから、「資源問題」というのは、究極を言えば、「加工技術」の問題だったのです。そして、この「加工技術」の根っこは「科学」の発達のことに他なりません。人類は、特に西洋のルネッサンスを通じて、今や物質の究極理論であるクオーク理論やヒッグス理論にまで到達し、少なくとも物質がどういうモノなのか、どうすれば加工できるのかに対する知識は究極まで到達しています。一方、物質そのものではなく、その「複雑系」ともいうべき「生体科学」についても、DNAの発見以来、生体の仕組みをメカニズムから解明する域までは、まだまだ程遠いですが、しかしとにかく「何をどう研究すればよういのか」という根本の原理のようなものは明らかになっていると言ってよいと思います。これがまず一つ目のポイントです。
 次に、人間というものが本来持っていた根本的な「仕様」というものが明らかになったことが挙げられます。それは、人類というか、生物は、とにかく生きるのに厳しい環境の中で何万年、いや、何億年という年月を過ごしてきました。もちろん地球が「生きるのに楽な環境」であったとしたら、生物は淘汰圧を感じることが無いので、複雑化、つまり通常の言葉で言うところの「進化」をしなくても済んだはずです。しかし、もし「進化」がなかったとすれば、高度な「脳」を発達させることもなかったはずで、そのような惑星には「知的生命体」は誕生しなかったでしょう。しかし、現実は、この地球には「人類」という知的生命体が存在しています。だからこそ、こんな掲示板が存在してそこで議論もできたりするわけですw。ということは、知的生命体が存在するような惑星上では、必然的に進化のための「淘汰圧」が存在しなくてはならない。そして、その「淘汰圧」の重要な要素に「供給力不足」が存在するわけです。だって供給が十分だったら「淘汰」は生じませんから。つまり我々人間という「知的生命体」が地球上に存在していることの論理的に必然の結果が「供給不足」なのです。これが二つ目のポイントです。
 次に、それじゃあこの「供給不足」を、「科学技術」のような、「思考」を極限まで発達させて得られるような方法を用いないで、というか、そもそもそんなものが存在しない時代だったとすれば、どんな方法で克服する、というかどんな戦略を用いなければならないでしょうか。それは、「豊かな所から奪う」という戦略ですよね。とにかく技術でゼロから生み出すことができないのであれば、「他から奪う」しか方法がありません。それが闘争本能であり、奪った後の安定まで含めれば、「支配」です。人類は、この(科学技術が存在しないという意味で)原始的な時代をあまりに長く過ごしたため、というか、一部は人間になる前の段階の動物の時代にも必要だった「本能」として、この「支配欲」が本能として染みついている。これが三つ目のポイントです。
 さて、以上述べた3つのポイントを組み合わせるとどうなるか。知的生命体である人類は、まさに自分たちが知的生命体であるというその事実の論理的必然性により、供給不足が進化の過程で長く続いたので、それを克服するための必然として支配欲という本能を発達させた。一方、人類は知的生命体なので、思考を極限まで発達させて科学を極限まで発達させて、ついに供給不足を根本のところで解決する見通しが立った。すると、人間の支配欲は、「他から資源を奪う」ことが本来の目的だったのだが、この本来の目的が失われてしまったので「歪んだ目的」つまり、本当は資源不足なんて無いのにあるかのように他者だけでなく自らも洗脳し、「支配」という手段が目的化し、そして超富裕層という、この目的を実行できる層が、本当にそれをやり出した。そしてそれは、今までのような「貧困から脱するために支配は仕方なかった」という「必要としては納得できる形」ではなく、明らかに「必要もないのに支配だけしようとしている」わけだから、そのおかしさに気付く人も必然的に増え、ものすごい「覚醒」が始まった。←イマココ。
 …というわけです。これ、要するに世の中がこんなになっちゃったのは、偶然でも何でもなく、まさに「論理的に必然の結果」ですよね。つまり、壮大なシステムともいえる一連の流れなわけです。これを「宇宙の真理」による「必然の結果」と呼んで何が悪い?という言い方もできるわけですね。
 そして、これがスピリチュアル界隈でいうところの「地球のアセンション」と対応してるんじゃない?ということなんですね。上で説明した理路は、まさに「思考」で説明したものだけれど、そういう方法じゃなくて、スピ独特の説明だって、結果が同じなら特に問題ないじゃない?というわけなんですね。もちろん、スピも変な方向に誘導する会派もあるけれど、そこは、本質を見極める「感覚」が必要になってくるところだと思うのです。


110:mespesado :2022/01/11 (Tue) 08:17:32
>>108
> あっ、それと、別投稿で愛だ情だの議論が進んでるけど、私には興味な
> いので参加しないよ。

↑「興味ないので」というのは、実は「嘘」だと思うんです。もちろん、suyapさんが意識して嘘をついていると言っているんじゃありません。無意識のレベルでは実は興味が発生しているのに、suyapさんの「エゴ」がそれを拒否しているって感じ、と言ったらよいのでしょうか。その証拠に

