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「近代文明の本質」(維新の会批判/国民民主党への期待) [緊急事態条項]

mespesadoさん紹介の「菊池さんという方の長編の哲学的論考」https://twitter.com/kikuchi_8/status/1464374139402088451から拾い書きしました。読みつつ、書いておかねばならないことに思い至ったのでそのことから書きます。

やすえちゃん2021.11.26.jpg26日、舟山康江議員も出席して南陽市後援会の会合がありました。国民民主党と維新の会の接近が大きな問題になりました。維新の会と一緒に動くようならこの会から離れざるを得ない、との強硬意見も出ました。以下、やすえちゃんの弁明です。《自民党もダメ、野党もダメと言っているところで、特に大阪を中心として、まさに改革という心地のいいことを言いつづけてきた日本維新の会があのように大きく躍進したのではないのかなと思っています。ただちなみに、山形県におきましては維新がさほど伸びてはいない。やはり多分これは、冗談ではなくですね、明治維新の記憶が東北のわれわれには残っているんじゃあないかと思うんですよね。維新にしてやられた、みたいなね。そういったところもあって、維新はそんな・(?)・もっと言えば、2012年とか2013年には、このあたりには維新全国的にけっこう支持率が高かったんです。それを考えると、今回、維新躍進躍進と言ってる割には大して躍進していないというのも事実ですので、報道にごまかされない方がいいかなと思っております。・・・・・国民民主党の立ち位置についていま非常に疑念を持たれている、こんな状況にあると思っております。その発端は、選挙戦の翌日、11月1日に毎日新聞に「国民民主党、維新との連携を模索」といった、こういうふうな報道が出たことがひとつの発端ではないのかなと思っています。実はこの時に、玉木代表は一言も維新との連携ということは言っておりません。そういう中でこの報道に対して、抗議をしまして、訂正記事も出ております。玉木さんが言ったのは、ひとつは、立憲、共産、国民と衆議院の国会対策でいつも連携していたんですね。要は、与党に対して野党で、国会運営にあたって連携をしていくというところで、衆議院では、立憲、共産、国民が連携しておりました。そこの枠組みから抜けますと言ったことがひとつ、そしてその上で、どの党とも等距離で、まさに、今回まがりなりにも議席を増やさせていただいたのはやっぱり自分たちの「対決よりも解決」改革中道路線が一定程度評価いただいた、という中でまさに、立憲、共産の枠組みから外れて、その中立の立ち位置に立ち、どこの党とも政策本位で連携していきたいと、その中に維新も入るのかというところで、維新にも連携を呼びかけていきたいというところが、まさに維新との協力連携というふうに報道なにった。そういうことでありまして、繰り返しになりますけれども、抗議の結果、それが訂正をされ、それを書いた記者は担当を外されて飛ばされたということもありますので、あらためて今日申し上げたいのは、もうそれ以上でもそれ以下でもありません。政策本位で、まさにどの党とも等距離でしっかりと連携をしていく、政策実現に向けて動いていくというこれだけでありますので、維新と共同会派を組むとか、維新と行動を共にするとかということは一切ございませんし、私自身も特に、山形においてはさっき言ったように維新の票は全く伸びていないわけですから、そういう中で、変な話、維新と組めばものすごくお得かも(?)という話があれば、ほんとにもういろんな野心を持ってそういうこともありうるかもしれませんけれども、特にそういった状況もない中で、維新と組むということはありえません。》ただ、ガソリン価格高騰の中での「トリガー条項凍結解除」に向けた法案提出について、日本維新の会と調整に入ったことが付け加えられた。(ガソリン高騰にリッター25.1円課税引き下げ「トリガー条項凍結解除」法案提出で国民と維新が調整

実は「菊池さんという方」の議論を読みつつ思ったのが「新自由主義(ネオリベ)の権化」ともいうべき「維新の会」だった。「近代文明の本質」としての「効率第一主義」、それにどっぷりはまる維新の会。今まさに問題にすべきがそれなのだ。その意味で「維新の会」アレルギーは正常な感覚だ。そんなわけで、やすえちゃんの言葉をきっちり記しておきたかった。

もう一つの維新の会への危惧が「改憲」志向。いまその先に見えるのが「緊急事態条項」で、「占領憲法」問題は一義性を失っている。国民民主党の踏ん張りどころだ。維新の会に巻き込まれてはならない。菊池氏は言う、《緊急事態条項は憲法を停止し政府に独裁的権限を与える。改憲を絶対に許してはならない。》ここの26日の記事でもmespesadoさんが、中村篤史医師の意見を紹介しつつ問題にしたところだ。→https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2021-11-26

