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北条郷金山探訪(斎藤喜一さん) [地元の歴史]

杖つく頭取.jpg頭取後姿.jpg84歳にしてまだまだ何事にも挑戦的な斎藤喜一獅子冠事務所頭取、ここ数年来最大の関心事は「北条郷(ほぼ南陽市)の金(Gold)」で、市長と語る会などでも独自な視点からの発言をくりかえしてきました。最近米沢の八谷鉱山(1988閉山)勤務の経験ある臼居百蔵さんと知り合って、精力的に金山探訪をつづけ、その都度報告を聞いていましたが、7月20日南陽鷹の会として黒沢山形新聞南陽支社長を伴っての探訪を企画実行、22日の置賜版に大きく掲載されました。今回の特筆成果は「温泉の可能性」。私はとてもついてゆけませんが、頭取の「あくなきロマンの追求に拍手!」です。今年は御神事のみのお祭りですが、23日夜の祭り始めにも、昨日の夜祭りにも、自力で石段を登り切りました。金山阯 山新2.7.22.jpg
10年ぐらい前、豪雨の後の吉野川で県外ナンバーの何人かが砂金探しをしていたという話を聞いたことがあります。『北条郷鉱山史話』の一文を紹介したブログがありました。《江戸時代のことらしい。梵天掘(ぼんでんぼり)と称し、湧水が多くて採鉱困難なため六尺以上もある棒の先に真綿を結びつけて梵天をつくり、それで水中をかきまわし、程よい時真綿をとりかえ、それをかわかし、付着した砂金を採取してゆうに生活ができた時代があったという。》「砂金堀日記」初期の大河ドラマ『源義経』で加東大介が演じた金売吉次はこの辺りも活動の場にしていた、という話が当時語られたのを思い出します。『南陽市史 中巻』に《吉野川周辺の鉱山の開発は、口伝によれば奈良朝ともいわれている。荻の松倉金山が、康治年間(1142-43)の試掘とされているのが、記録として最もふるいものである。》とあります。同書には、「荻金山の繁盛」と題して33pにわたって南陽市の鉱山史が取り上げられており、その最後は《宮内、金山(かねやま)地区にも、昔の坑口や金山の名は、残っているものの、その内容を知る文書や記録がなく、その多くは、全く謎につつまれている。今後の解明を期待したい。》で結ばれます。今回の「金山探訪」の記事が多くの関心を呼び起こす引き金になればおもしろい。

今野竹蔵先生の名著『北条郷鉱山史話』で、先生がとりわけ苦労されたという「北条郷鉱山史地図」を載せさせていただきます。

北条郷鉱山史地図.jpg

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