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『ニーチェのふんどし』を読む [本]

昨日、In Deep最新記事「みんな同じなクローン社会に生きる」https://indeep.jp/welcome-to-the-clone-world/ を読んで、藤森かよこ著『ニーチェのふんどし を思った。今日読んだIn Deep、さらに踏み込む。昨年10月の記事がリンクされている。私は最近「ブースター」が展開された後のマンハッタンに行き、そこで奇妙な経験をしました。/ブティックホテルの屋上にある混雑した屋上バーに私は立っていました。テーブルの上でいちゃつく魅力的なカップル。シングル客はカクテルをかき混ぜていました。/空には太陽が輝いていて、すべてが正常に見えました。/しかし、私はホログラムの中に立っているような戸惑いを感じ続けていました。気がつくまで、何に戸惑いを感じているのか理解できませんでした。/それに気づいたのです。彼らは群衆のように見えましたが、群​​衆のようには感じませんでした。もちろん、たくさんの人々がそこに実際にいます。しかし、2020年以前のマンハッタンにあったような人間の群集の、つまり濃密で、喜びに満ち、情熱的で、キラキラした、激しいエネルギーを感じることができなかったのです。》それはなぜか。それはパンデミックへの対応だった。すべてのポリシーは、人間関係を壊すように構成されていた。人間という存在は、病気の媒介者に他ならないとされた。みんなそれぞれが離れろ! 人と人は近づくな! 独りになりなさい。孤独になりなさい。それが唯一の適切な方法だと繰り返された。》

ニーチェのふんどし.jpegそこであらためて、『ニーチェのふんどし いい子ぶりっ子の超偽善社会に備える

強く心に残ったのがここだ。《オイディプス王はアポロ的な生き方をしていたのに、ディオニソス的なるものに動かされ、結局は罪を犯した。彼は運命に翻弄されながらも懸命な生き方を模索した。しかし、その結果として、父を殺し母を自殺させ国を疲弊させた。その結果を彼は引き受け、盲目となり乞食となった。オイディプスは自分の運命から逃げなかった。彼の姿には、「超地上的な明朗さ」がある。彼の人生の悲惨さは「無限の浄化」に達している。いかに努力しようと、知恵を尽くそうと人生は過酷な結果を招いてしまうかもしれない。それでも、そのような自分の生を引き受け生き切ることに尊厳があるし、真の高貴さがある。》(154p)ところが、ソクラテスの登場によって、ギリシア悲劇は矮小化される。《主人公たちは、自分の心を引き裂くアポロ的なるものとディオニソス的なものに激しく苦悩するようなタフさがない。苦悩できるだけの能力がない。苦悩できるだけの人間としての大きさがない。知的に考察すれば正解を導くことができると信じているほどに小賢しい。そんな計算や思慮を吹き飛ばすようなことが人間の人生には起きるし、人間とは理知に飼いならされるほどに柔な存在ではないという洞察もないという意味で、人生と人間を舐めている。》(156p)ニーチェの『悲劇の誕生』の鉾先は、ソクラテス的楽天主義の象徴としての近代科学批判に向かうのだが、著者にとってのターゲットは「ホワイト革命」だ。《現代という時代が退屈でつまらないのも無理はない。アポロ的なるもので満たされているから。ディオニソス的なるものについては見て見ぬふりをしているから。そして近未来には、「ホワイト革命」というアポロ的なるものをもっと矮小化した精神によって小ぎれいな箱庭化した超偽善的社会が到来する。》(158p)きっとそうにちがいない。《強者へのルサンチマンから生まれた道徳や大義が作り出す世界は、一見いかにユートピアに見えても、嘘まみれのディストピアである》(195p)のだ。そこに在るのは《退屈な末人の人生》(209p)だ。「結語」に言う、《ホワイトな人々は、ホワイトであることこそが最高の価値として考え、人間の多様性や複雑性を受容できない。彼らや彼女たちの価値観は固定化される。そう言う人々は価値観だけではなく美意識の幅も狭くなる。だから、自分や他人に求める容姿も類型的になりやすく、外見至上主義に陥りやすい。》(219p)まさにその結果としての「みんな同じなクローン社会」というわけです。