国民民主党政策パンフ 1.jpeg国民民主党にさらにもうひとつ言っておかねばならないのが、財源問題。政策パンフ、景気良く「積極財政」を打ち上げつつ、その財源が見えない。やすえちゃんに言ったら「ちゃんと書いてますよ」ということで、「財源の多様化」というのがそうだった。国民民主党政策パンフ 2.jpegそこには「日銀保有国債の一部永久国債化」とあるが、これでは申し訳程度でしかないし、なんのことやらわからない。思い切ってMMTを打ち出さねば何も訴えない。できもしないことを並べているだけにしか見えない。三橋貴明さんと対談して高く評価されている玉木代表はわかっているはず。いろいろ事情もあるのかもしれません。しかし今後、れいわ新選組が核となって、自民党の一部と地方組織を巻き込んだMMT旋風が吹き荒れる。そうなれば維新の会はぶっ飛びます。その風に乗れるかどうか、というより、その風を巻き起こす力になれるかどうか、国民民主党の正念場と思っています。

26日のやすえちゃんとの会合のことを書かねばと思いついて長くなったが、今記事の本題は菊池氏の議論。かなりのボリュームですが、中味も十分濃い。タイムリーで大事なことがいっぱい書いてある。太字だけでもたどってほしい。

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「全体主義は駄目」と昔から教わってきたが、実際に全体主義が押し寄せてくると、批判的思考を失わずに抵抗出来る者は少ない事が露呈したのが、今の“コロナ禍”工作下の情勢である。同調圧力に屈して定期接種を唯々諾々と受け入れても未来はない。非接種者は勿論、接種者も今から気付いて抵抗すべき。
・「赤信号。みんなで渡れば怖くない。」という古いブラックジョークがある。「反ワク」と言って惑沈批判者・惑沈非接種者を差別する者の心理はまさにこれだろう。“多数派”の側にいるという安心感。たとえ「みんな」で渡ろうが、ダンプカーが来れば「みんな」お終いである。「赤信号」なら止まるべし!
・「反ワク」という言葉で非接種者を差別する連中と言えど、「有効期限」が過ぎれば「非接種者」と同じ扱いになる。ならば、永久に定期接種を受けるつもりか?遺伝子惑沈を何度も打てばいずれ体がもたなくなる可能性が高い。接種済の者であろうと、今からでも惑沈強制接種に反対しなければ、未来はない。
・イスラエルは惑パスに「有効期限」を定めている。「有効期限」が過ぎれば「非接種」と同様の扱いに。こうして「定期接種」に追い込む算段。接種回数が増える程危険が増す。拒否あるのみ。

黙示的終末思想の枠組みは大規模な人心誘導に向いている。西洋では社会不安が高まるとしばしば千年王国運動の類が勃発した。江戸初期の島原の乱の際には「デウスが今の世を滅ぼし天国を作る」という終末論的願望がキリシタン達を捉えたという。大本教など近代日本の新興宗教にも同様の傾向が色濃い。
「アセンション」は元々は基督教用語で「キリストの昇天」「天国行き」の意味があるようである。ニューエイジ思想では「(惑星地球の)次元上昇」という意味に解する。つまり、アセンション思想は基督教の「天国行き」を「次元上昇」と言い換えているが、思想的骨格は黙示録的世界観を引き継いでいる。
・日本は文化的背景が全く異なるので、基督教圏と同じようにはいかない。そこで裏権力が日本人を思考誘導するには、前述の基督教的世界観の代替物が必要となる訳である。例えば「(今の)世界の終焉」と「(“次元上昇”の有無による)魂の選別」を説く「アセンション」は黙示録的終末論の代替物である。
・黙示録を信仰する立場からは「予言の成就」と捉えるのだろうが、宗教の教義が社会システムの規定要因になるという宗教社会学の指摘があるように、宗教教典や預言書・予言書の類を「設計図」として支配体制をデザインするという事が考えられる。「NWO」という発想は宗教や秘教=オカルトに基くと分析。
・人間を番号で管理し「刻印」を持たない者は「売る事も買う事も出来ないようにする」というヨハネの黙示録を設計図としたかの如き発想である。「NWO=新世界秩序=全人類の家畜化=世界監獄体制」という発想の淵源は地中海・オリエント世界に発すると見る。国際秘密力の思想の源泉は全てかの地にあり。
・惑沈接種の狙いを分析。➀製薬利権で金を儲ける。②惑沈パスポートを発行し隔離政策を行う。惑パスの有無で人間を差別し、非接種者を社会から排除する。ヨハネの黙示録で言う「獣の数字」の具現化。→NWO=世界監獄体制への誘導。➂接種回数が増える程危険が増す遺伝子惑沈の定期接種による人口削減
・惑沈接種率ランキングの下から13か国は連続して「人口10万人当たりの1日の新規“感染者”数」が1人未満である。欧米など各国政府が「“感染拡大”阻止」を本気で考えているなら、これらの国々の要因を学ぼうとするはずだが、一向にそういう気配はない。この点からも惑沈接種自体が目的という事が分かる。https://graphics.reuters.com/WORLD-CORONAVIRUS/VACCINATION-TRACKER/jznvnyzjqpl/

