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「新しい歴史教科書をつくる会」のことなど [日記、雑感]

9月議会が終わって、3月に改選以来はじめて、議員が一堂に会する酒席の場があった。鐘鳴9.3.18.jpg1990年代無会派議員として行動を共にすることの多かった共産党のS議員に「天皇陛下のこと以外では一致することが多かった」と言ったら、「共産党だって今は天皇の存在を否定するとは言わない」と返ってきた。「そっちがこっちに近づいてきた」と返しつつ、感慨深かった。思い起こせば1990年代後半、小学校のPTA広報委員長のとき、天皇の存在を肯定的に書いた文章について、共産党系の組合の先生を忖度した校長先生から削除云々で呼び出されたことがあった。(「祭り」「学問」、その本義(付 アカシックレコード・メモ)https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-05-05-1/「自衛隊アレルギー」と「天皇アレルギー」の解消→日本人の共通意思形成 https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2017-05-19

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621 名前:mespesado 2020/09/24 (Thu) 18:13:13
石戸論さんに聞く百田尚樹のすごさと日本の保守の言論空間の成り立ち
https://blogos.com/article/486503/

 百田氏がまあビジネス保守的であることは確かなんだが、この対談してる人たちって、逆に自分たちが思想的にはWGIPに洗脳されたサヨク側に属しているとは微塵も思っていなさそうなところがイタ過ぎるw
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その後議員を辞めて家業に専念のつもりが、「新しい歴史教科書をつくる会」に深く関わることになる。mespesadoさん紹介のリンク先を読んだら、その「つくる会」のことがいかにもわかったらしい口調で語られていて、いちいち癇に障った。mesさんの《イタ過ぎる》に同感。

このブログがこうして長く続くことになったのは「新しい歴史教科書をつくる会」についてあれこれ思い出させられて、記録の必要性を思ったからだった。そのカテゴリーもある→https://oshosina.blog.ss-blog.jp/archive/c2302825473-1 。その総括記事とも言えるのが「追悼 菅 弘先生 (元山形県高教組委員長)」の記事→https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2013-10-11。そういえば、そこに《南陽市議会有志と山形県教職員組合協議会の共催で南陽市民会館を会場に3月22日公開討論会開催の運びとなった。》とあるが、有志議員とは共産党のS議員、公明党のI議員、それに竹さんの兄貴のK議員と私で、4人の政務活動費(たしか当時は年間2万円)を出しあっての開催だった。無会派議員グループということで研修旅行等行動を共にする仲間だった。

以下はmesさん紹介のリンク記事の一部。特に癇に障ったところを太字にしておいた。「わかったつもり」が怖ろしい。古来日本では審神者(サニワ)の存在が重んじられてきた。自らの中に常にサニワを存在させること、友清歓眞師の訓えの最根幹である。→神道天行居精神の大根本https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2017-08-03

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■自虐史観を批判するグループの台頭

ー「自虐史観」という歴史認識を批判する勢力もそういう流れで出てきたんですか?

石戸:そういうことです。簡単に言うと、「アジア太平洋戦争」って僕は言いますけど、「アジア太平洋戦争」の歴史に対して、「日本人は他国には謝り続けてばかりの自虐的に自分たちを卑下した外交を続けてきた。こういった『自虐史観』はおかしい。日本だっていいことをしたんだ」みたいな考え方の人たちだと思ってください。こうした「自虐史観」を批判するグループが勢いを持ってきた象徴的な出来事が、90年代後半から2000年代にかけて起きた「新しい歴史教科書をつくる会」というグループの登場なんです。

ー石戸さんの本にも書かれていますが、「新しい歴史教科書をつくる会」が、なぜそんなに力を持っていたんですか?

石戸:これは「反権威」という一致点がちゃんとあったからです。まさに社会運動をやっていたわけですよ。今で言うとハッシュタグ「#自虐史観の克服」みたいな感じのものができたと想像してみてください。あの時代にツイッターがあったら、ハッシュタグができて、クラウドファンディングが立ち上がって、お金を集めて、っていうようなものですね。

ー「新しい歴史教科書をつくる会」って、歴史的な事実を修正しようとしているところがやっぱり問題ですよね。

石戸:「新しい歴史教科書をつくる会」の最大の問題は、右派的な歴史観があまりにも強い教科書を作ろうとしたことにつきます。集まったメンバーの主張には「南京大虐殺はなかった」とか、「従軍慰安婦の記述を削除しろ」とかいう定番の主張もやっぱり入っているわけですよ。それ自体、僕は批判すべきだと思っています。

南京大虐殺については、いろいろなロジックを使って、なかったという人たちはたくさんいます。数の問題にすり替えて「大虐殺じゃなくて虐殺だ」とか、そういうことを言うんです。僕は、南京大虐殺という言い方には全然こだわってなくて、本の中では「南京事件」っていう言葉を使ったんだけど、南京事件に関しては、当時から海外メディアでも報道されているし、南京に関しての研究も山ほどあります。何よりも第一次安倍政権時代に作った、日中共同歴史研究というのがあるんだけど、その中でもう結論が出ているんですよ。日中双方の研究者でちゃんと研究しあって、あったということは事実としてそこに記述されている。

僕はこれでもう十分議論は終わっていると思っているし、従軍慰安婦問題にしても、いわゆる河野談話も右派的な歴史観が強い安倍政権であっても否定できなかった。そう考えると、歴史問題をなかったことにしたり、記述を削ったりすることを求めるというのは問題だと思う。右派なのに日本の歴史に対して向き合っていないというのは、そりゃあ問題でしょうと考えています。
しかし、本にも書きましたが、彼らがなぜ運動に向かっていったのか。そこには彼らなりのストーリーと理由があります。そのこと自体は無下に切り捨てるべきではない

ーその後、結局中心人物だった人たちが、だんだん離れていきましたよね。

石戸:一致点がそれしかなかったからです。「新しい歴史教科書をつくる会」っていうのは、重要人物は、藤岡信勝さん、小林よしのりさん、西尾幹二さんという3人です。保守系の言論人でインテリの西尾幹二。当時絶大な人気を誇り、常に社会問題の中心にいた小林よしのり。それから、日本の教育にディベートを持ち込んだことで知られる教育研究者の藤岡信勝。この3人に共通する思想的な一致点というのはないんですよ。何もないからこそ、一時的な運動でみんなでガーッと盛り上がっていくことはできるけど、考え方がそれぞれ違うんだから、お互いに我慢できなくなる瞬間がやがて来るわけです。すると、社会運動の必然として瓦解していく。


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