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愛国心の死

The Death of Patriotism
Jeffrey Tucker 2023/03/31

ウォールストリート・ジャーナルが実施した世論調査で、非常に興味深い結果が得られている。

1998年から現在の 2023年まで、「愛国心が重要な価値である」と考えているアメリカ人の割合は、1998年の 70% から 38%に激減した。下落の大部分は 2019年以降に起こっている。

より多くの結果については後で説明するが、最初にこの愛国心の問題に焦点を当てよう。

このウォールストリート・ジャーナルの世論調査は、愛国心とは何かを回答者に定義するのではなく、その言葉を反映している。それは単純に自分の国と故郷への愛を意味する場合もある。

そのような数値が極端に落ちたというのはリアルかもしれない。アメリカは、この 3年で自由を第一原則とすることをやめたわけで、愛国心を持つ人が急減したことは信じられる。

実際、学界から主流派にまで広がり、アメリカの歴史とその功績を嫌う文化運動が拡大している。今では最悪の名前と呼ばれることから「建国の父」はいない。この国で「憎悪」は、当然のこととして高まり続けている。

しかし、問題はさらに深刻だ。

あなたが家に閉じ込められ、会社が閉鎖され、教会が閉鎖され、隣人があなたにマスクをするように叫んでいるとき、そして医者はあなたが望まないワクチンをあなたに打ち、さらに外出を妨げられた。国の大統領が、予防接種を受けていない人々を敵と呼ぶようでは、確かに、祖国への愛情が低下することは想像できる。

アメリカ人は彼らの制度への信頼を失った

しかし、愛国心のもう一つの重要な柱がある。それは、国の市民制度への信頼に関するものだ。これらには、学校、裁判所、政治、およびあらゆるレベルのすべての政府機関が含まれる。

これらに対する市民の現在の信頼は確実にどん底にある。

裁判所は私たちを保護しなかった。学校、特に公立学校は閉鎖された。これは、進歩主義イデオロギーの最高の成果であると考えられている。私たちの医者は私たちの意見に反対した。 (※ ジェフリー・タッカーさんは 2020年からマスク着用や社会的距離などを否定していたためだと思います)

そして、メディアは市民文化の一部であるとあなたが考えているとしよう。

少なくとも、かつて、メディアは常に私たちが人として考えるべきことの代弁者だった。

そのアメリカのメディアも 3年間、私たちが開催したパーティーを集団感染促進イベントと呼び、礼拝を行っていた牧師たちを嘲笑し、ライブコンサートを悪者扱いし、誰もが家にいてネットの動画にくぎ付けになるように叫んだ。

しかし同時に、メディアはジョージ・フロイドの死を受けて大規模な抗議行動を助長した。この論理、またはこの理論の欠如について考えてほしい。

これらのようなジョークは、関係するすべての機関に対するアメリカ国民の敬意を弱める傾向がある。特に、これらのポリシーへの反対が、データと友人のネットワークが、信頼するはずだったすべての機関によって検閲された場合はなおさらだ。

すべてが完全に所有されていることが判明したわけだ。

新しい愛国心

その間ずっと、愛国心に対する国民の支持は、基本的な権利と自由を否定するために乱用された。

彼らメディアの言う愛国心とは、家にいて安全を保ち、マスクをし、社会的距離を保ち、どんなにばかげていてもあらゆるランダムな布告に従い、最終的には 1回、2回、3回、それ以上、あるいは永遠に注射を突き刺されることを意味すると考えられていた。

憲法はしばらくの間、デッドレター (※ 配達先に届かず、郵便局で保管される手紙など)になった。

他の国からのアメリカへの訪問者たちは、すべての人に遵守を要求する当局の半分の予算を提供する会社によって作成および配布されたショットに服従しなければ、アメリカ国境に入ることができなかった。そして、依然としてそうだ。