・「惑沈で感染拡大を阻止出来る」という根拠の無い「デマ」を流すのは、「全人類に惑沈接種を強いる」という目的から逆算すれば「合理的」(目的合理主義的な意味で)なやり方である。だが、人道も本当の意味での合理的思考も無視している。このように道義を欠いた目的合理主義非道の極みにまで陥る。
・惑沈接種率が最低クラスの国々は1日の新規“感染者”数が世界最少レベルで推移しているのに、惑沈接種率が高い欧州で「感染再拡大」という時点で「惑沈に“感染”予防効果は無い」と判断するのが合理的思考というものだろう。惑沈による利益と支配を目的とする目的合理主義は人道と合理的思考を無視する。

・欧州だけでなく韓国でも「感染再拡大」との報道。日本でもその内に同様の「演出」が為される可能性があると危惧する。以前から今期の冬の「インフルエンザ大流行」が喧伝されている。要警戒!https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211122/k10013357311000.html

・一連の考察は「何故欧米先進国ほど全体主義化が急速に進むのか」について考える事から始まっている。それが基本的なテーマである。テーマが散乱して取り留めのない感じにならないように一応確認しておく。「自由平等」「民主」などの美辞麗句では捉えられない近代文明の本質を自分なりに考察したい。

「コスパ、コスパ」という発想しかない者は、終いには「〇〇は社会に不必要な存在」とか思い込むに至っても不思議はない。道理に適った目的の為に道理に反しない範囲(他人の尊厳を踏みにじらない等)で効率性を図る事は別に悪い事ではない。だが、効率性・コスパ「しか」判断基準が無いのは危ない。
・効率性を図る事が間違いと言っているのではない。効率性だけを唯一の基準にしてはならないと言っているのみ。人道的配慮を第一として効率化を図るのは別に問題ないと思う。だが、後者が前者に優先されてきたのが近代の歴史である。功利主義などの近代合理主義には人の心を腐らせる何かがあると思う。
・天然で藁人形をやる読解力の無い人は困る。「効率化」を掲げる事こそネオリベの利権屋の常套手段である。「小さな政府」と言って様々な公共部門を私営化させて利権構造を作ろうとする。水道私営化などが典型である。ライフラインは国民の命や生活を守る役割があるので、効率性の基準だけでは計れない。
・利権屋政治は「人道への配慮」とは真逆です。利権を貪っている連中こそ私が批判している対象である!彼らこそ「効率性」を隠れ蓑にしてやりたい放題やってきた。その事を批判している。趣旨をしかと読み取って頂きたい。
・行政のアウトソーシングは新自由主義政策の一環である。「個人情報を外国の私企業に渡してはならない」という判断は単なる効率性の問題ではなく、国民の権利保護や安全保障上の問題である。そこを第一に考えるのが統治者の責任である。今の政府は国民の方を向いてない。

・「産業組織の徹底した合理化」と「計算可能性を特徴とする貨幣の重視」というのは近代合理主義の中核的要素だと言える。ヴェーバー説とゾンバルト説はどちらも捨て難い。個人的にはどちらも当たっている部分があると見る。「カルヴァン主義と猶太教が近代主義の土壌となった」と推測する事が出来る。
・プロテスタントの中でもカルヴァン教徒が経済的な利益追求を至上目的とする徹底した合理化を行ない近代資本主義を形成したとするのがマックス・ヴェーバーの説。これに対しヴェルナー・ゾンバルトは猶太教の役割を重視した。主に金融業に従事する猶太教徒は貨幣という明確に計算可能な手段を重んじた。

・「近代の本質」という表現を使ったが、ここで言う「本質」とは実体論的な意味ではない。「本質=関係の網の目から生じる強力な性質」という意味で述べた。近代は組織的な大量殺戮や大規模な戦争で満ちている。これらの所行を可能にしてしまった条件の一つが、高度に組織化された近代的官僚機構である。

