『コロナ脳』を読んで [コロナ危機]
4月1日発刊の小林よしのり・宮沢孝幸両氏による対談本『コロナ脳』(小学館新書)を読んだ。アマゾンの宣伝文、《新型コロナ発生から1年たち、その正体も少しずつ見えてきた。新型コロナが「インフルエンザより怖くない」ことを示すデータも出てきている。それなのになぜ、政府は経済を止め、自由を制限し、人々を苦しめるのか。さらに、多くの人がそれを歓迎するのはなぜなのか。》の「多くの人がそれを歓迎するのはなぜなのか」に惹かれて予約していた。
昨夜7時半ごろ散歩に出た。双松公園を巡って休み休み40分ぐらい歩いてきたのだが、家を出て戻るまで、全く誰とも会わなかった。年度始めで総会シーズンの土曜の夜なのに琴平会館も真っ暗、みんな家に静かに篭っている。それにつけても思うのが、世の中のみんな、これはこれでホッとしている面もあるのではなかろうか、ということ。同調圧力から解放されて、じっと自分の来し方往く末を噛みしめる、そんな時間が世の中全体に流れているのではないか。それはそれでありがたいことなのだ・・・そんな思いがある。おそらく葬式のあり方も、コロナが収まっても元に戻ることはないのではないか。今日、東京の叔母の一周忌ということで昨日、義叔父と従姉妹と電話で話したところ。盛大であったはずの告別式もできず、49日忌に合わせて兄妹で墓前に参ってきたのだったが、故人を偲ぶにはなんら不足はなかったし、故人はむしろしっかり生前のまま心の内に息づくことになった、そんな気がする。・・・この本の宣伝文句から、必ずしもマイナスでない方に世の中を変えつつあるコロナの影響への言及を期待したのだが、それはなく、おおよそこれまでの情報の再確認だった。ただ、ハッと立ち止まったのが以下の箇所。
《宮沢 私、思うんですけど、戦争にたとえたら、完全に負けですよね。たとえば、どこかの最貧国、国名を挙げてごめんなさいですが、カンボジアが日本に攻めてきたとして、マスコミが「あいつら核兵器か生物兵器か知らんが、なんかすごい兵器を持ってるらしいぞ」ってデマを垂れ流して騒いで、みんな防空壕に逃げ込んでブルブル震えているみたいな感じですよね。政府も、国民があんまり怖がるから、カンボジア軍と戦うのではなくて、やたらめったら防空壕を掘りまくっているだけ。たまに攻撃してきたって大したことないんだから、みんな普通に生活したらいいやんと思うんですけどね。戦争やったらもう完全にアホな負け方ですね。/小林 中国なんかは冷静に見ていると思いますよ。日本はこの程度のリスクでここまで震え上がって何もできなくなる国なのかって。指導者もリスクの大小を判断できず、マスコミの報道ばかり気にしている。戦争なんて絶対できない国だと思っているよ。》(162p)
いつまでも日本全体「コロナ脳」に侵され続けるとは思えない。おそらくワクチン接種の副作用弊害が明らかになることにも連動しつつ、次第に冷静さを取り戻すだろうと思いたい。その時、今のこの日本全体を覆う異様な空気の体験を、後々の反省の糧とすることができるのか、それともあんなこともあったっけでやり過ごしてしまうのか、それが日本人に問われている。2人の対談の指摘のごとく、国家の安全保障にもモロに関わることなのだ。今のこの状況、後々の反省の材料としてしっかり記憶にとどめおくべきである。戦争一色に染まった先の体験は、そのまま今の体験だ。
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