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mespesadoさん講義(109)古代韓半島原住民は日本人!? [mespesado理論]

mespesadoさん《古代の韓半島で、発掘量の少ない石器時代のあと数千年人が居なくなって、その後日本の縄文土器が出て来て縄文時代になった ──》→亀さん今後、半島が温暖になった時代以降、日本列島から半島に渡った人たちが、山形先生の云う「在地原住民」である可能性がありますね。このあたりは、半島で発見されている縄文土器の他、半島人のDNA研究からも、次第に事の詳細が明らかになっていくことでしょう》
人類文明の秘宝「日本」51Fdm7LABrL._SY371_BO1,204,203,200_.jpg馬野周二著『人類文明の秘宝「日本」』が思い起こされて引っ張り出した。《中華などというのは後代支那人の慢心で、支那文明の本当の秘密は、東アジア上古文明の根元が日本に発したところにある。》(37p)《中国思想の二大源流、孔・老の徒が、そのまったく相反する教説にもかかわらず、日本に関心を抱いていたということである。そして、春秋以前、孔老の学の分化しない殷から周初にかけて、すでに日本人が深く中国にかかわっていた》。(78p)《暦法で見れば、日本では太古代から太陽暦が用いられていた。・・・後世太陰暦が入ってきたのは、支那文明の影響による。また60年周期の兄弟(エト)暦もあった。しかしこれは支那の干支とはまったく異なる概念のもので、仮名二字を組み合わせる。干支は日本から渡ったものである。》(152-153p)ゾクゾクしながら読んだ記憶がよみがえる。発刊年を見ると平成3年(1991)4月、ちょうど「21世紀、置賜は世界の中心になる」と言い出した時と重なっていた。
*   *   *   *   *
668:亀さん:2020/08/10 (Mon) 03:03:42
>>664のmespesadoさん、>>665のはぐらめいさん、有り難うございます。

ところで、小生が最後にブログ記事を書いたのは7月31日で、今月に入ってから一本も書いていない・・・。仕事や新盆の準備などがあったことが主な理由ですが、やはり連日うだるような暑さに閉口し、キーボードに向かうよりは、冷たいビールに手が伸びてしまった、というのが本当のところwww

その間、米中衝突シリーズで書き留めたいテーマが続出。しかし、今となっては大量に溜まったテーマごとに、記事を書いていくのも大変なので、大雑把になると思いますが、近く一本の記事として纏めて書く予定です。

無論、飯山史観のことは片時も忘れたことはなく、かつ、今の米中衝突と通底するテーマも多々あることから、今後書くであろう飯山史観は、現在進行形の大転換期を念頭に置いた記事が増えるかもしれません。

話を深田女史に戻すと、確かにITビジネスアナリストとしての視座は素晴らしいものがありますが、他のテーマ、たとえば歴史についての動画は、「アララ・・・」でしたwww

【「日本人は半島から来た」というウソ】神武東征はあった!「日本書紀」には真実が書かれていた【WiLL増刊号 #044】
https://www.youtube.com/watch?v=Y8DS2MiiKIA

深田女史が絶賛する長浜浩明氏という民間の歴史研究家は、本業が建築家だとのこと。やはり建築家だった、渡辺豊和氏を思い出しました。ちなみに、渡辺氏は『扶桑国王蘇我一族の真実』という本を著しており、拙ブログでも時々取り上げたことがあります。

その長浜氏、7月20日に『最終結論 「邪馬台国」はここにある』を上梓ています。上掲の動画からも明らかなように、同氏は邪馬台国畿内説を否定しておられることから、多分、九州説を支持しているのではと、小生は想像しています。