・「効率性」だけを基準にする事は国民の方を向かない政治に繋がる。それこそ「効率を上げる為に政府の仕事を減らして外注すればよい」という発想から外国の会社に個人情報を委ねるような事に繋がる。「国民の事を考える」のは単なる効率性とは別の基準。
・「立派な人格の人物を政府に送り込めば良い政治が行われる」という主張には条件が要る。「万が一立派な人格ではない者が政府に入っても不当な権力行使が出来ない仕組みがある事」である。立派な人格かを判断するのも容易ではない。例えばサイコパスは社会的に立派に見せる能力を持っている場合も多い。
・「権力を独占したい者」にとっての「非効率」は国民にとっての「非効率」と同じではない。「誰にとって」という主体を意識する事が重要である。政治家の人格は重要だが、個人の人格に依存し過ぎる政治はプラトンの哲人政治と同じで下手をすると独裁に繋がる。制度論も重要
誰にとっての「効率」かが大事。「効率」と「人格」は必ずしも関係しない。「不当な権力行使」にとって「非効率」であるのは、国民にとっては利益という事。権力の集中を防ぐのは権力を独占したい者にとって「非効率」という事であり、国民の権利を守る上では合理的である。
・個人情報の分立が情報の集中≒権力の集中の防止に繋がるという観点が極端に少ないと感じる。「便利=効率性」という観点ばかりが強調されている。効率性を唯一最大の価値基準とすると、人道すら切り捨てる事になり非道の極みに至るが、制度論としても「効率」だけで判断すると権力の集中=独裁を招く。

・行政・司法・立法の三権分立を中世的な多元的な権力構造を擬制したものと捉えてみる。三権分立を理論化したのは仏蘭西のモンテスキューとされるが、仏蘭西の大東社の志向は明らかに徹底した中央集権的な権力集中である。「効率性」が近代主義の本質とすると「非効率」な権力分散は明らかに異質である。
・三権分立など権力集中を防ぐ原理は近代主義のものと思われているが、最近の欧州の有様を見るにどうやらそうではないと感じる。そういった権力抑制の仕組みを次第に切り捨てて政府に権力を集中させるのが、最近の世界的傾向である。その究極が主権国家を廃絶した権力の一元化=世界政府という事だろう。
・「便利」という言葉は「本当は誰にとっての便利なのか」をよく考えるべきである。あらゆる機会を捉えて個人情報などのビッグデータを収集するのは、それが利益と権力を生むからに他ならない。情報の集中は権力の集中に直結する。情報の分散という「非効率」は、権力の集中を防ぎ個人を守る事に繋がる。
マイナンバーで様々な個人情報を紐付けるのは「便利」だと喧伝される。「便利」とは西洋近代文明が最大の価値基準とする「効率性」に通じる。「誰にとっての便利なのか」をよくよく考えるべきである。情報は権力に通じる故、個人情報やビッグデータを握る事は権力に繋がる。「支配に便利」という事。
・「三権分立」という原理は近代の原理というより近代的な官僚機構を抑制する為に中世的な原理を敢えて盛り込んだものに見える。実際、近代以前は日本でも欧州でも権力が多元的だった。三権分立は権力行使という観点では「非効率」である。だが、その「非効率」があるからこそ権力を抑制出来るのである。

西洋近代文明では前述の文明とは真逆の野蛮である。利益の為には人道を非効率として切り捨てる事も厭わない。口では「人道」を高唱し美辞麗句を並べ立てる。だが、それは利を得る為の狡猾な詐術に過ぎない。人を騙し人を支配する手段は増々巧妙化した。その究極がNWO。NWOとは謂わば野蛮の究極である。
・人道に配慮する事は目的合理主義的観点では「非効率」な場合がある。だが、そうした「非効率」を受け入れる事こそが真の文明の条件だと考える。道理・道義・人道要するに「道」が行われ「道」の為には非効率も甘受出来る事が文明人の証であると思う。そういう意味では今の世界は非文明の野蛮に堕ちた。
・何気なく使う「コスパ」という言葉で冷酷な目的合理主義的思考を刷り込まれる。「〇○は社会に不必要な存在」は「存在するのはコスパが悪い」という意味である。「コスパ」という言葉を突き詰めると非道の極みに到達する。西洋近代文明の根底にはそういう魔性がある。今の世界情勢はそれを証明した。

・フェビアン主義者は裏権力の本流に近い一派。そのフェビアン主義者が推進する優生学は裏権力本体の弱肉強食・優勝劣敗の教義を理論化したものと言える。優生学を支持するサタニストは裏権力の末端走狗である事が分かる。優生学は裏権力の本音として今も生きている。それが今や世界で全面展開している。
・ナチスシンパのサタニストが優生学を持ち上げていたが、優生学はナチス以前からフェビアン主義者やリベラル、社会主義者らの方が熱心に支持していた事を知らないのだろうか。優生学は当初は西洋ではどちらかと言うと左派的学問とされていたのである。自称リベが全体主義に加担するのも不思議はない。
・欧米先進国ほど全体主義化が進んでいるのは、前述の如き近代合理主義が全面展開しているからだと分析する。全体主義の萌芽は近代文明そのものに内在する。西洋の権力者や知識人はナチスやソ連だけを西洋文明の例外扱いするが、全体主義化した「人権の母国」仏蘭西の現状を見れば、その見方は覆される。
我々日本人は西洋の近代合理主義に冷たい印象を持つが、それは当たっている。東洋の学問で言う「理」を探求するとか「物事を道理に即して思考する」という事ではなく、「目的達成の為に手段を徹底して効率化する」という点に近代合理主義の本質がある。目的達成の為に人道が邪魔なら容易に切り捨てる。

