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新・mespesadoさん講義(46)国産ワクチン考 [mespesado理論]

治療薬開発は苦しむ人を前にして、まず効くかどうかが問題。それに対してワクチンは、何でもない人のための予防だから、安全最優先。それが、国産ワクチンが遅れている理由。

舟山康江議員の田村厚労大臣への質問、《接種にあたって、残念ながらですね、一部副反応かと思われる死亡例があるということですね。やはりもちろん利益の方が大きいということでワクチン接種をしているわけですけれども、残念ながら副反応の方も存在するということの中で、やっぱり重要なのは、副反応に対する救済措置だと思うんです。何万分の一だとしても、その被害者としては100%なわけですから、そういう中で救済措置がきちんとできるのか、その際に患者側、いわゆる接種を受けた側はですね、その立場に立ってできるだけ幅広く救済する仕組みになっているのか、そのあたりについてお聞きしたいと思います。》https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2021-05-12-1 確率発想で、金銭的に解決に走るのが「新自由主義」の本質。ひとりひとりはないがしろ。

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342:mespesado :2021/06/27 (Sun) 10:50:51
へっぴりごしさんのブログで知った塩野義製薬開発の国産惑珍↓

<独自>塩野義の国産ワクチン 年明け6千万人分供給可能
https://www.sankei.com/article/20210626-YDYNH6WAJFJ3VBPJRBRWHBXNLY/

 記事によると…

> 塩野義のワクチンは「遺伝子組み換えタンパクワクチン」と呼ばれる。
> 新型コロナの遺伝子の一部を基に昆虫細胞でタンパク質を培養して作る。
> すでにインフルエンザワクチンなどで実績がある技術だ。

 いわゆるmRNA惑珍でもDNA惑珍でもない、抗原となるタンパク質を注射する方式のようだ。その点では今使われている惑珍より安全に見える。でも、問題は、その抗原となるタンパク質は何を採用しているのかだが…。
 昨年7月に次の記事が出ている↓

塩野義製薬、組換え蛋白質ワクチンは複数の候補品の免疫原性を評価中
https://bio.nikkeibp.co.jp/atcl/news/p1/20/07/20/07217/

>  時間があれば、最適な抗原は何かを検討したいが、現状、スパイク蛋
> 白質を否定するほどの理由は無いので、スパイク蛋白質を抗原とする。

 一年前の記事であり、当時はスパイク蛋白それ自体が重症化の原因であることは未だ十分認識されていなかったので、このような方針になったのかもしれないが、現在の開発状況はどうなんでしょうね。気になるところです。ただ、惑珍という方式そのものが、ウイルスの一部を構成する蛋白質から採らなければ抗原になり得ない以上、今回の頃菜では、そのウイルスの一部である蛋白質そのものが体に害がある以上、どんな機序の惑珍を開発するにしても、あまり期待できるものではないような気がします。やはり「治療薬」の開発の方が本筋ではないのでしょうか。

343:mespesado :2021/06/27 (Sun) 11:52:38
>>342

塩野義製薬が新型コロナワクチン開発に挑むワケ/上
https://mainichi.jp/premier/health/articles/20210330/med/00m/100/009000c

↑今年4月の開発者へのインタビュー記事(ただし有料記事なので、無料部分のみで考察します)。

>  接種が始まっているワクチンは遺伝子の一部を投与し、体内で抗原を
> 作らせるタイプですが、私たちのワクチンは工場で作った抗原を投与
> ます。

 明確に従来タイプ(つまり遺伝子注入タイプではない)であることを宣言しています。さて、この記事には後編があり、そこで日本と外国の気質の違いについて述べられています↓

新型コロナワクチン開発 「それでも海外についていけなかった」/下
https://mainichi.jp/premier/health/articles/20210330/med/00m/100/013000c

> 日本は「平時バイアス」が強いということです。平時バイアスとは、
> 常のやり方に固執しようとする思考です。これは政府だけではなく、社
> 内、学会、医療界全体、メディアにもあるのではないかと思います。欧
> 米、特に米国では、事が起きると「今は『戦時』のようにとらえるべき
> だ。やるべきことは最低限に抑えても先に進もう」というコンセンサス
> がすぐに形成されます。ところが、日本は「そんなことをやっていいの
> か」「普段だったら許されない」という指摘が出てきます。そして、欧
> 米は過半数が「GO(進めよう)」と言えば前進しますが、日本は全員の
> 賛成が求められ、決断が遅くなりやすいのです。

 確かにこういう気質の違いが、今回の対策の遅れの要因になったことは否めないと思います。そして、この記事は次のように続きます↓

>  そもそも、医薬品に対して、欧米は「効くことが一番大切。さらに安
> 全性があればなお良い」、日本は「安全性が第一。そのうえで効果の高
> いものを探す」という考え方の違いもあります。

 この気質の違いは、一概に欧米の方がよいとも言い切れません。例えば、非常に致死率の高い傷病などに対する「治療薬」の場合は、安全性よりも、まずは薬効があるかどうかが優先されます。だから欧米の考え方の方が合理的と言えるでしょう。しかし、それはそもそも「病気になった後」の「治療薬」の場合の話です。惑珍というのは、問題となる病気にかかっていない人が予防のために受けるものであるはずです。その場合は、薬効よりも安全性の方を優先すべきだ、というのは一定の合理性がある考え方です。つまり、この場合は日本人の考え方の方が合理的だとも言えるのです。それが証拠に、今回の塩野義の惑珍は、安全性を重視したからこそ、遺伝子注入型を避けて、従来タイプの抗原注入型の惑珍を選んだのではないでしょうか。
 ところで、この安全性と効用のどちらを優先するか、という欧米と日本の考え方の違いには、欧米流の「カネ儲けのためには他人の命は二の次」の思想がどうもチラつきます。つまり、極端な話、「安全性を100%にするためにコストをかけるよりは、安全性を完璧にしなくても、被害に遭った患者に対する補償金を支払った方がトータルで安上がり」ならば、平気で後者を選ぶ、という気質が感じられるのです。昔の日本は、製造業の不良品率についても「不良品を絶対に出さない。なぜならいくら不良品率が低くても、不良品をつかまされた消費者にとっては100%だから」という、本田宗一郎みたいな気骨があったものですが、今日のようなソフトウェア開発では、欧米流の「プログラム開発にバグは当たり前。バグが発見されたら、後から修正プログラムを売って更に儲けられる」くらいにしか考えてないように見えます。まあ、こういうのが「新自由主義」の本質なんでしょうね。

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