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『性から読む江戸時代ー生活の現場から』(沢山美果子) [本]

山新2020122「性から読む・・・」.jpg12月2日の山形新聞、高橋義夫氏による「郷土の本紹介」で知った『性から読む江戸時代ー生活の現場から』(沢山美果子)。米沢藩領中津川(飯豊町)で起きた「不義の子」をめぐる村・藩をも巻き込む騒動を記した村方文書が残っており、その顛末が記されているというので求めた。やはり鷹山公の時代だった。御代々御式目22.jpg《明和四年(1767)に藩主となった上杉治憲は、「押返し」と称された生後すぐの赤子を殺す間引きを禁じる教諭を行い、次の藩主治広は、寛政元年(1789)、同四年、出産奨励のための早期奨励政策と堕胎・間引き禁止のための妊娠・出産管理政策を行った。寛政四年十一月には、男は17歳から20歳、女は14歳から17歳の間に、「妻を持つべき年齢に妻がなく、夫があるべき年齢に夫がない者がいる場合は、村役人は気を配って結婚させるようにせよ」と、村役人が結婚を斡旋し、藩で時服料(結婚資金)を貸与することとした。/そのほか新婚夫婦には、家作料(家をつくるための建築材料)と、休耕地や耕作が放棄された土地の所有権を与えるとともに三年間の年貢免除の特権も与えた。また貧困な者には、申し出により襁褓(おむつ)料として最高金一両までの手当てを与えるとした。その結果、人口増加は、1830年代に天保の飢饉が起きるまで途切れずに続き、万延元年(1860)には、性比は、女子100に対し男子104となっている。(『東置賜郡史』下巻)。/ちなみに、2017年の『人口動態統計』によれば、性比は女子100に対し男子104・9である。万延元年の米沢藩の性比は、現在とほとんど変わらない。そのことは、女子の間引きがなされなくなったことを意味する。》(54-55p)鷹山公治世あってこそ残った騒動記録と言えそうです。

天見玲20201211.jpg12月11日の山形新聞「気炎」欄で天見玲さんが本書に噛み付いておられた。小林一茶と若い妻との丹念な交合の記録から著者は、なんとか家の跡継ぎをつくろうという一茶の努力を読み取ったのだが、実はその見解は井上ひさしによる創見であった。著者はそのことを知っているはずなのに井上説にふれていないのはアンフェアではないか、というのだ。たしかに著者は、参考文献に井上ひさし・金子兜太「一茶・息吐くように俳諧した人」をあげ、《井上ひさしは、「あの『七番日記』の有名な「交合の記録」を読んでいると、教科書の一茶と性交の回数を必死になって記録している一茶とがどうしても結びつかなくて」と述べている。》(2-3p)とだけ書いている。天見氏によると、そこで自説を開陳した井上を、金子は「すごくユニーク、そんなことを考えた人はいない」と絶賛したという。著者はそこを読んでいるのだから、井上氏による創見とはっきり書くべきであった、と天見氏は言う。しかし著者は必ずしも自分の発見と言ってるわけではないのだから、著者を責めるのは酷だと思った。そこに焦点をあてた高橋義夫氏の紹介が天見氏を刺激してしまったのかもしれない。

それぞれの章、興味深く一気に読んだ。



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