・客観的データを無視する惑沈政策は実に非科学的である。もはやカルト宗教。惑沈教というカルト宗教が世界中で蔓延している。このカルトの入信者は喜んで異物を体内に注入し、異物注入の「イニシエーション」を受けていない“異教徒”を「反ワク」などの言葉で激しく罵倒し排斥する。まさにカルト信者。
・惑沈による利益の独占(所有)と惑沈パスポートによる管理統制(支配)の為に「人権」が容易に踏みにじられている。「自由」「民主」を掲げてきた欧米の先進国ほど全体主義化が進んでいるのは、このような「所有と支配への目的合理主義」という西洋近代文明の本性が全面展開しているからだと分析する。
・西洋近代文明の本質は「所有」と「支配」を最大の目的とする目的合理主義だと分析する。目的合理主義は目的実現の為の手段を最大限に効率化する事を含む。「自由」「民主」「人権」はその為に掲げるスローガンに過ぎない。人権への配慮は「所有」と「支配」の拡大の為には非合理・非効率と見なされる。

・「自由」や「民主」という言葉で欧米の権力者の残酷な本性は巧妙に隠されてきたが、今や完全に露呈した。「優生学」と言えば「ナチス」がすぐに連想されるが、優生学はナチスの専売特許ではなく当時の欧米で広まっており、社会主義者・リベラル・フェビアン主義者・進歩主義者らが熱心に支持していた。
・戦後のオーストリアはハプスブルク家の帰国を禁止するなど「民主主義国家」のポーズを取ってきたが、躊躇なく惑沈接種義務化を強行する全体主義国家である事を露呈した。「民主」「自由」「人権」を声高に掲げてきた欧米程全体主義化が進んでいる。西洋近代国家の本質は全体主義である事が露呈した。
・オーストリアは惑沈接種を義務化する。ヒトラーの故郷は全体主義への道を本格的に歩み始めた。接種者も外出制限するという事は惑沈接種に“感染”予防効果が無い事を認めたも同然である。にも拘らず、惑沈接種を義務化するとは論理矛盾も甚だしい。愚劣と非人道の極みである。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211120/k10013355191000.html

・最近にわかに増えている旧統一協会系による旧大本教叩きと、それ以前からの旧大本教分析を区別すべきである。ネット右翼のサヨク叩きと追及者による大東社系批判が全く異なるのと同じである。旧統一協会系は元来は左翼叩きが中心だったが、最近は陰謀業界にも“参入”した可能性があるので要注意である。
・最近、陰謀追及界隈で大本教や出口王仁三郎に結構言及されるようになったのは、➀旧統一協会系勢力の参入の影響があると見ている。つまり、➀が②に両建抗争を仕掛けている可能性。①と➂大東社系の左右両建抗争はすぐ気づく人が多いが、旧統一協会系と旧大本教系の両建抗争は気付く人が少ないと思う。
・日本国内の三大勢力を➀旧統一協会系②旧大本教系➂大東社系と分析しているが、前述の秘教的勢力が②である。②の陣営はスピリチュアル・オカルト・精神世界・神代史・偽史などの世界に絶大な影響力を持っている。この陣営は陰謀情報も取り扱う為、陰謀追及者への思想的影響も強い。十分用心されたし。

・「ルシファー」は初期の基督教神学者であるヒエロニムスが考案した観念とされるが、「サタン」は猶太教に由来する観念である。即ち「敵対するもの」という意味で、聖書では「神」と二元的に対立する存在とは描かれず、ペルシャ宗教の影響を受けた「サタン=悪魔」のイメージは基督教神学で確立する。
「ルシファー」はラテン語の原語では「光を帯びたもの」という意味があるとの事である。「明けの明星」即ち「金星」を意味する。「光」を「理性」の象徴とすれば啓蒙主義のシンボルにもなる。アダム・ヴァイスハウトのイルミナティは「光明結社」と訳される事がある。ルシファー主義は様々な所にある。
・前から気になっていたが、近年は「光」という言葉が陰謀追及界隈でよく使われているように思う。Qアノン運動の台頭後に頻繁に用いられるようになったと感じる。「光」の比喩や象徴は古今東西に見られるが、西洋ではルシファー主義の象徴として用いられる場合があるので、その点は気を付けた方がよい。

