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「コロナ危機」が変えたこと、2題(内田樹) [コロナ危機]

内田樹 2.6.2山新提言.jpg今朝の山形新聞、内田樹氏の「直言」に注目。

①日教組の先生と議論したことがあるが、行き着くところは、「国家が大事」か「国境なんて関係ない〈市民社会〉こそ」の対立だった。→「追悼 菅 弘先生 (元山形県高教組委員長)」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2013-10-11 内田氏も、これまでのサヨク感覚を改めざるをえなくなったようだ。

《家が崩れると骨組があらわになるように、激震的事態に遭遇すると制度の骨格が剥き出しになる。パンデミックはグローバル資本主義の脆弱性をあらわにした。/グローバル資本主義というのは、人・モノ・資本・情報が国境線を越えて、高速で移動するシステムである。だが、感染症の蔓延によって、電磁パルス以外のものはいきなり国境線を越えられなくなった。国民国家の国境線というような政治幻想はグローバル化の進行でいずれ有名無実化するのかと思っていたが、コロナ禍のせいで、国境線が人とモノの移動を制限する圧倒的な物理的実力を持っていることを再確認した。》

②今の体験をくぐりぬけることによるもっとも大きな変化は、「必要なものは残り、不必要なものはなくなる」に尽きる。内田氏はその機序のひとつを明らかにしてくれている。
《グローバル資本主義にとって最大の出来事は「要るものはなんでも金で買える」という根本信憑が覆ったことである。/われわれは久しく「金さえあれば・必要なものは・必要なときに・必要な量だけ買える」と信じ込んできた。だから、、自分に何が必要なのかを考えるより先に、どうやってたくさん金を稼げるかを考えてきたのである。まず稼ぐ、それから「欲しいもの」を探す。》《グローバル資本主義は、商品として仮象しているモノのうちは「ほんとうに要るもの」と「ほんとうは要らないもの」があるという事実を隠蔽してきた。「ほんとうに要るもの」を人々が自給し始めたら、資本主義の勢いが止まる。「ほんとうは要らないもの」を手に入れるために命を削るような倒錯的な消費者たちがいなくなる。それでは困るので隠蔽していたのである。》《パンデミックによってグローバル資本主義の前提のいくつかは失われた。このあと世界の経済システムがどう変わるのか。正確な予測は誰にもできない。おそらく多くの人はひとまず足を止めて、「ほんとうに必要なものは何か?」という本質的な問いを自分に向けるところから始めることになるだろう。》

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