くちをとぢ……… [教育の未来]
「大地の感覚:「自然(じねん)」→「一心清明」」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2023-12-24 で山村暮鳥の「くちをとぢ」を思い出した。そらんじて言える数少ない詩のひとつだ。
ちょうど半世紀前の文集を引っ張り出してきた。あの子どもたち、もう還暦間近だ。彼らのおかげで、生涯のなかでいちばん中身の濃い1年間(11ヶ月)をすごすことができた。あの1年間を規準としてこれまで生きてきたような気がする、思うほどにかけがえのない1年間だった。今も年賀状をくれる子どもたちもいる。→岡山行(1)超サプライズhttps://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-11-28「岡山行(2)岡山の空気」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2018-11-29
・
* * * * *
(『口を閉じ 目をみはれ』)
おわりに
みんなに作文を書かせながら、なんとなく思いついて、三月中にできあがればと思ってやりはじめたら、なんとなく一しゅう間でできあがりそうです。いろいろ手つだってくれたお友だち、ありがとう。
この一年間、先生の今までの中でいちばんいろんなことのいっぱいつまった一年間でした。
先生は、これまで、こんなに人をしかったり、どなったりすることのできる人間とは思っていませんでした。先生が、どなってしまったあとで、ときどき、「くそーっ」といったりしたのは、どなられたみんなにたいしていったのではなくて、どなってしまった自分にたいしていったんだ、ということを、わかってほしいと思います。どなったり、しかったりもしないでいい先生になりたいです。
この一年間、みんなのおかげで、いろんなことをべん強することができました。
ほんとうにありがとう。
三月十一日
コメント 0