SSブログ

飯田進『魂鎮への道』 [本]

魂鎮への道.jpg小さいころ、昭和30年前後、夏休みになると山の湯治場(滑川温泉)へ祖父母に連れられて何日かをすごした。ある晩、廊下を隔てた向かいの部屋、大声で語る戦地中国での武勇伝がいやでも耳に入ってきた。「何人殺した」とか「女をどうした」とかの話で、子ども心にも強烈だった。おぞましい記憶だ。その記憶がよみがえった。

『魂鎮への道―BC級戦犯が問い続ける戦争の著者飯田進氏が死刑を求刑されたのは、ニューギニアにおける所業のゆえだった。《中国戦線で日本軍がなにをしたか。ぼくはニューギニアの密林のなかで、いやというほど兵隊たちから話を聞いています。兵隊たちは、歩兵部隊の兵隊も憲兵も、ほとんど中国戦線から転用されてきた者たちでした。/兵隊の話といえば、女と酒が通り相場です。しかしニューギニアにはそのどちらもありませんでした。チョロチョロと燃える椰子油の灯火を囲んで、兵隊たちは中国戦線における討伐作戦や、スパイ容疑の住民の取り調べなどを得々として語っていたのです。いまここで言葉では再現することがはばかれる行為が、いたるところで行われていたのです。》(205p)中国戦線においては武勇伝として語り得たことも、ニューギニアの戦線においてはなにもかもが《ひじょうに重くて陰鬱な、目をそむけたくなるような内容の話》(3p)ばかりであった。《ニューギニアのジャングルは、人間が住める環境ではありません。・・・そこに大本営は、つぎつぎに20万人もの大軍を送り込み、その大部分の兵隊を餓死させました。》(19p)そうした地獄の果ての敗戦、《アジア各地で、いわゆる戦場犯罪に問われたBC級戦犯裁判が行なわれました。50ヶ所もの臨時軍事法廷で、実に一千名からの旧軍人・軍属が死刑に処され、また四千名近い者が有罪の宣告を受けています。》(4p)著者も判決は終身刑だったが、死刑を求刑されたひとりだった。それに至ることどもを語ることは「つらい作業」である。《しかし無念の思いをいだいて刑死した人々の魂鎮のためにも、やはりぼくは「手負いになる勇気」をふりしぼらなければならないのかもしれません。たしかに生きているうちに果たさなければならない、これはぼくの義務なのでしょう。》(3p)そうして書かれた重い著である。文庫で382ページのこの著、著者の意思にどう応えうるかを思いつつ、(たまたま入院中の身でもあり)一気に読まされた。

飯田氏によってつきつけられた問題、私には「天皇の戦争責任問題」を最も重く受け止めた。小野田寛郎さんの言葉が提示される。《「敗戦後日本人は誰も天皇の責任について言及しなかったようだが、天皇は自ら責任をとるべきだった。(中略)そこんところをあいまいにしたことが今の無責任時代の源流になったのではないか。」》(264p)「無責任時代」の内実とはこうである。《国家とは倫理的理念の実現をめざす政治的共同体である、と言われています。だが戦後の日本のどこに、国家としての倫理的理念があったでしょうか。日本はまさに倫理的規範を見失ったまま、精神的・心理的に、いわば閉塞状態に置かれ続けてきました。》(314p)そして言う、《日本が、自らの恥部を白日の下にさらけだし、そのあやまちを正していく国家、民族としての勇気をもち得るかどうか》(316p)。この言葉、著者の「手負いになる勇気」に裏付けられてわれわれに求められた問いと受け止める。ここを「わがこととして」掘り下げること。

とりあえず、かつて『神やぶれたまはず』を読んでこう書いていたのを思い起こした。https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-05-17-5https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2014-01-10https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2014-01-04

 

*   *   *   *   *

 

昭和208月のある一瞬――ほんの一瞬――日本国民全員の命と天皇陛下の命とは、あひ並んでホロコースト(供犠)のたきぎの上に横たはっていたのである。》(p.282

 

国民は、その一瞬が過ぎるやたきぎの上からたちまち降り立ち明日から生きてゆくための行動を開始した。薪の上に載った一瞬などその時だけの一瞬に過ぎない。そんな記憶は時間と共にどんどん遠ざかってゆくだけだ。そうしてあっという間に68年が過ぎてしまった。

 

しかし、国民にとっては「ほんの一瞬」であった 「この一瞬」は、昭和天皇にとってはその後の生を通して背負い続けなければならなかった「永遠の一瞬」だった。

 

いまあらためてあの一瞬からいままでの時の流れをふりかえるとき、あの一瞬が夢だったのか、はたまたあの一瞬を忘れて過ぎ去った68年の時の流れが夢だったのか。長谷川氏の「神やぶれたまはず」を読んだいま、私には過ぎ去った68年の方が夢だったのかと思えてしまう。

 

昭和天皇はその間、われわれにとってたちまち過ぎたあの一瞬を夢ではない現実として、たきぎの上から降り立つことのないまま昭和を生きて、平成の御代へとバトンを引き継がれていったのではなかったか。薪の上に在りつづけた昭和天皇のお姿こそが夢ではない現実ではなかったのか。そのことを抉り出してみせてくれたのが、他ならぬ「神やぶれたまはず」であった。民よ、再び薪の上に戻れ。そこで「神人対晤」のかけがえのなさを知れ。確たる現実はそこからしか始まりようがない。さもなくば日本人の精神はとめどないメルトダウンに抗すべくもなし。あの一瞬に目を瞑っての日本再生は、かつて辿った道を遡る道に過ぎない。

 

*   *   *   *   *


飯田氏、小野田氏の意思に徴しつつ、あらためて考えてみたい。


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。