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米沢興譲館高校同窓会 [日記、雑感]

興譲館同窓会2023.9.16 .jpg令和5年米沢興譲館同窓会に宮内支部長の立場で出席してきました。左の写真同じテーブル、左から斎藤榮助米沢支部長、横山彰人東京支部長、中川勉関西支部長、田林皓一宮城支部長。中川、田林君は同級生です。中川君とは卒業以来はじめて。同じクラスになったこともなかったけれども、支部長会議の時から2次会まで、共通の話題も多く親しくいろいろ話したのに、高校時代の顔がどうしても浮かばない。むこうはこっちを思い出してくれたようだが、こっちは悶々としたまま別れた。実は、昨日の記事(https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2023-09-16-2)と坪内氏の文章、同じ同級生の木村武雄の息子政信君にもし会えればとコピーして持って行っていたのだが、なんと中川君の実家が木村武雄宅の真向かい(免許町)で政信君とは兄弟のようにして育ったとのこと。今日(17日)政信君と会うことになっているとのことで、そのコピーを託したのだが、それでも昔の顔が出てこない。それが米沢から宮内に向かう帰りの車の中で忽然とその顔が浮かんできた! 中川君、これを読んでたらごめん、高校時代のプクッとしたかわいらしい童顔を思い浮かべながら書いてます。
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尻高邦夫氏.jpg400名近い懇親会参加者だったが、私の隣が最年長の尻高(しったか)邦夫氏、昭和8年生まれ。一昨日満90歳になられたとのこと。群馬県沼田に尻高城を構えていた尻高氏の末裔で、上杉景勝公会津転封の際、上杉に従った。(「尻高氏」http://www2.harimaya.com/sengoku/html/siri_k.html)三十何代尻高家の四男の邦夫氏は、」群馬大学卒業後、製紙に関わる特殊な繊維関係の技術者で宮内発祥の羽陽産業も顧客だったとのこと。奥さんを亡くされてから米沢の高齢者マンションを購入して、身の回り全てひとりでやっておられる、その矍鑠たる姿勢の見事さにひたすら敬意。米沢有為会への貢献もただ事でない。「これまでいくらぐらい?」の問いに「800万ぐらいかな」とさりげなく。さすがいろんな方が挨拶に来られていた。ちなみに奥さんは内閣府勤務で、吉田内閣以来ずっと金庫番だったそうです。

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