さらには、これ (※ コロナ)は明らかに季節性の呼吸器感染症であり、ロックダウンが始まる少なくとも 1か月前にわかっていたという事実のために必要であると考えられていた。

パニックにならず、ただあなたの医者を信頼してくださいと。

しかし、ロックダウンによって、この種のウイルスに対して有効であることが知られている治療法で患者を治療する自由も医師たちから奪われた。

代わりに、私たちは通常の生活をすべて保留にし、魔法の解毒剤が近づいていると思われるのを待つことを期待された。嫌われている大統領が席を外すまで到着しなかったとき、それはまったく解毒剤ではないことが判明した。

せいぜい、それは深刻な転帰に対する一時的な緩和だった。それは確かに感染や広がりを止めなかった。とにかく起こったことはすべて、愛国心の名の下に行われた莫大な犠牲がすべて無駄だったことを示している。

失われた信仰

このようなことから、最近の大衆がそれほど愛国心を感じていないことは驚くべきことではない。

確かに、これは多くの点で非常に悲しいことではある。しかし、愛国心が国家や産業界に乗っ取られ、私たちの希望や夢が打ち砕かれたときには、このようなことは起きる。

私たち人間は過ちから学ぶ傾向がある。

そのため、世論調査員が愛国心を感じているかどうかを尋ねると、人々が「そうでもない」と答えるのは不思議なことではない。

他の世論調査の結果についても同じことが言える。

宗教の重要性は 1998年の 62%から 2022年には 39%に低下した。ここでも大部分の急落は 2019年以降に発生した。その頃、アメリカがすでに世俗化の傾向にあったことは間違いない。

しかし、イースターとクリスマス (またはさまざまな人たちが祝う祝日)の 2つの連続した季節が、主流の宗教指導者たちからの全面的な協力を得た上で、市民エリートによってキャンセルされたとき、私たちはどう考えるべきだったのだろうか。

宗教の全体的なポイントは、真実を見て生きるために、市民文化の世俗的な世界の外に超越的な領域に到達することだ。しかし、超越的な懸念が恐怖と世俗的な遵守に取って代わられると、宗教は信頼を失う。

いまだに信仰を持っている人を見つけたい場合は、信仰について本当に真剣に取り組んでいるグループ、つまりハシディズム、アーミッシュ、伝統主義者のカトリック教徒、モルモン教徒などくらいだろうか。

しかし、メインストリームの宗派では、信仰を持っている人はそれほど多くはない。メディア、テクノロジー、政府と同様に、彼ら宗教関係者も全員が完全に所有されていることが判明した。

若者はもう子供さえ欲しくない

世論調査の最終結果では、子供を持つことの重要性は 59%から 39%に下落し、地域社会への関与の重要性は、ロックダウンの最盛期に 62%でピークに達し、驚くべきことに、その後、 27%に低下した。

繰り返しになるが、このようなことになった犯人は非常に明白だ。

それはパンデミックへの対応だった。すべてのポリシーは、人間関係を壊すように構成されていた。人間という存在は、病気の媒介者に他ならないとされた。みんなそれぞれが離れろ! 人と人は近づくな! 独りになりなさい。孤独になりなさい。それが唯一の適切な方法だと繰り返された。

なお、ほとんどの価値観が下落している中で、上昇しているものの中に「お金」がある。これはおそらく、実質所得がこの 2年間の大半で減少しており、インフレが私たちの生活水準を蝕んでいるためだろう。

