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『まちづくり幻想』を読む(2)人口減少問題 [宮内]

静かな「子どもの日」だった。双松公園琴平神社のお祭りも御神事のみ。お札と紅白餅が隣組長を通して配られただけ。吉野石膏の須藤永次翁から贈られた神輿を繰り出して盛大な祭りが始まったのが昭和35(1960)年、私が中学2年生の時だった。琴平神社祭典昭和35年.jpgこの時の写真がある。宮内中学校の私の学年、50人近いクラスが6組まであった。南陽市出生数.jpg先日、昨年まで5年間の南陽市地域別出生者数を調べてもらった。宮内地区の昨年出生数31人。赤湯のほぼ1/3、沖郷のほぼ1/2というのがショックだった。60年前の子供の数は宮内が一番多かったのではないか。今朝の山形新聞の一面に「子どもの数 40年連続減」の見出しで、子どもの数2021.5.5.jpg今年4月1日現在の子供の数が、前年比19万人減の1493万人とあった。ピークだった1954年の2989万人からほぼ半減、昨年の出生数は過去最少だったという。(file:///Users/takaoka/Downloads/sanko2.pdf :令2年1〜10月速報値733,907人/ 平31(令1)1〜10月751,141人=97.72.3%減) 米、20年の出生数4%減 1979年以来の低水準)

さて、『まちづくり幻想』は言う、《地方が人口減少で衰退しており、それを解決すれば再生する考え方そのものは、大いなる「幻想」です。》というのは、《そもそも人口減少は、東京から地方に若者が移動した程度で改善するようなスケール感をすでに超えています。人口が少ない日本のミレニアル世代以降による出産で、団塊の世代以上の膨大な人口の死亡数を超えるのは「無理な作戦」です。》それに加えて、《地方の人口減少は衰退の原因ではなく、結果なのです。つまり、稼げる産業が少なくなり、国からの予算依存の経済となり、教育なども東京のヒエラルキーに組み込まれる状況を放置した結果、人口が流出したわけです。これは地方だけの責任ではなく、日本の制度による問題も大きいでしょう。・・・地方は自らの地域産業を強くすることよりも「いかに国から金をとるか」という競争に明け暮れるようになってしまいました。》要するに、《人口論に支配された地方活性化論は、どこまでいっても無理が生じます。人口さえ増えればすべてが解決する、という幻想を捨て、先を見た思考が必要です。》ということで、日本の半分の人口ながら、独自のブランド戦略によって貿易収支で日本を上回ることもあるフランス、80名程度の集落で高付加価値酪農を確立して人が集まるようになっている旭川市郊外の江丹別といった具体例を示していわく、《明治以降に樹立した人口爆発に合わせた社会制度、経済の中で、どうしてもすべての課題が「人口減少にあり」と思いたい気持ちもわかりますが、できもしない方法に固執するのではなく、新たな付加価値の生み出し方と向き合う時代にきているのではないでしょうか。経済的成長を諦めるのではなく、今までとは異なるアプローチでの経済成長シナリオが必要なのです。》!!(40--46p)

行き着くところは40年前も言われた「内発的地域振興のススメ」と同じこと。要するに、40年間何もやってこなかったということ。果たしてこれから何ができるだろうか。

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