SSブログ

安藤礼二『井筒俊彦 起源の哲学』 [小田仁二郎]

『井筒俊彦 起源の哲学』.jpg安藤礼二『井筒俊彦 起源の哲学』に小田仁二郎への言及があった。

『触手』冒頭の引用の後、井筒による小田文学評価の視点、《視覚をはじめとするありとあらゆる身体感覚が一つに混交し、描写はミクロからマクロまで、過去と現在という時間の隔たりを完全に無化してしまうように、自在に往還する。井筒俊彦が文学表現の極として考えていたのは、そのような世界である。井筒が求めた、表現の根源にして、意味の根源でもある。》

*   *   *   *   *

・・・二人(井筒俊彦と妻豊子)の間には、愛と憎の区別がつかないような感情が行き来していたはずである。それは生涯を通じて変わらなかったのではないかとも思われる。

 そのような関係性のなかでも、俊彦は、つねに豊子の創作を全面的に支えていた。俊彦が、豊子に文学のかけがえのない先達として紹介し、師事を命じたのが、当時、瀬戸内晴美(後の寂聴)のパートナーであった小田仁二郎である。瀬戸内の証言によれば、俊彦は特に、仁二郎の「触手」を高く評価していたという。「触手」では、ほとんど物語らしい物語が描き出されない。そこには、ただ「私」の鋭すぎる諸感覚だけが抽出されている。たとえば、その冒頭は、こうはじまっていた(以下、一九七九年に深夜叢書社から刊行された『触手』収録のものから引用する)──。


 私の、十本の指、その腹、どの指のはらにも、それぞれちがう紋々が、うずをまき、うずの中心に、はらは、ふつくりふくれている。それをみつめている私。うずの線は、みつめていると、うごかないままに、中心にはしり、また中心からながれでてくる。うごかない指のはらで、紋々がうずまきながらながれるのだ。めまいがする。私は掌をふせ、こつそり、おや指のはらと、ほかの指を、すりあわせてみる。うずとうずが、すれあう、かすかな、ほそい線と線とがふれる感覚。この線のふれるかすかなものに、私は、いつのまにか、身をしずめていた。せんさいな、めのくらむ、線の接触。


 視覚をはじめとするありとあらゆる身体感覚が一つに混交し、描写はミクロからマクロまで、過去と現在という時間の隔たりを完全に無化してしまうように、自在に往還する。井筒俊彦が文学表現の極として考えていたのは、そのような世界である。井筒が求めた、表現の根源にして、意味の根源でもある。俊彦は、豊子に、そのような世界を文学として定着することを求めた。豊子は、その返答として、自らの文学の主題として俊彦を描き続けた。

安藤礼二. 井筒俊彦 起源の哲学 (pp.20-22). Kindle 版.


nice!(0)  コメント(1) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 1

めい

日経書評
井筒俊彦 起源の哲学 安藤礼二著

「憑依」に見出す巨人の特質

2023年10月28日
世界的な哲学者である井筒俊彦(1914〜93年)については、その「巨人」としか言いようのない全貌を捉えることの困難さゆえか、まとまった論考は未(いま)だほとんど発表されていない。画期的なモノグラフであった若松英輔『井筒俊彦 叡知の哲学』の刊行から10年以上の時を経てこのたび刊行された安藤礼二『井筒俊彦 起源の哲学』は、世界思想史の中に井筒を位置づけるための豊かな手がかりを与えてくれる好著である。

日本語と英語によって紡ぎ出された井筒の膨大な著作群の全体を読み解くところから生まれてきた本書のキーワードは、タイトルにも含まれている「起源」という言葉である。安藤は、西脇順三郎、折口信夫、大川周明といった日本近代思想史を彩る大物との出会いに井筒哲学の「起源」を突き止めつつ、その特質を、哲学・文学・宗教の「起源」に「憑依(ひょうい)」を据えるところに見出(みいだ)す。

「憑依」とは、霊などがのりうつることを意味する言葉である。哲学の発生について論じた井筒の『神秘哲学』は、舞踏の神にして陶酔の神ディオニュソスの憑依を古代ギリシアにおける哲学の「起源」として見出し、宗教の発生を論じた『マホメット』は、ムハンマドに対する神の憑依にイスラム教の「起源」を見出している。

「憑依」と言われると、非日常的で極めて特殊なもので、日常的な世界とは無縁だと思われるかもしれないが、そこにこそ我々の日常生活にとって不可欠な「言葉」の「起源」があると捉えるところに、安藤によって捉えられた井筒の世界の魅力がある。そして、「憑依」概念を通じて、イスラーム思想を軸とした井筒哲学と、井筒の師の一人でもある折口信夫の神道的な思想世界との深い響き合いが開示され、日本語の思想世界を世界思想史と接続する道が開かれることによって、本書そのものが、人類の総合的な思想史を構築していくための新たな「起源」となっている。

井筒のテクストを丁寧に解読するのみでなく、関係者への丹念なインタビューを通じて、自らについて語ることに抑制的であった井筒の家族との関わりについても新たな知見を提示してくれる本書は、井筒の全体像を浮き彫りにするための「起源」となる一冊として、長く読み継がれていくだろうこと、間違いない。

《評》東京大学教授 山本 芳久


by めい (2023-11-05 08:52) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。