繰り返すが、パンデミック政策が犯人だ。

彼らは数兆ドルを費やし、紙幣印刷業者はほぼ 1ドルに相当する額を支出し、以前は信頼できた通貨の価値を低下させた。

 正直な計算が必要だ

世論調査で苦労するのは数字ではなく解釈だ。

今回の結果は、ニヒリズムと貪欲の奇妙な霧として見られており、まるでそれが完全に有機的な傾向で、誰も制御することはできないようにさえ見える。

しかし、その解釈は間違っている。このようになったのには、明確な原因があり、それはすべて前例のない同じ悪質な政策にまでさかのぼる。

何が起こったのかについて、私たちはまだ正直ではない。そしてそれを手に入れるまで、文化や国民の魂への重大な損傷を修復することはできない。

私たちは危機の時代に生きているが、その危機には特定可能な原因と解決策がある。人々が率直にそれを話さない限り、状況は悪化するばかりだ。

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「脂質ナノ粒子は人間を微妙に変えているのだろうか?」より抜粋

Lipid Nanoparticles: Are They Subtly Changing Human Beings?
Dr Naomi Wolf 2022/10/05

……私は最近「ブースター」が展開された後のマンハッタンに行き、そこで奇妙な経験をしました。

ブティックホテルの屋上にある混雑した屋上バーに私は立っていました。テーブルの上でいちゃつく魅力的なカップル。シングル客はカクテルをかき混ぜていました。

空には太陽が輝いていて、すべてが正常に見えました。

しかし、私はホログラムの中に立っているような戸惑いを感じ続けていました。気がつくまで、何に戸惑いを感じているのか理解できませんでした。

それに気づいたのです。彼らは群衆のように見えましたが、群​​衆のようには感じませんでした。もちろん、たくさんの人々がそこに実際にいます。しかし、2020年以前のマンハッタンにあったような人間の群集の、つまり濃密で、喜びに満ち、情熱的で、キラキラした、激しいエネルギーを感じることができなかったのです。

その後、街を歩き、その印象を確かめました。

いつものようにマンハッタンのたくさん人々が歩道に押し寄せていましたが、彼らは「写真のよう」なのです。明るい服を着た幽霊のようなのです。巨大なエネルギー場、つまり脈動する人間の発電機としての以前のマンハッタンの感覚、何世代にもわたる新参者たちを刺激した、あの電気のようなエネルギー は、単になくなっていました。

全体的なエネルギーがなくなっただけではありません。マンハッタンの人々の性的エネルギーである「モジョ」もなくなっていることに気付きました。

かつてマンハッタンは、人々のリズムであふれ、お互いの道を行き来することは魅惑のダンスのようでした。街にビートがありました -- セクシュアリティと創造性と喜びの人間のビートです。

男と女――女と女、男と男――今はほとんど顔を見合わせていない。

あの魅惑のダンス、浮気のひらめき、マンハッタンの街が通りすがりの見知らぬ人の間で常に屈服し、この街が始まって以来維持されていたセクシュアリティの遊びそのもの――は非常に控えめで薄められており、かつての情熱を感知したり見たりするのはまったく困難でした。

私がレストランやホテルに足を踏み入れると、訪問者に挨拶する任務を負った美しい若い女性たちは、19世紀の交響詩『死の舞踏』のシーンのダンサーたちのように見えました。

彼女たちは一様に顔色が淡い、あるいは黄色がかった、または顔色が灰色がかっていました。彼女たちは目の下にクマを持っていました。

人間が求愛してきた、血色の輝き、健康の輝き、性的エネルギーはすべて魅力的であると考えられてきましたが、それらはすべてなくなりました。

群衆の様相そのものが変わっていました。

ヤングアダルトたちは足を引きずっていました。最近の時代では元気だった四十代から五十代の男女が、八十歳のように動いている。

あらゆる年齢の膨大な数の人々が、動くのが苦痛であるかのように歩いていました。十代の若者や年長の子供たちでさえ、ゾンビやロボットのように動き、エネルギーを感じず、漂流しているように見えました。

小さい子供たちは暴れたり走り回ったりしていませんでした。子どもたちは公園のベンチやレストランでぼんやりと座っていました。または、彼らは両親のそばで小さな亡霊のように漂い、何にも集中していませんでした。

これは何? 人類に何が起こったのですか?


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