SSブログ

管内視察(2)長岡南森遺跡 [議会]

南森古墳図.jpgいまだに「長岡南森古墳」と言えないところがまどろっこしい。古墳と断定されるためには、人工的な塚の上に墓があれば問題なく古墳であるが、そうでなければ (ア)ハニワや、祭祀用の特殊土器(底部穿孔土器)の出土 (イ)表面への葺石貼付 (ウ)古墳の規格に合致した形状があることが必要。ところが、《南森の場合は、墓は既に中世に壊され、消滅しているとみられ、最大の証拠がない状況です。さらに置賜地域は、”古墳にハニワも葺石も無いという地域性”》、また形状についても中世館等の造成で大きく変形、《従って断定は元々困難で、状況証拠を積み上げて判断しなければならない難しさ》の中での調査であるということ。しかし、確実に状況証拠は積み上がりつつあり、5カ年計画中3年目の今、長岡南森遺跡確認委員会にその断定は委ねられている。北町遺跡が愛知学院大学(以前は東北芸工大)の事業としての調査なのに対し、ここは南陽市直営で国の補助は1/2の800万円。正式に古墳認定なれば国指定遺跡になり、4/5が国負担となるとのこと。↓は古墳認定のための上記3条件。左から(ア)(イ)(ウ)。

古墳認定条件.jpg
角田補佐2.jpg《これが古墳であるということになった場合、160〜164mで東北第2位、東日本でも第5位の前方後円墳ということになります。古墳とすれば、造られたのは4世紀と思われまして、隣接する稲荷森古墳、あと長岡山古墳と3箇所になるんですが、合わせて一つの古墳群として、南陽市内に畿内の大和政権と強い結びつきを持った強力な集団、つまり国と言ってもいいですが、そういうものがあったと言えるかと思います。そしてそういった集団を引き連れる王様がこの地におられたということが推測できるかと思われます。古墳模型2.jpgこれまでの調査結果なんですが、古墳の段敷にする三段の段が確認されました。丘陵部の北側については古墳の前方部と見て矛盾がないと先生方の評価をいただいております。ただ、古墳であるということにはなりませんけれども。あと周溝に相当する窪地が周りに巡っていること、前方部と後円部の接点のくびれ部に相当する地形を確認したことで、この地形が自然の地形ではなくて、人工的に切土されて造られた地形であることが調査でわかってきました。長岡南森遺跡出土品1.jpg遺物なんですが、古墳時代の儀式用のものが非常に多い傾向が見られます。二重口縁土器などは一般には使われないものです。あとは器台とか高坏が非常にたくさん出てきます。長岡南森遺跡出土品2.jpg中には真っ赤に染めたものもあります。(ベンガラor漆?)平安以降に館が造られたことからその頃のものも出てきます。》

第一次調査概要図.jpg現場を歩きながら、《・・・ここを掘った時にわかったんですけれども、周溝に窪地があって平坦面があって、斜面、平坦面、斜面、平坦面になっていることがここのところでわかりました。最初の一番目の段が埋もれている状況で外から見えないんです。ですので、今年全長が161mと言っていたのを165mに修正しましたけれども、埋もれた部分が見つかったので伸びた形です。反対側でも4m見つかると、東北最大の古墳と同じくらいになります。》ちなみに東北最大は、名取市の雷神山古墳で168m。東北最大になる可能性大。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。