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亀井さん、徳田虎雄を語る [徳田虎雄]

7.jpgS書店のSさんに商店会のことで話しに行って、”夫婦はどちらかが死んでからが本当の人生”の見出しに惹かれて買った『週刊現代』、なんと亀井静香さんが徳田さんのことを書いた記事がはいっていた。この記事に出会うためにこの本を買ったのか、とびっくり。「亀井静香の政界交差点 第78回 徳田虎雄」、見出しが ”非常な運命にも屈しない「虎」と「亀」の友情” 。

《徳田虎雄という男は俺が政治家として、そしてなにより人間として尊敬している人物だ。》で始まる。徳田さんは平成2年(1990)、保岡興治との熾烈な戦いの末、3度目の挑戦で衆議院議員となる。《しかし、徳田さんは無所属の身で、当選しても政策を実現するのは難しかった。「日本の医療は荒廃している。もっといい医療を全国に展開するんだ」と語る彼に共鳴した俺は、「よし、俺が用心棒をやる」と応え、バックアップすることにした。》《俺は徳田さんのためならなんでもやった。・・・「なんで自民党じゃあない徳田のためにここまでやるんだ」と猛批判されたが、俺は意に介さなかった。沖縄や奄美に対する予算付けも、全部俺がやった。・・・徳田さんの陳情も私欲ではなく、沖縄や奄美のために必要なことばかりだったから、なんとかしたんだ。そこには「虎」と「亀」の友情があった。》

その徳田さんをALS発症という非情な運命が襲う。後継として息子の毅くんが立候補、この時亀井さんが立ち上げたのが国民新党。《このとき国民新党設立に尽力してくれたのが、徳田さんの最側近で徳洲会の金庫番だった能宗克行氏だ。・・・徳田さんの一挙手一投足を把握し、事務方として動いていたのが能宗氏だった。》しかし徳田さんの病状悪化の中でのお家騒動。《それまで家族を顧みず全力疾走してきた徳田さんが、身動きの取れない状況になっても家族以上に信頼を置く能宗氏に対し、家族が嫉妬して排除しようとしたのは無理からぬことかもしれない。/盟友だった俺に対しても疑いは向けられ、「能宗が亀井と組んで徳洲会を乗っ取ろうとしている」と言われたことさえあった。だが、そんなことあるはずもない。》

亀井さんが徳田さんと最後に会ったのは、10年前の参院選の頃という。当時毅くんは自民党にいたが、徳田さんは「比例は国民新党を支援する」と表明。息子よりも亀井さんを優先した。《本当に義理人情に厚い男だ。・・・俺にとっての徳田虎雄は、いつまで経っても、不屈の精神で行動する強い男なんだ。/彼は自分のために家を買ったり、何かを持ったりすることには一切興味がない。資産を残そうともしない。俺と一緒でモノへの執着もない。常に世の中のために全力で邁進していた。・・・俺は彼のためにできることは何でもやった。徳田虎雄という男は、その名に恥じぬ英雄だと俺は思っている。》

亀井静香 徳田虎雄.jpg

今回短期間だが10年ぶりに入院して驚いたのは、医師も看護士も患者に対して驚くほどていねいでやさしくしてくれることだ。かつて感じさせられたはずの上から目前的扱いを受けることは一切なかった。ほんとうに気持ち良く過ごすことができた。

以前、《徳洲会が日本の医療を大きく変えたもうひとつをあげれば、「患者からの贈り物は一切受け取らない」ことを明言し実行したことだ。「贈り物をもらわない医者」という平成10年発行の本がある。この本発行以降、常識が非常識となり、非常識が常識となった。》と書いたことがある。「徳洲会が煙たがられる最大の理由」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2013-09-23同じ本にこうある。《世界同時革命をひとことで言うと、当たり前のことが当たり前に行われるようになったということである。これまでの日本では、政治は政治家のためにあった。行政は官僚のためにあった。経済は会社のためにあった。教育は先生のためにあった。そして、医療は医師のためにあった。/これは当たり前のことではなかった。政治も行政も国民のために、経済は消費者のために、医療は患者さんのためにあるというのが当たり前のことである。/さらに言えば、強い者は弱い者のためにあるというのが、当たり前のグローバル・スタンダードである。/ところが、これまでの日本では、あるいはアジアではと言ってもよいだろうが、「弱い者が強い者に奉仕するのが当たり前」という考えが根強かった。それを、「強い者が弱い者に奉仕するのが当たり前」という思想に転換することが、グローバル・スタンダードとして要求されているのだ/私はこの25年間、医療は医者のためではなく、患者のためにあるということを主張し実践してきた。・・・病気は医者任せといったこれまでの日本人の姿勢も変わりつつあるのだ。患者さんたちはようやく、自分のために医療を行ってくれる病院を選別するようになってきたのだ。》(5-6p)

40年前、徳田さんと出会った当時は、徳田さんが「患者さん」と「さん」付けで言うのを聞いてまだ違和感を感じる時代だった。ところが、医師に対して「贈り物」が当然だった慣習を徳田さんがひっくり返してしまったように、「医療は患者のためにある」という徳田さんの強い思いが、医療の現場から「上から目線」を取っ払うことにもなったのかもしれない、そう思わされた。もう今では当たり前になった医療現場の24時間体制も、徳田さんの徳洲会あってのことだった。

21世紀は置賜から 資料.jpg平成3年の徳田さん講演会資料にあった徳田語録から転載しておきます。

徳田語録1.jpg徳田語録2.jpg


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