さて、今日も一日暑い日になりそうだ。ビールを片手に、元気に一日を過ごしていきませう。

亀さん@人生は冥土までの暇潰し

669:mespesado :2020/08/10 (Mon) 07:42:11
>>668

>【「日本人は半島から来た」というウソ】
> 神武東征はあった!「日本書紀」には真実が書かれていた
>【WiLL増刊号 #044】

https://www.youtube.com/watch?v=Y8DS2MiiKIA

 古代の韓半島で、発掘量の少ない石器時代のあと数千年人が居なくなって、その後日本の縄文土器が出て来て縄文時代になった ──
 ↑これ、確か氷河時代に韓半島が氷で覆われて人が住めなくなっていたんじゃなかったでしたっけ?だから「日本人は半島から来た」というのがウソだ、というのは「縄文当時の話としては」確かにそのとおりですね。
 それから、大阪湾近辺の貝塚の調査による海岸線の推移が判明して神武東征説話が縄文海進の地形とピッタリ合っているから「神武東征はあった」。その後150年後、河内“湖”が淡水湖になったことが貝の種類で判明したので神武東征はそれより以前の実話である。
 ↑だから、「神武東征説話が全くの作り話ではなく、現実に誰かによる東征という事実があった」ことは確かでしょう。でも、それが記紀にあるような「神武天皇」が実在して、本当にその神武天皇の事績だったのかどうかはわかりません
 そして邪馬台国の話。深田さんが近畿に卑弥呼の形跡が全くないことについて質問。これに対して纏向の記事で倭人伝と日本書紀が全く共通点が無い話とか、「旧唐書」の倭と日本別表記の話が出て来て、『倭国』は『日本』ではない!
 ↑これ、いわゆる「古田説」じゃないですか!でも、これは旧唐書や唐代の文献の誤解に基づく大いなる錯覚だったんですよね。中国史書の「倭」とか「日本」という語のについては非常に奥の深いややこしい事情があって、古田説のようにそんな単純に解決する話じゃないんですね。古事記や日本書紀の神武からの歴史だって、個々の人物がそこに書かれているとおりの人物として存在していた、などという証拠は無い。
 で、思うのは、歴史上マクロに何があったのかを物証で明らかにする、という点では長浜さんの話はとても説得力があるけれど、しかしそれが史書に書かれている人物それ自体の実在を証明するものではない、ということが重要なんですよね。そうやって割り切って考えれば、この動画で紹介されている長浜さんの話はとても有意義だし、深田さんの相槌も的確なものだと思いました。

670:亀さん:2020/08/10 (Mon) 10:37:14
>>669

> 「日本人は半島から来た」というのがウソ

御意。日本が旧石器時代から縄文時代に入ったあたりの時期を基準に置くとすれば、確かに仰せのとおりで、このあたりは拙稿「天武天皇 19」でも紹介した動画で、長浜氏と同様の意見を武田邦彦氏が述べています。

【武田邦彦】誤解?日本の文化は大陸から来たのではく南方から来た。昔は寒くて大陸にはとても住めなかった。夏でも氷が3メートルも積もっていた。
https://www.youtube.com/watch?v=3NQbFgbzshQ&feature=emb_title

同動画では長浜氏の云う、
「古代の韓半島で、発掘量の少ない石器時代のあと数千年人が居なくなって、その後日本の縄文土器が出て来て縄文時代になった ──」
について、武田氏も言及している他、DNAの観点からも、半島人を男女に分けて語っているあたり、興味深いものがあります。
そして、稲村公望さんの云う「黒潮の民」が当時、温暖になった日本列島にやって来て、縄文人の主流を占めるようになった、ということだと思います。

> 古田説

実は長浜氏の動画を観ながら、小生も古田説が脳裏に浮かびました。古田説はmespesadoさんの方が詳しいだろうからお任せしますが、小生は「応神天皇の秘密(3)」で倭国について山形明郷先生の説を紹介しています。
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倭人は現韓半島の南部、すなわち慶尚南道の海岸地帯から、全羅南北道の広汎な地域にわたって住んでいた『在地原住民』なのである。その居住区域は、極めて広く、また、その数は厖大なものであったと思われるのである。
『卑弥呼の正体』p.210
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-1578.html
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今後、半島が温暖になった時代以降、日本列島から半島に渡った人たちが、山形先生の云う「在地原住民」である可能性がありますね。このあたりは、半島で発見されている縄文土器の他、半島人のDNA研究からも、次第に事の詳細が明らかになっていくことでしょう、

さて、10時を過ぎた。あと2時間ほどしたら冷房を入れ、ブログ記事を書き進めたいと思います。キーボードから離れて、ビール鴨・・・

亀さん@人生は冥土までの暇潰し




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