> なんだか、言の葉でとらえられないものを、無理くりこじつけて、つま
> り言葉だけが独り歩きしているようで...。

> 私にとっての「愛」とは、英語でいうとattachment、愛も憎しみも含ま
> れる、つまり執着ですな。

↑とあるように、その「別投稿」での「愛だ情だの議論」に異を唱えているじゃないですか?異を唱えるってことは、「賛成じゃないんだから、ほら興味を持ってないでしょう?」ってエゴが認識していると思うんだけど、賛成でも反対でも、一見正反対のように見えて、「興味を持っている」ことは同じ。もし興味もないんだったら、わざわざ「否定」という行為をするはずがないんですね。
 それから、「愛」=「執着」というのは、私が「恋愛」の例を持ち出したように、「恋愛」は確かに「執着」の一つですが、私の言う「愛」はそれではありません。恋人への愛、片思いの愛、いずれも「条件付き」ですね。だから執着なんです。私の言う「愛」というのは無条件の愛であって、相手だろうが自分(この場合は特に「エゴ」の方ですね)だろうが、生物とは限らない、そこらへんの石ころだろうが、それらに対する「何か」です。だから「愛」の反対概念というのはもちろん「憎しみ」でもないですが、実は「無関心」でもありません。しいて言うなら「受容の域に達していない心の状態」とでもいうことになるでしょうかね。

> ともかく愛だの情だの、ニホンゴの字ずらに囚われていると、本質が見
> えない気がする。

 私から見ると、suyapさんの方がニホンゴとか英語とかいう以前に「言語=(ロゴス)」に囚われているような気がする、というか、我々の議論がロゴスの問題であると勘違いしているような気がします。

111:mespesado :2022/01/11 (Tue) 08:22:28
>>110
 ちょっと誤解を招くといけないので一言。
 ここで私が「エゴ」と言ったのは、「エゴイズム」の意味ではなくて、自分が「自分」だと思っている「自分」のことです。自分には、実はこの「エゴ」を「上から俯瞰しているより高位の自分がある」ので、この「高位の自分」と区別するために「エゴ」という言葉を使いました。

112:mespesado :2022/01/11 (Tue) 10:19:15
 「愛」で更に一言。
 俗に「愛」と言えば、「恋愛」のほかに「家族愛」とか「愛国」ってのがあります。まず家族愛。
 よく「愛玩子」とか「ネグレクト」というのが問題になる事がありますが、こうなると、たとえ家族間であっても「執着」になります。自分の子供が例え外の価値観で「不出来」であってもそんなこと関係なく愛情が注げるなら「愛」と言ってよいかと思いますが、他の子と比べたり、逆に子供自慢に陥ったりする心は本当の「愛」ではないと思います。
 次に「愛国」ですが、これは自分への本当の意味での「自己愛」や、家族への本当の意味での「家族愛」の延長線上にある、自分が属する国家への本当の意味での愛が「愛国」であり、ここでウヨクとかサヨクとかの話が出て来ると思うんですが、サヨクとは「自分を自分が属す組織の犠牲になる事が気にくわない」という意識が高じてこじらせたものだし、ウヨクは「外部から干渉されるのが気に入らないから対抗上自分を防衛する組織にしがみつく」意識が高じてこじらせたもののような気がします。いずれも本当の「愛国」とは違うものに拒否ったり執着しているだけだと思います。

118:mespesado :2022/01/12 (Wed) 00:41:46
>>113
> mespesadoさんの脳内妄想による私へのコメントは理解不可能、頭がつい
> ていけません

 私もこのテの話が最初は付いて行けませんでした。そのうち理解できるようになることを期待してお待ちしております。

> 貴香さんやmespesadoさんの「愛・情」論争が、私には言葉に引きずられ
> た机上論争にしか思えないので、「私には興味ないので参加しないよ」
> と正直に書いたまでです。他人のエゴを気にするなら、ご自分のエゴも
> 観察されますようにw

 まだ「机上の空論」という言葉で反発しているのが「エゴ」によるものだ、と言っているのです。「興味がない」というのが、あなたのエゴも、本当は薄々違うと思っていながら、それを認めることが「できない」ので反発しているだけだと思うのです。もちろん私も自分の「エゴ」を日々観察すべく、常にあがいていますよ。ただ、上記の「他人のエゴを気にするなら、ご自分のエゴも観察されますようにw」というくだり(特に最後にwを付けえていることに注意!)から、貴方が「自分のエゴのクセを認める(許容する)」代わりに、「お前だって…」という、前発言で私が書いたような反応を見事に示していることにお気づきでしょうか。

> だから、mespesadoさんの本スレでの↓カキコ↓も、
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/17289842/659/

> 私にはまったくついて行けないです。「供給不足」だの、「豊かな所か
> ら奪うという戦略」だの、スピを説明するのになんで物質主義に拘るか
> なと。

 私はこの話がスピを説明するものだ、とはどこにも主張していません。この話で今日の人類の覚醒のめざましさが説明できることと同じ結果を、スピの世界でも主張していることが見事に対応しているように見える、と述べただけです。


119:mespesado :2022/01/12 (Wed) 00:49:50
>>115
 自民党の改憲案は、本来ならGHQの洗脳に反発する自民党の保守派が作った案であろうことは、その改憲案の内容からうかがえるのですが、これは国家そのものがパワーエリートによって支配されてしまった場合のことを想定していないという重大な欠陥があると思います。
 ですから、もちろん私は今の自民党案による改憲には反対です。ただ、これを「人権を奪う」という表現を使っていることが、単なる方便ならよいのですが、ホンネでそう思っているなら何となくサヨクのポリコレ(人権を天賦のものだと考える思想)に基づくものとして違和感を感じました。これだと「人権オタク」というウヨク側からの攻撃に会いそうです。もっとぶっちゃけて、正直に「国家そのものを支配する上位の勢力に好き勝手される根拠に使われるから反対」と主張すればよいと思います。

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