・現実に自民党・公明党・維新の会らがやろうとしている改憲の事を言っています。彼らが「光の国」を目指しているとでも?彼らは緊急事態条項を設けて政府に独裁的権限を与えようとしている。そうなれば豪州の如く完全にNWO体制化するのは必定。反対するのは当然である。
・今は「任意」の体裁だが、憲法が変えられたら欧米並みの強制接種が可能になる可能性が高い。現にオーストラリアはディストピア小説を現実化したような有様になっている。改憲したら日本もそうなる可能性が高い。緊急事態条項は憲法を停止し政府に独裁的権限を与える。改憲を絶対に許してはならない。

・接種回数が増える程危険も増大する可能性が高いと推測する。「定期接種」などあってはならない。引用:「同一の抗原で繰り返し免疫化を行った場合、動物実験では5回目から死亡する例が増加。7〜8回繰り返すと半分近くが死亡するという動物での研究結果もある」https://forbesjapan.com/articles/detail/43274/1/1/1
・最初から非接種が一番良いに決まっている。見識ある追及者は1回も接種していない。だが、既に1回以上接種してしまったら後の祭り。接種回数が増えるごとに死亡数が増えるという動物実験の結果がある由。であれば、既に接種してしまった人に対しては、それ以上接種しないように勧めるのは当然である。

・同調圧力や惑沈パスポートによる隔離政策で事実上の強制接種に追い込みつつ、体裁は「任意」という事にしているのは実に卑怯で卑劣なやり方である。職業等によっては事実上の強制接種なのに、何かあれば「任意なので自己責任です」と来る。こんな理不尽があるだろうか。強い意思と勇気で身を守るべき。
・世界の惑沈接種率ランキングの最上位クラスの国々よりも最下位クラスの国々の方が1日の新規“感染者”数が少ないのが現実である。惑沈に「“感染”予防効果」があるというなら逆でないとおかしい。惑沈接種すれば健康を害し死に至るリスクもある。どう見ても「デメリットの方が大きい」のは明らかだろう。
・想定され得る「絶大な苦しみ」とは。➀激しい副作用。➁長期的安全性が不明。➂何かあっても「因果関係不明」で済まされる。補償の見込みは薄い。④医療訴訟を起こすのは莫大な労力を要する。金銭は勿論の事、因果関係の証明が大変に困難である。⑤体がボロボロにされても「原因不明」で闇に葬られる。

「目覚め」「覚醒」という言葉は要注意であろう。個人史的な認識論上の転換を比喩的にそう呼ぶのは別に問題ないと思うが、一回の認識変化で全ての真実が分かったと思い込むのは危険である。地道な調査・思考・考察・分析・検証・考証の積み重ねにて着実に事実を明らめていくのが物学びの筋道である。
・思想史や個人史に於いて物の見方が一変する認識論的な転換が急に起こる場合があるが、事実の認識は根拠を積み上げて徐々に行われる。否、認識論的転換と言えども、長い間の蓄積によって爆発的に起こるものと言える。何事も急に起こったように見えても、そこに至る原因・条件の積み重ねがあるのである。
・「思考のあり方」とは例えば「反惑沈からの目覚め」などという表現に如実に表れている。メディアなどが“陰謀論”と呼ぶ真相論に気付くのも、そこから逆に陰謀否定論に転向するのも「目覚め」と称する。1回の「目覚め」で全て真実が分かるという発想自体を反省しないと何度「転向」しても同じであろう。
・陰謀情報は玉石混合である。情報を自分で分析して取捨選択する必要がある。それをしなければ思考誘導される。(走狗共が言う)“陰謀論”を盲信する者は「陰謀否定論」をも盲信する。「何かを簡単に盲信する」という、思想や主義よりも根底にある「思考のあり方」そのものに問題があると見るべきである。

惑沈接種率が1%未満の国々は全て「1日の10万人当たりの新規“感染者”数」は1人未満である。例外はない。それに対し、「1日の10万人当たりの新規“感染者”数」が1人以上になるのは接種率が1%を超えた国のみである。“陰謀論”でも何でもなくデータから読み取れる只の事実である。https://graphics.reuters.com/WORLD-CORONAVIRUS/VACCINATION-TRACKER/jznvnyzjqpl/
・シンガポールでは三回目惑沈接種開始後に“感染者”数と死者数が急増した。接種回数が増える程死亡数が増えるという動物実験の結果があるとの事である。感染増強抗体の増加によるADEの可能性も疑われる。いずれにしろ惑沈接種回数が増える程危険が増大する可能性が高いと推測する。三回目接種断固反対

・厚労省は惑沈三回目接種に関し「二回目接種から8カ月」としていたのを「6カ月」でよしとする方針に転換した由。日本人の命を何だと思っているのか?政府は国民ではなく製薬会社(≒グローバル資本)の方を向いているのは明らかである。政府やメディアの言う事を鵜呑みにしたら自他を守れぬ世になった。

