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mespesadoさん講義(69)「究極の本質」を理解した社会 [mespesado理論]

12年前、《置賜地域の合併ビジョン私案――目指せ、経済的・精神的な貧困のないまち「NON-POOR CITY 置賜」――」》と題した構想で、地域通貨によるベーシック・インカムについて考えたことがありました。→「置賜地域の合併ビジョン私案」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2008-02-17

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≪戦略≫
 「棒杭(ぼっくい)の商い」精神による地域づくり
(1) 豊かな置賜の歴史に根ざす「地域共同体」としての再生。
(2) 農業生産を重視した地域内自給(千人共働き→置賜24万共働き)。
(3) 「助け合い」「譲り合い」をキーワードに損得感情の超克。
≪戦術≫
地域通貨(藩札)の活用によるベーシックインカム(基礎的所得保障)の導入。
(1) 最低時給保障(時給格差の是正)による農林業等保護。
(2) 最低生活保障(高齢者への一律配布)。自主返納制。
(3) 期限付き地域通貨。使用税徴収による財源の確保などがある。

※ 「棒杭の商い」:上杉鷹山公の時代の無人販売所。街道の途中に暮らしや旅の必需品が棒杭に下げてありました。鷹山公の善政は人心をも立て直し、いつも金額はぴったり合ったという。旅の人もこの地に入ればおのずとそれに倣ったとのこと。
※ 「千人共働き」:「昔から千人人がいればお互い助け合いながらなんとか生きてゆけたもんだ」という古老のことばが強く心に残っている。

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まだグローバリズムが必然に思われていた時代でした。今回のmespesadoさんの発言からこの構想を思い出して引っ張り出したら、今の時代、国レベルでも実現可能なように思えてきました。

mesさんの議論からは、ベーシックインカムは、「働くことで所得を得る」のではなく「生きているから所得を得る」という考えに基づく。そのことで、「金にならない仕事はやらない」という考えから解放される。「仕事」とは本来「人のために役に立つこと」だったのではなかったか。目先にこだわらない本来の「仕事」が息を吹き返す。完全な実現には程遠いが、地域通貨の活用でその考えを取り入れることは可能になる。》こう書いていたのを思い出したのでした。→「置賜地域の合併ビジョン私案 補説 地域通貨とベーシックインカム」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2008-02-29

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326:mespesado :2020/06/03 (Wed) 08:49:07
 初心者スレで猿都瑠さんが紹介していた「週刊西田」の動画↓
https://www.youtube.com/watch?v=JlvJGc7ohzI

 以下はそれを視聴しての感想です。
 池上彰や財務省の事務次官が全くのウソをこいている。これには全く同感です。
 そして、MMTのいう「政府は国債をいくら発行しても国はデフォルトしない」という主張に対して「ただし別の制約がある」という訳で、その制約というのはインフレ率だ、ということを主張しているのが三橋さんたちなのですが、西田さんは、違う観点からの意見であり、それは「モラルの問題」だ、というのです。
 つまり国債ですべての国家予算の財源を賄うと、税が必要なくなり、そうなると金持ちは限りなく金持ちになり、いくら国民に国家が給付(BI)を行っても、格差が際限なく広がってしまう。また税が無いということは働かなくてもいいということと同じだから(←ここの論理はよくわからないw)それも問題だという趣旨でした。
 ちょっと「額に汗して」論者のような説教臭いところはあるが、実は三橋さんのいう「インフレ率」が指標だ、というのも日本のような供給過多な国ではいくらオカネを刷ってもインフレにならないから実は「間違い」なので、結局は「金持ちが悪さをしないため」という制約条件しかないので、西田さんの主張の半分は全く正しいと思いますが、税金を廃止したら働かなくなる、というのは、これはちょっと違うのではないかな、と思います。
 というのは、「究極の本質」を理解している社会なら、「勤労」には「権利」と「義務」の二つの側面があって、まず「義務」の方ですが、これは、要するに消費者である国民が消費したいものは、誰かが生産して供給しなければなりませんから、その供給を確保するために、勤労が「義務」になっているのだ、と私は理解しています。
 しかし、少なくとも生活必需品の生産は、ほとんどが機械による自動生産で賄えていますし、そうでない業種も農業とか建設とかいくつかありますが、多分誰も生産しなくなれば、それでは消費できないと不満を感じた消費者の中の有志が「自ら生産活動を始める」と思うのです。ところが現実の社会でこの「自分で勝手に生産する」ことを阻止しているのが「特許制度」のような「秘伝を守る」制度と、キツい、危険、汚いの、いわゆる3Kなんですね。
 前者は、もちろん発明をした人の「儲ける権利」を守るための精度なんですが、んなものを廃止して、「どうぞどうぞ私の発明を使ってください」になってノウハウを公開してしまえば、そのノウハウを使って「実際に作る」の得意な人が中心になって(自分が消費したいがために)勝手に生産するようになり、今の時代、機械が作るので、自分が消費する以上に大量に作れるからそれをみんなに「おすそわけ」するようになる。だから「タダでカネを配ると誰も働かなくなる」問題の大半は解消すると思うのです。
 次に後者の3Kの方ですが、例えば今の建設業は、まだまだ労働集約的ですが、これも「誰も建設業に従事しなく」なると、困るのは消費者です。だから自分で作るようになるんだけど、今の建設業って、結構シロウトが手を出すには危険が多すぎる(高所での作業とか)。すると、誰だって危険なのはいやだから、発明好きな人が現れて、危険な作業を代わりにやってくれるロボットを「勝手に」発明する人が現れて、しかもそのロボットを作るノウハウを一般公開するようになる。このようにして、気が付いたら危険や汚いやらでできれば避けたいから人手不足だったりする供給分野がどんどん技術進歩で3Kが無くなっていく。そういう好循環が生じると思うのです。
 こうして「義務」としての労働から人間は解放され、残るのが「権利」としての労働です。これは人間の生き甲斐に通じる話であり、「自分は誰かの役に立っている」という自分の存在意義みたいな話になって来て、これはむしろ自ら率先して「勤労」に従事するインセンティブになるはずです。
 そういうわけで、西田さんが2番目に述べたようなことは、まあ当面は確かに問題になるかもしれませんが、究極の「その先」を見据えたら、そんなに問題にはならないような気がするのです。

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