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論理的思考の危うさ→「世界を認識するのは習熟による」(吉本隆明) [mespesado理論]

純粋に論理的に演繹される形式科学には強くても、基礎情報それ自体の真贋についても正しい知識を自力で探そうとする態度を持たないと、経験科学の世界ではまんまと騙され、真実からかけ離れてしまう、という恐ろしさ》
ふと浮かんだのが吉本隆明『初期ノート』の言葉、人間が他人を認識するのは習熟によってであり、その習熟が如何なる種類のものであっても、この原則は正しく適用されて誤らない。》『初期ノート』試行出版部p.139「他人」を「世界」に代えてみた。
この言葉で検索して見つけたサイト→「『初期ノート』解説」https://syoki-note.hatenadiary.org/entry/20090520/1242826089mespesadoさんの文章の後ろに転載しておきます。
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390 名前:mespesado 2023/09/24 (Sun) 11:49:24
ワク推しで、晩節を汚したリチャード・ドーキンズ
https://blog.goo.ne.jp/zaurus13/e/2b00087fbe4e51119ec0f554072bb6e7
↑一部で有名なザウルスさんの記事なのだが、何と、あの往年のポピュラーサイエンスの名著『利己的な遺伝子』で有名なリチャード・ドーキンズがワ○チ○推進派の学者だった、というのである。
 私も、このザウルスさんと同様、ドーキンズ氏のこの種の著書は出る傍から片っ端から原書で購入して読みふけったものだ。なのに、そのドーキンズ氏がワ○押しだったとは…。私もショックだった。なぜ、かくも懐疑主義でかつシロウトに対してもすばらしい説明力を持った偉大な学者がワ○チ○にコロッと騙されたのか…?
 もちろん知ってて闇側に転んだだけかもしれない。そういう可能性もあるけれども、ふと本当にワ○チ○を信じていたかもしれないのではないか、と思い直した。
 というのは、この利己的な遺伝子論、経験科学(empirical science)の一つではあるのだけれど、ちょっと数学みたいな形式科学(formal science)なところがあると前々から思っていたからだ。というのは、「遺伝子はあたかも意思を持って自分がコピーを増やしたがっているかのように行動する」というのが利己的遺伝子論のキモなのだが、これ、観測結果から導かれた原理というよりは(もちろん観測結果とも整合的ではあるのだが)、純粋に理屈だけからでも演繹できる原理だからだ。
 私がここの掲示板で当初「正しい貨幣論」を延々と語っていたけれど、これって経験とか関係なく、純粋に論理だけで演繹できる話であって、実際「すまん寝」さんというツイッターアカウントの人も数学出身で、同じようなことを主張していたのだが、同じ人が、コロナが世の中に出てきた途端にコロナ騒ぎにまんまと騙され、ワ○チ○も当然のように打ち、その副反応に苦しんでしまう、という目に遭ってしまったのだ。つまり、純粋に論理的に演繹される形式科学には強くても、基礎情報それ自体の真贋についても正しい知識を自力で探そうとする態度を持たないと、経験科学の世界ではまんまと騙され、真実からかけ離れてしまう、という恐ろしさがあり、それはどんな著名な科学者であっても例外ではないのだ、ということをドーキンズの例は示している、ということなのではないだろうか。


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横山仁

niceのボタンが効かないので、こちらにしました。
吉本隆明氏について、あらためて、学ぶことができました。
by 横山仁 (2023-09-26 16:35) 

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