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mespesadoさん講義(26)「学問のセンス」 [mespesado理論]

井筒俊彦という人のいちばんすごいところは、「理解しうる限り理解した上でその先に見えてくるほんとうの世界」を追求したところにあると思います。・・・と、こう書いて、mespesadoさんのいう「学問のセンスは分野横断的」という時の「学問のセンス」がまさにそういうことか、と思ったところでした。その根底は、きっと「無」です。19120114.jpg

↑ 亀さんが井筒俊彦について書かれた記事「無」にあった写真です。遺影の横に供えられている皿に認められた「無」は、井筒俊彦自身の筆》とあります(「人間は冥土までの暇つぶし」http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-1729.html)

飯山女史は自分の主張に急なあまり、井筒俊彦にまで理解が及ばないということのようです。その主張は主張として重要なので、「立ち位置」のちがいということで、飯山女史を理解したいと思います。

《「協調」の反対は「批判」じゃない。・・・「人の意見」に対して賛成するか反対するか、という違いだけ》の言葉、重要に受け止めます。戦後の教育はやたら「批判」を尊重してきました。「批判至上主義」といってもいい。小学5、6年担任の女の先生がもろにそういう先生で、作文の授業で「『素直』はダメ!」と言われてそれまでの自分の中の価値観がひっくりかえり、チックになって、当時のあだ名が「そろばん」でした。それを正常にしてくれたのが、私にとっては大学で出会ったメルロー・ポンティでした。飯山女史が評価する刈谷氏は昭和30年生まれ、戦後教育を引きずったままなのかもしれません。

*   *   *   *   *

436 名前:mespesado 2020/03/02 (Mon) 23:24:48

飯山陽『 イスラム2.0』6刷3万部突破、みなさまありがとうございます!
> 中村先生がテキスト分析から客観的に「井筒自身が神秘主義者」だと述
> べており大変嬉しい。イスラム学界では井筒こそイスラムの本質を解き
> 明かしたとされているのでそう主張すると袋叩きにあう。イスラムはジ
> ハードを命じる宗教となると都合が悪いので、井筒のごにょごにょした
> イスラム論が重宝される。

↑あらら、飯山女史、ついに井筒先生に宣戦布告ですか。
 でも私が井筒氏の本を一回読んだだけだけど、その限りで感じたのは、井筒氏は、イスラム世界にも、独自の思想・哲学の伝統があり、それを西洋で発達した哲学や東洋哲学と比較した研究のように感じられたのであって、別に井筒先生が「イスラムの本質を解き明かした」ということではないと理解しているのだが、飯山女史は違う感想を持ったのだろうか。
 さて、そんな飯山女史が絶賛している人がいる↓

飯山陽『 イスラム2.0』6刷3万部突破、みなさまありがとうございます!
> 苅谷先生がイスラム学界にいたらよかったのに。/「民主主義社会にお
> いて物事を進めていく上で、批判的な思考力(略)は基本中の基本です。
> 本質的な意味において、批判的思考力を抜きにした「主体性」はありえ
> ないと思う」「いかにして、自分(たち)自身を相対化するか」

 飯山女史が絶賛する苅谷剛彦氏の教育論↓
https://globe.asahi.com/article/13166629
教育改革にひそむ「主体性」「平等主義」という名の落とし穴

 氏によれば、今の日本では忖度ばかりが幅を利かせ、文科省の学力の定義でも「主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度」などとやたら協調に重きを置いて、批判や対立を恐れない「批判的思考力」を軽視しているのが問題だという。
 う~む。例のアカハラを受けてそれを跳ね返すことに燃えた「反骨精神」の飯山女史にとっては思わず跳びつきたくなるような教育論だが、何か違和感がある。
 「協調」の反対は「批判」じゃない。
 矢印の向きが逆なだけで、「人の意見」に対して賛成するか反対するか、という違いだけで、そこには真の主体性が感じられないのだ。
 大切なのは「自分でゼロから考える」ことじゃないのか?
 もちろん、人の意見は参考にしていいけれど、すぐ人の意見に流されたり、逆に権威のある他人の説に楯突くというだけじゃ、結局他人に踊らされているだけではないのか?真の探求というのは、人に左右されない、真実への光明を自ら見出し、そこに向かって一心に突き進んでいくことではないのか?そこには他人の説に対する同調とか批判などという次元を超えた、もっと高い理念があるような気がする。

 そして、この人の欠点をハケーンw↓

> いまは、財政赤字が巨大になり、すべての不平等を解消できるような余
> 力がない。資源が乏しいなかで、多々ある不平等のうちでどの不平等を
> 優先的に解消するように努力するか、政策的に選択せざるをえなくなっ
> ている。一律で、形式的な平等主義にとどまると、不平等を少ない資源
> で効果的に解消するために必要な選択ができなくなります。

 この人も財政赤字を何か問題だと根っから信じているわけで、要するに緊縮脳に洗脳されているわけだ。もちろん、氏は経済が専門ではない。しかし私が書いたように「学問のセンスは分野横断的」であることを考慮すると、結局この人は「学問に対するセンスが無い」のだと思う。そしてそれを絶賛する飯山女史も?

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