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吟行『雄飛せよ!龍雄の詩魂』 [雲井龍雄]

雄飛せよ!龍雄の詩魂 表紙.jpg昨日吟行。スマホを忘れる不覚。心配な天気予報だったが、曇り空のままで例年に比べぐんと暖かい一日に恵まれた。足が悪くて参加をためらっていたマーさん(92歳)も2/3ぐらいはバスから降りてみんなと行動を共にした。反省会では「死ぬまで参加」の決意表明があった。何より雲井龍雄の霊に喜んでもらえたような気がする。墓前に酒、菓子を捧げ、参加者15人、山吉盛義の「祭文」を一節づう吟じた。

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 常安寺 雲井龍雄新墓所

 昭和5年2月、龍雄六〇年忌に際し、登坂又蔵米沢市長が中心になり雲井会が結成されました。その行事の一環として谷中の墓地にある龍雄の頭骨がこの地に移され11月16日納骨式が行われました。その後今に至るまでこの場で龍雄慰霊祭が行われてきました。
 ここでは龍雄に捧げられた、米沢藩士であった 山吉盛義による「祭文」を全員で吟じます。
 龍雄の死後18年を経た明治22年(1889)、大日本帝国憲法の発布に伴う大赦令により、内乱に関する罪がすべて法的に消滅したことを機に、龍雄の墓前において同志、知人による供養祭が行われました。その時龍雄を偲んで読まれた祭文です。 

  「祭文」    山吉盛義

 山は頽(くず)れ 騫(か)くるどいえども  精霊は 湮(き)えず
 河は涸(か)れ 涓(しずく)なるといえども  名と声は 淪(しず)まず
 先生の人となりや  才気絶倫
 夙(はやく)より 時の賢と交わり  志は済民にあり
 誓つて世の塵を掃(はら)わんとす  斯(こ)の志は伸びず
 時命已(すで)に屯(なや)む  鼎鑊(ていかく) 前にあり
 嗟(ああ) 傷ましきかな 天よ  先生にして然(しか)り
 行い 苟(まこと)に真  その事 伝ふべし
 魂は 九昊(きゅうてん)に升(のぼ)り  魄は 重泉に帰す
 桑海は変遷するも  凛乎たり 墓田
 維(これ) 已丑(きちゅう)の年  大赦の令 宣せらる
 月 始めて 円(まどか)と成り  花 始めて 春にめぐる
 同志 百千  茲(ここ)に吉辰を撰(えら)び
 敬(つつし)んで  逗筵(とうえん)を具へ 欣(よろこ)びて 蘋蘩(ひんぱん)を供す
 霊や 神あらば  庶幾(ねがわく)は 旃(これ)を饗(う)けよ

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作成したパンフレットの「あとがき」を記す。

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あとがき

 平岳謙先生・岳照先生によって平成9年(1997)に産声を上げた宮内岳鷹会は、15周年の記念吟行「置賜の詩心を訪う」を皮切りに、20周年には構成吟「宮内八景」、そして昨年25周年には「宮内から斎藤茂吉を想う」吟行と、5年ごとの記念企画に取組んできました。しかしこの先、5年後にはどれだけの人が続けていられるか、その思いから今年、思いきって昨年に引き続く吟行にチャレンジしました。テーマは雲井龍雄です。
 雲井龍雄は、詩吟する者にとってはごく親しい名前ですが、その実像は意外と知られておりません。若くして明治新政府によって処刑された幕末の志士ということで、悲劇的なイメージばかりが先立ってしまいます。しかしその実像を知るほどに、この置賜が生んだ真の傑物だったことがわかってきます。謙信公、直江公、鷹山公の伝統をしっかり引き継ぎ、さらに雲井龍雄が起点となって「置賜発アジア主義」ともいえる潮流が生まれています。その流れに在るのが、曽根俊虎であり、宮島詠士であり、木村武雄といった面々です。雲井龍雄が単に歴史上の人物ではなく、今という現在から未来へとつながる人物であることを実感したく思います。
 なお、今回の吟行で初めて吟じられる詩も多くあります。それらの節調は、現在の指導者橋本櫻岳によります。

雄飛せよ!龍雄の詩魂 反省会.jpg

左より、鹿又源岳会長、ナレーター担当 高橋紫風さん、指導者 橋本櫻岳さん   



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