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新・mespesadoさん講義(53)「万有和合 世界霊化」 [mespesado理論]

日本を含む東アジアで今回の新型コロナの感染が他地域に比べて著しく抑えられていることの一つの原因》

《「天皇の尊さを引き継ぐ」ことより、「他民族との抗争を解消する」ことの方が本質》、天皇を考える上で重要な視点と思われ、目からウロコです。「万有和合 世界霊化」に他なりません。

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405:mespesado :2021/07/27 (Tue) 07:44:23
 はぐらめいさんが、最新のエントリー↓
https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2021-07-27-1

で「反面教師」?として取り上げた、恐怖心からワ○チ○接種を奨励するかのようなサイト↓

「ごめんね、もう手遅れなの」コロナ感染し重症になった若者が最後に医師に懇願すること「今からワクチンを打ってください」
https://karapaia.com/archives/52304299.html

ですが、目的が何なのかはともかく、個別の生々しい事例による露骨なプロパガンダになってます(同様なことはワ○チ○反対派もやってますが)。
 さて、本投稿の目的は、この記事への論評ではなく、このサイト「カラパイア」の別の記事の紹介です↓

東アジアでは2万年前にもコロナウイルスが大流行していた可能性。ヒトゲノム研究で明らかに
https://karapaia.com/archives/52303588.html

> 日本を含む東アジアで、ヒトゲノムにコロナウイルスの痕跡

>  オーストラリア・アデレード大学やアメリカ・アリゾナ大学などの研
> 究グループが目をつけたのは、コロナウイルスと作用する「ウイルス相
> 互作用タンパク質」の情報を持つ遺伝子変異だ。

>  これは大昔に我々の祖先がコロナウイルスと遭遇したことを示す痕跡
> と考えることができる。

>  1000人ゲノムプロジェクトのデータを利用して、世界26グループのゲ
> ノムを解析。すると問題のタンパク質が、日本、中国、モンゴル、北朝
> 鮮、韓国といった東アジアの人々に存在していることが判明した。

 確か In Deep さんのところの記事だったと思いますが、人間の遺伝子に、太古に流行した種々のコロナウィルスの遺伝子が、まるでコピーみたいに人間の遺伝子配列の中に紛れ込んでいて、そのコピーを持つウィルスには感染しないようになっていること、そしてこれは人間だけでなく、他の哺乳類についても同じである旨が紹介されていたのを思い出しました。
 すると、上で参照した記事は、日本を含む東アジアで今回の新型コロナの感染が他地域に比べて著しく抑えられていることの一つの原因を示していると言えそうです。

406:mespesado :2021/07/27 (Tue) 07:52:20
>>405
 一言だけ、「プロパガンダ」の方の記事に対してツッコむとすれば…
 このプロパガンダ。基礎知識を持ってワ○チ○反対を主張する人には届きませんよね。例えばス○イ○タ○パ○それ自体が、コロナ感染時にも、ワ○チ○接種時にも重症化の原因になっている、という知識を持っている人からすれば、この記事の見出しを見ても、単に「おや、このコロナ感染し重症になった若者、最期まで、コロナ重症化とワ○チ○の害についてわかってなかったのだな(だってコロナ感染で重症化する体質の人は、同じ機序によって、ワ○チ○を接種しても、その副反応が重篤化する可能性が高いから)」と思うだけですから。


408:mespesado :2021/07/27 (Tue) 08:23:31
>>402 >>403 >>404
 天皇陛下のオリンピックの開会宣言で、総理大臣や東京都知事が着席したままで、途中から起立したことが話題になり、炎上している件について。
 これ、「けしからん」とか「いや、そんなことはない」などと「議論する」のって、あまり意味が無いような気がします。
 「天皇を尊ぶ」という概念。これ、例の河野大臣が、以前に皇統の本質を理解していないとやり玉に挙がったときと、本質的には一見すると同じことのように見えるのですが、微妙に違うと思います。
 そもそも皇室を尊ぶことの「人類にとって」あるいは「日本人にとって」の「実利的」な意義は、「國體」と「政体」が分離していることによって、「海外からの政治工作による国家の分断」に対する非常に強力な抵抗力を発揮することにある、とこの掲示板でも喝破されていますが、それは本当にそのとおりであると思います。
 でも、ものごとを分析する立場の「識者」自らが、この「國體」と「政体」の分離を促す「手段」に過ぎない「天皇を尊ぶ」という感情それ自体に取り込まれてはいけない。あくまで「天皇を尊ぶ」という事象を「外から」眺めて論評した方がよいと思うのです。つまり、河野大臣の件の発言は、国務大臣という重い立場にある要人が、「天皇の尊厳」を相対化してしまうような発言をすることにより、国民がそれに感化されて「天皇の尊厳」を軽視するようになり、それがひいては国民が普段無意識に持つ「國體」という意識を失うきっかけになり、そこで「しめた!」とばかりに外患がササッとやって来て、日本の分断工作を成功させてしまう…、我々が心配するとすれば、ここでしょう。
 ところが、今回の総理大臣の「不敬事件」は、ただのウッカリミス(?)であり、河野大臣のようなメッセージ性は無いように思います。つまり、我々のような「識者の立場で発言する」人間にとっては、何らかの「不敬事件」が起きたとき、「不敬だから」として脊髄反射的に反応するのではなく、その「不敬事件」とやらが、最終的に国益を損なうことになる国民の「國體」意識の消失に繋がらないかどうか、という視点で論じることが大切だと思うのです。
 さて、多くの人がある種の理想を投影している縄文時代には、「天皇」なんて、まだ存在していませんでした。天皇の存在が(変な表現ですが)奏功するようになったのは、弥生時代以降、他民族との抗争が生じるようになってからです。つまり、我々にとって、実利的に「天皇という尊い存在があると都合がよい」理由は、この他民族との抗争が今日でも存在しているからです。むしろ本質で考えるならば、「天皇の尊さを引き継ぐ」ことより、「他民族との抗争を解消する」ことの方が本質であり、それはそう簡単に実現するものではないけれども、あくまで主眼はそちらの方にある、ということを、我々は忘れてはならないと思うのです。
 そういう視点から今回の「事件」を眺めるとき、むしろ総理大臣への非難を誘導して、菅総理より「本当は」有害な人物を、次の総理に据えようとする勢力の作戦にまんまと乗ってしまう心配をした方がよいのではないかと思います。


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