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mespesadoさん講義(68)「教育原理」の大転換 [mespesado理論]

《そもそも何でこうした知識人が、もともとサヨク的な思想を持っていたのか》についてのmespesadoさんの考察、私にとっては戦後教育の根本に関わる最重要問題です。→「われなし能う、ゆえにわれあり」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2016-01-07

もう半世紀前の学生時代、今思えばサヨク感覚の藤中正義先生のサルトル講義に違和感を感じつつ、矢内原伊作の『サルトル』(中公新書)を読んでいて、著者が批判的に取り上げたメルロー・ポンティにかえって親しみを感じたのがメルロー・ポンティとの出会いだった。大学紛争収束後の留年時代のことだ。「新しい歴史教科書をつくる会」でがんばっていた頃、「なぜメルロー・ポンティがウヨクに?」と不審がられたこともあったが、戦後教育感覚から根本解放してくれたのが、私にとってはメルロー・ポンティだった。私の「やりなおし」はそこから始まったんだと思う。

当時ノートを持ち歩いてあれこれ書いていたのを、昨年寮の同窓会の連絡があったりしたことから引っ張り出して読んでみたらおもしろく、大学紛争時代の記録として残してもいいかなと思い、「移ろうままに 3」として書いてきた。そのうち選挙騒ぎやら、それまでにはメドをつけたいと思っていた5/30の同窓会が来年に延期になるやらで、3/14で中断している。これから藤中先生への反発めいた文章も出てくるはず。50年前なのでもうほとんど他人、と突き放しつつもやはりたしかに今の自分と地続き、そろそろ再開したい・・・と思わせてくれたmesさん発言でした。

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324 名前:mespesado 2020/06/02 (Tue) 08:24:27
 今朝のはぐらめいさんの新エントリー↓
https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-06-02

で、地元の地方紙にあの内田樹さんが書いていた記事の紹介があって、何と、今までのサヨク臭い記事じゃなくて、サヨクがいつも目の敵にする、「国家(権力)」の有効性を認識した、というような内容だった。
 私が関心を持ったのは、その変節(w)よりも、《、という方で、彼らだって人生を良い方向に持っていきたい、という気持ちは変わらないはずなのに、それが間違った方向を目指したために、おかしな思想に染まってしまっていたのが、今回のコロナ騒ぎで、単に思想上の変化ではなく、現実が変化し始めたことで、それを目の当たりにして、ようやく目が覚めた、ということなのではないか、と思う。そして、そのような「現実を見る」前までは、何で間違った方向に進んでいたのかというと、私は、そのサヨク思想というのは「思弁だけで閉じた世界」だからだ、と思う。
 ここで例の「確率論」の「大数の法則」の話に繋がるのだが、「数学」の単なる一「定理」でしかない「大数の法則」が、何であたかも物理法則であるかのように「現実を表している」と信じられていて、それを単なる個人の「信仰」だけでなく、その「法則」を「利用」して保険会社のようなビジネスまで出来上がってしまったのかという問題と関係があるように思えるのである。
 数学とは、要するに「徹底的に曖昧さを排除」した「思弁だけの世界」である。そもそも哲学や神学、宗教というのも「思弁だけの世界」なのだが、その中で特に「曖昧さを徹底的に排除」したのが「数学」なわけだ。つまりその根底のところで、ちょっと言い過ぎになることを許してもらえば、「現実を見ていない」のである。
 ところが、人間というのは、「現実を見ていな」くても、「曖昧さを排除」していると、正しいものだと思い込みがちな特質を持っている。インテリと呼ばれる人ほど、その傾向が強い。サヨクな人というのは、要するにそういう特質に大きく染まった人たちなのだ、ということができる。
 「大数の法則」もそうで、そこに物理法則のような「観測結果」やら「実験結果」のような、誤差を含み、偶然の要素を完全には排除できないという意味では「曖昧さ」が残るものとは違って、数学の「法則(実は「定理」なんだけど)」は、それこそ曖昧さが一切存在しない数学「だけ」を使って得られた結論だから、余計に正しさが「間違いない」と思い込みやすいと思うのだ。
 でも、世に言う「超常現象」というのがあって、私も昔はバカにしていたのだが、こういう世界はどうも確実にあるだろう、というのは今では確信に近いものを持っている。その例として「脳が完全に機能喪失していたことが病院のデータにより確実なのに、その間に臨死体験をした医師の話」とか、およそ心霊現象の信者とは無縁の普通の主婦が書いたブログ↓
http://apori.blog.jp/

の長男君の霊感が強くて、全く無関係な2人の人が全く同じ霊を目撃した話など、この手の話は枚挙にいとまがない。
 実は、「曖昧さを持たない厳密な話」というのは、「推論のプロセス」が厳密なだけで、そのすべての推論の大元となる部分には、必ず「予め正しいと天下り的に決めつけ」た「議論の大前提」が存在する。
 そして、多くの「厳密な推論」教の信者は、この「議論の大前提」が前提に存在した上で推論を行っていることを自覚していない。つまり、議論を遡る方向でいわゆる「思考停止」が起きているのである。
 実は「大数の法則」も、その「議論の大前提」として、「確率」という、純粋に思弁の世界である数学の概念でしかないものを「現実」のどの現象に結び付けて考えるか、という「議論を始める前の大前提」のところで思考停止しているのだ。だからこそ、「こんな事件、確率的に起きるはずがない、おかしい」などという現象がしばしば起きるのだ。それは、数学の概念と現実を結びつけるところで、実は「或る単純化し過ぎた仮定を置いて、思弁と現実を強引に結びつけてしまっている」ことに気付いていないからである。
 私は、もし「確率」という数学の概念を、強引でない素直な方法で現実と結び付けたとすると、世間で「大数の法則」のせいで成り立っていると信じられている現象は、実は確率的法則が支配する「量子力学」に関連した「物理法則」として説明されるべきものだ、と思っている。そして、その「量子力学」は、本当は人間の「意思」が関与するような「法則」を含んでいるはずであり、しばしば「確率的に信じられない」ことが現実に起きるのは、この量子力学が「人間の意思」のような、現時点では科学が全く扱いあぐねている要素を含まないために、理論として未だに完成していないことと関係があると思っている。
 まあ、こんな話と内田樹さんを結びつけるのは牽強付会もいいところなのだが、サヨク言論人が「現実を目の当たり」にして議論の大前提にあたる仮定の部分の存在に気付いて考えを改めるのはとても良いことだ。これと同様に、財務省の御用学者の経済学者さんたちも、是非今回のコロナ対策の補正予算で「オカネをいくら刷っても全然インフレにならない」事実を目の当たりにして、是非「経済学」の「根本の大前提」を疑う方向に進んでもらいたいものである。

325 名前:貴香 2020/06/02 (Tue) 22:11:03
>>324
内田樹さん、飯山さんからルサンチマン認定されて、私もそう感じて、以来離れてブログ読んでいませんでしたが、この流れ嬉しいです。
それから、量子力学で言われているシュレーディンガーの猫?ですか、世の中の現象は自分が見たいっていうより、見るべくして見ていると思います。
つまり、私も研究者の意思というか、その人が出しているエネルギーがそれに見合った結果を導き出す、という法則が存在していると思います。
例えば、内田樹さんというピックアップされた被検体(失礼)私にとってもいい流れと受け止められる現象なので、今後に期待出来ます。
この放知技に脈々と繋がる意思?が導き出す「言霊」から派生する結果だったり・・・
また変なことを書き加えてしまい、ごめんなさい、失礼致します、それから、有難うございます。

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