「新しい歴史教科書をつくる会」のことなど [日記、雑感]
石戸論さんに聞く百田尚樹のすごさと日本の保守の言論空間の成り立ち
https://blogos.com/article/486503/
百田氏がまあビジネス保守的であることは確かなんだが、この対談してる人たちって、逆に自分たちが思想的にはWGIPに洗脳されたサヨク側に属しているとは微塵も思っていなさそうなところがイタ過ぎるw
- 2020年09月23日 21:06
- 石戸論さんに聞く百田尚樹のすごさと日本の保守の言論空間の成り立ち
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■自虐史観を批判するグループの台頭
ー「自虐史観」という歴史認識を批判する勢力もそういう流れで出てきたんですか?
石戸:そういうことです。簡単に言うと、「アジア太平洋戦争」って僕は言いますけど、「アジア太平洋戦争」の歴史に対して、「日本人は他国には謝り続けてばかりの自虐的に自分たちを卑下した外交を続けてきた。こういった『自虐史観』はおかしい。日本だっていいことをしたんだ」みたいな考え方の人たちだと思ってください。こうした「自虐史観」を批判するグループが勢いを持ってきた象徴的な出来事が、90年代後半から2000年代にかけて起きた「新しい歴史教科書をつくる会」というグループの登場なんです。
ー石戸さんの本にも書かれていますが、「新しい歴史教科書をつくる会」が、なぜそんなに力を持っていたんですか?
石戸:これは「反権威」という一致点がちゃんとあったからです。まさに社会運動をやっていたわけですよ。今で言うとハッシュタグ「#自虐史観の克服」みたいな感じのものができたと想像してみてください。あの時代にツイッターがあったら、ハッシュタグができて、クラウドファンディングが立ち上がって、お金を集めて、っていうようなものですね。
ー「新しい歴史教科書をつくる会」って、歴史的な事実を修正しようとしているところがやっぱり問題ですよね。
石戸:「新しい歴史教科書をつくる会」の最大の問題は、右派的な歴史観があまりにも強い教科書を作ろうとしたことにつきます。集まったメンバーの主張には「南京大虐殺はなかった」とか、「従軍慰安婦の記述を削除しろ」とかいう定番の主張もやっぱり入っているわけですよ。それ自体、僕は批判すべきだと思っています。
南京大虐殺については、いろいろなロジックを使って、なかったという人たちはたくさんいます。数の問題にすり替えて「大虐殺じゃなくて虐殺だ」とか、そういうことを言うんです。僕は、南京大虐殺という言い方には全然こだわってなくて、本の中では「南京事件」っていう言葉を使ったんだけど、南京事件に関しては、当時から海外メディアでも報道されているし、南京に関しての研究も山ほどあります。何よりも第一次安倍政権時代に作った、日中共同歴史研究というのがあるんだけど、その中でもう結論が出ているんですよ。日中双方の研究者でちゃんと研究しあって、あったということは事実としてそこに記述されている。
僕はこれでもう十分議論は終わっていると思っているし、従軍慰安婦問題にしても、いわゆる河野談話も右派的な歴史観が強い安倍政権であっても否定できなかった。そう考えると、歴史問題をなかったことにしたり、記述を削ったりすることを求めるというのは問題だと思う。右派なのに日本の歴史に対して向き合っていないというのは、そりゃあ問題でしょうと考えています。
しかし、本にも書きましたが、彼らがなぜ運動に向かっていったのか。そこには彼らなりのストーリーと理由があります。そのこと自体は無下に切り捨てるべきではない。
ーその後、結局中心人物だった人たちが、だんだん離れていきましたよね。
石戸:一致点がそれしかなかったからです。「新しい歴史教科書をつくる会」っていうのは、重要人物は、藤岡信勝さん、小林よしのりさん、西尾幹二さんという3人です。保守系の言論人でインテリの西尾幹二。当時絶大な人気を誇り、常に社会問題の中心にいた小林よしのり。それから、日本の教育にディベートを持ち込んだことで知られる教育研究者の藤岡信勝。この3人に共通する思想的な一致点というのはないんですよ。何もないからこそ、一時的な運動でみんなでガーッと盛り上がっていくことはできるけど、考え方がそれぞれ違うんだから、お互いに我慢できなくなる瞬間がやがて来るわけです。すると、社会運動の必然として瓦解していく。
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