・メディアが「反ワクチン」という言葉を繰り返し刷り込む事で「反ワク」なる差別用語が惑沈推進派・惑沈肯定派の中で定着しつつあるようである。かつての「非国民」は今は「反ワク」に。上から目線で戦時中の日本人を「愚か」と言う者の大半は実際に当時に置かれたら戦争のお先棒を担ぐのは間違いなし。
・「相手が否定出来ない資料で論証する」という手堅い方法を取れば、感情的反発を極力回避しつつ説得の効果を上げる事が出来るかもしれない。相手を見下したりしない誠実な態度でこの論証法を取っても激怒するような相手は相当洗脳が深いので、もはや「陰謀論」がどうとか言われる筋合いはないのである。
・「自他共に認める」と言っても特に重要なのは「他」が認める事である。相手が否定出来ない資料を用いて論証すれば説得出来る可能性が高まると思う。政府やメディアを鵜呑みにする相手の場合は、政府やメディアが出す統計資料などを用いる。以前「ロイター」の資料を使ったのはこの原則の適用である。
・「相手が認める可能性が高い(否定する可能性が低い)資料を根拠として用いるという方法」は日本に古くから伝わる印度発祥の論理学「因明」で「立敵共許」と呼ぶ論証法の原則である。立=立者=論証者。敵=敵者=議論の相手。主張を裏付ける根拠は自他共に認めるものでなければならないという原則。
・「伝え方」には伝える時の態度だけでなく、相手を説得する論証方法も含まれる。むしろそっちがより一層重要である。例えば相手が認める可能性が高い(否定する可能性が低い)資料を根拠として用いるという方法。結論だけを書いたツイートやブログ記事などを急に見せても受け入れる可能性は低いと思う。
・「陰謀論を信じたから人間関係が破綻した。だから陰謀論が悪い。」という風な言い草はツッコミ所が満載過ぎる。そもそも「陰謀論」として一括りにする事自体の誤り。個々の情報の真偽を自分で調べればよいだけの事。自分の分析力の無さを棚に上げて「陰謀論に騙された」と言うのはお門違いも甚だしい

・たった一人でも事実と道理を認識する者がいれば、完全に事実と道理を捻じ曲げられるものではないと考えている。組織的な宣伝でどれほど事実認識を歪めても、事実そのものを歪める事は出来ない。そういう意味で「事実も道理も捻じ曲げられない」と書いた次第である。良心を欺かない為には勇気が要る
・トレンドに入ってくる宣伝文句は一流のコピーライターが考えたような、人間の心理に巧みに働きかけるものが多いと感じる。SNSでは日々情報宣伝工作が仕掛けられている。人間心理の弱点に巧みに付け入る魔語の類が氾濫している。キャッチーな言葉にすぐに反応しない事もまた「間合いを取る」事である。
・人間関係を壊すか否かは「伝え方」の問題であって、主張や考えの中身の問題ではない。幾ら言っている事が事実でも、押し付けがましい態度や相手を見下す態度で伝えると拒絶反応を引き起こす可能性が高い。信憑性のある公開資料など相手が否定出来ない資料に基づいて、徐々に伝えるのが無難かと思う。
・「陰謀論」とレッテルを貼り誤魔化すのでなく「接種率トップクラスのシンガポールで三回目接種後に“感染者数”と死者数が急増し、コンゴなど惑沈接種率1%未満の国々で10万人当たりの1日の新規“感染者数”が1人未満で世界最低クラスである理由」などを合理的に説明すればよい。事実ベースで論じるべし

「代償と後悔」で思考を抑止するのは「非国民呼ばわりされたくないなら戦争に加担しろ」と言うのと同じである。全体主義化が進み、皆が熱狂している時に、「おかしいではないか」と言えば、不当な代償を払わされる可能性は高い。「後悔」すら浮かぶ瞬間もあろう。だが、事実も道理も捻じ曲げられない
・「陰謀論の代償と後悔」という毎度のプロパガンダが流れてきた。歴史上、真実を述べて迫害された人が大勢いる。「代償」という言葉に「不当な代償」を含むとすれば、まさに真実を述べた「代償」である。だからといって、その人達が間違っていた事にはならない。語る内容が事実か否かだけが重要である

◎コロナ・惑沈関連の新しいスレッドを作ります。
https://twitter.com/kikuchi_8/status/1459667468763361282
菊池
@kikuchi_8

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めい

《改憲の最大の狙いはほかならぬ緊急事態条項の創設であり、憲法は国家権力を縛るものから国民を縛るものへと変貌する》!

