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mespesadoさん講義(86)「大学」はどうあるべきか [mespesado理論]

《「就職予備校」に徹した大学》「学問の府」で行くんだ、という方針の大学》とに分ける案、溜飲が下がる思いです。465の方、リフレ女子さんがド正論。良記事。拡散希望》の記事を読んで思ったのが、今の受験生の気の遠くなるような大変さ、今こんな世界に置かれたら自分はどうなんだろう、思うだけで慄然ものです。それだけにそのあとのmespesadoさんの立論に、思いっきり溜飲が下がりました。そして、50年前の自分の大学生活が、私にとっていかに恵まれていたかを思い起こしました。464の読書論、私もそのまま頭に叩き込むように読んでいく》という本の読み方が絶対できない方、堺のおっさんの私の場合は漠然と頭に残っているファクトを直感的に整理していくタイプなので、かなりいい加減だと思います。大した思想や理論なんかまったく持ち合わせていません。自分が感じたことやファクトの裏を組み立てるだけです。》466)もよくわかります。

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464 名前:mespesado 2020/06/30 (Tue) 08:08:29
>>463
 あ、お褒めの言葉を戴き、恐縮です。

「出鱈目な本でも,“学び”は可能!」

 飯山さんからこの言葉を頂いたとき、実は自分でもハッとしたんですね。なぜなら、私自身の読書って実はいつもそうだったから。
 私は本をスラスラと最後まで通読するということができないんですよ。
 それは、もちろん専門書の場合だと頭が付いていかなかったりするわけだからアタリマエなんですが、普通の本もそうで、著者に「なり切って」意識を共有しながら読んでいくということができない。どうしても、「本」というか、「文章」を「観察・検証」の対象と見てしまう。といっても「ファクト」として書かれた部分と「意見」として書かれた部分を頭の中で無意識に分離してしまって、前者の部分はスラスラと頭に入っても、後者の方は「観察の対象」でしかない。このような本の読み方をあるときある知人にしたとき、「へ~、そういう読み方もあるのか」と驚かれたことがあるんですが、その知人だけでなく、そもそも「優等生」ってそういう読み方をするんじゃなくて、特に「教科書」とされているような本は、その「量」が自分の専攻分野ならとにかく膨大なので、一旦疑問を持っちゃったら先に進めなくなると困るからなんでしょうが、そのまま頭に叩き込むように読んでいくのが普通らしいんですよね。そのことを知ったとき、逆に私の方がびっくりしたくらいです。私の方が変わってるのかなぁ、と思いましたよ、そのときは。まあ、優等生の中には当然学者も含まれるわけだけど、大の経済学者や歴史学者や(亀さんもビッグバン理論関連で指摘された天文学者のような)理系の学者ですら、シロウト的に考えて明らかに間違っているとしか思えないような説を「本気で信じてる」のって、そういう事情がある(一種の自発的洗脳ですよね)からなんだな、と今では「納得」していますw

> 再検討が必要だな…

 あ、金払ってまで「出鱈目な」記事を読む必要は無いんじゃないでしょうか。ネットで探した記事って、結構最近は途中から有料になったりしてますけど、「出鱈目な」記事の場合は当然ですが、そこそこまともなことを言っている記事の場合ですら、わざわざ金出してまで読む価値があるの?と思っちゃいます。なぜなら「まともな記事」と思う記事の大半は、「ファクト」の部分は実は無料記事を探せば他の記事でも読めることが多いけれど、「まともだ」という感想を持つのは、その「ファクト」部分からの印象ではなくて、著者の「意見」部分からの印象であることが多いわけで、よく考えればファクトに対する「意見」なんて、自分で考えて持てばいいんであって、他人の意見なんて知ったってしょうがないじゃないですか。せいぜい「溜飲を下げる」くらいの意味しかない。時間のムダですよね。だから亀さんも「再検討」なんてせずに、今までどおり時間とオカネを有効に使った方がいいんじゃないでしょうか。
 ということで、こちらこそ亀さんの飯山史観の内容の深い記事を楽しみにしています。


465 名前:mespesado 2020/06/30 (Tue) 08:49:10
>>464
> よく考えればファクトに対する「意見」なんて、自分で考えて持てばい
> いんであって、他人の意見なんて知ったってしょうがないじゃないです
> か。

 こう書いて、例の「リフレ女子」さんのところを見に行ったら格好の例がありました↓

リフレ女子@antitaxhike
> 「一番まずいのは、なぜか問題山積の新しい形式での共通テストをその
> ままの内容で実施しようとしていることである。コロナのどさくさに、
> ということではないが、コロナ禍に、なぜ全く新しい社会実験を強行し
> ようとしているのか?」

> ド正論。良記事。拡散希望。

> 2021年、大学共通テストの「試験日選択」で有利なのは…?その意外な答え
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73506

 いつも正論を吐く「リフレ女子」さん推奨の記事だから、早速読みに行きました。
 で、全体を読んでの私の感想。
 まあ、受験生の身になってみれば、入試制度について、いくらコロナで異例の事態になったからって、その影響を緩和するためと称して「実験的な」変更をするのはやめろ、という意見はそれなりにもっともだと思いますが、「だからなに?」という感じです。そんな小手先の変更なんて、もともと異例の事態が発生したんだから、どんな変更をしたって有利になる人もいれば不利になる人もいる。だからそんな具体的な「変更」案に対する賛否の意見なんて星の数ほどあるんだから、特にこの記事だけを取り上げて良記事扱いする必要なんてないと思うんですね。
 それよりも、コロナによって、今まで「アタリマエ」だと思っていたことが「本当にアタリマエなの?」と疑問を持つことができるせっかくのチャンスなんだから、そんな短期的な問題じゃなくて中長期的な視点でモノを考えたらどうなのよ、と思いますよ。
 つまり、今の大学って、「学問の府」じゃなくて「就職予備校」と化しているじゃないですか。そこを改善することなしに入試だけ弄ったって、本質は改善しない。「就職予備校」に徹するなら、それこそ企業が必要とする人材を育てるための教育だけに特化して、入試はその適性だけ見ればよい。
 そもそも今の入試問題の作成や採点って大学人にとって「メンドくさい雑務」に過ぎないんですよね。だって学者の本業は「研究」だから、そんな仕事にインセンティブなんて湧くわけがない。だったら、そういう「就職予備校」に徹した大学に「編成」し直して、教員も「研究」を本業にする学者じゃなくて、学生に「就職に適した能力」を身に付けさせるプロ、つまり通常の予備校の教師みたいな観点で人を集めればよい。そうして目的がハッキリすれば、彼らにとってどういう学生を募るかを考えるのは、本業の一部だからインセンティブも湧くでしょう。
 一方で、「学問の府」で行くんだ、という方針の大学は、こんな「受験生に有利か不利か」なんてチッサイことで悩むんじゃなくて、本当に最先端の学問を一緒に追求したい「同志」を選ぶことに専念すればよい。その場合の入試は「自分達研究者の跡を継ぐ才能があるかどうか」を見るための試験に特化すればよいではないですか。そしてこちらの方は人の能力を長い目で見る必要があるから、おのずと「就職予備校」とは違った選別の仕方がある…
 文科省や大学関係者は、せっかくのコロナ禍を転じて福となしたいなら、こういう視点で入試改革を考え直してほしいですね。
 上の記事を「批判的な」観点で「良記事」認定するとしたら、私なら、こういう観点になりますw

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