   * * * * *

「かかってこい!」といきがる愚かさ
コラム狙撃兵2021年11月28日
https://www.chosyu-journal.jp/column/22174

 総選挙では一言も改憲なんて争点にしていなかったくせに、選挙が終わると自民党、維新、国民民主を中心とした改憲勢力がかたまりになって「緊急事態条項」の創設など前のめりな発言をくり返している。それに対して野党第一党である立憲民主党の党首選でもすべての候補者が改憲議論には応じる(審議拒否はしない。「やられた~…」「押し切られた~…」の茶番が関の山)という対応で、まるで詐欺みたいなことが起こっている。自民党のみならず、毛色の違う第二自民党とか第三自民党みたいなのが野党共闘ならぬ与党共闘みたく寄せ集まって、国会のコップのなかでは、その頭数においていつでもGO! できる体制が整ったというのである。やれ「新しい資本主義」とか叫んでいたかと思ったら本丸は改憲だったわけで、人だましにもほどがある。


 この改憲の最大の狙いはほかならぬ緊急事態条項の創設であり、憲法は国家権力を縛るものから国民を縛るものへと変貌することは以前から指摘されてきたことだ。自民党改憲草案とは、戦争放棄を謳った9条を書きかえて武力参戦を可能にするのみならず、そのために創設する緊急事態条項においては「緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も(中略)国その他公の機関の指示に従わなければならない」とし、逆らえば逮捕投獄も可能というものだ。コロナ禍に乗じて緊急事態条項の必要性を説いているのもまるで詐欺で、その意識している緊急事態とは戦争・有事にほかならない。要するに76年の歴史を逆回転させて、国民弾圧体制をつくり上げることが最大の狙いなのだ。


 東アジアでは近年、中国と米国の覇権争いが激化するなかで、一方は日本列島・南沙諸島を盾にして軍事的にも中国包囲網を形成し、一方も負けじと軍事力を強め、武力衝突の危機がかつてなく高まっている。台湾を巡る矛盾といっても、本質的には中国と米国の覇権争いにほかならないが、そこに米国のポチ(属国)こと日本も「台湾有事の際は自衛隊も武力参戦する」みたいなことをいって、なんだか駆り出されそうな気配すらある。そして実際には現憲法もどこへやら、戦争放棄なんてなし崩しで解釈変更してしまい、かなり前のめりに武力参戦への準備は進行しているのである。自衛隊は米軍の二軍すなわち鉄砲玉として駆り出される体制も早くから進められ、その指揮命令系統のトップに君臨するのは米軍である。


 改憲の狙いとは「戦争ができる国にする」のだという。ただ、日本が中国との武力衝突の最前線に駆り出されたとして、この現代にボカスカとミサイルを撃ちあうような戦闘・戦争というのが現実的に可能なのだろうか。冷静に考えると余りにも愚かすぎやしないかと思うのだ。まず核を撃ちあうだけで当事国同士は終わる話であるし、日本列島はそれこそ54基の原発を抱え、1カ所にミサイルが被弾するだけでも国土は壊滅的な被害に見舞われる。それはまるで腹にダイナマイトを巻き付けて、「かかってこいや!」といきがっているような光景にも見えて、正直バカではあるまいか? とも思うのである。あるいは石油コンビナートであったり、様々な工業施設もしかり、ミサイルが飛んでくれば壊滅的な状況に直面することは目に見えている。ライフライン一つとって見ても、それこそ何年か前に周防大島町と本土をつなぐ橋に貨物船が衝突して送水管が破壊されたことがあったが、橋一つぶっ壊れるだけで水の供給がストップし、何万人もの暮らしが脅かされる。そうなると戦争どころではなく、水運びが一大事になることは容易に想像がつく。地震・津波ですら大変なのに、国土を戦場に晒すことがいかにバカげているかだ。さらに食料自給率が低くずいぶんと中国に依存しているのに、「かかってこいや!」をやるのもなにか違う。貿易はじめ経済的にも中国依存なのに、どうしてアメリカにいわれたらどこまでもいいなりになるのか? である。


 軍事的緊張や喧嘩腰外交ではなく、東アジアの近隣諸国として友好平和の道を歩むことがもっとも現実的な選択といえる。「ミサイルが飛んでくるかもしれない…」ではなく、対米従属の鎖を断ち切って独自外交を展開し、ミサイルなど構えなくてよいように平等互恵の関係を切り結ぶことこそが、東アジアに存在する国として最善の道だと思う。極超音速兵器であるとか電磁波攻撃であるとか、76年前よりもはるかに凄まじい兵器が出てきているなかで、それらを人間同士が向けあうこと自体が愚かといえる。

           武蔵坊五郎

by めい (2021-11-29 17:26) 

めい

【国民民主党は本当に「積極財政」なのか】2022/02/09
https://www.youtube.com/watch?v=5756AZJHDKw&t=0s


by めい (2022-02-24 16:37) 

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