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mespesadoさん講義(8) [mespesado理論]

堺のおっさんの評価がありました。

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116:堺のおっさん:2019/12/20 (Fri) 08:05:43
>>114 >>115 メッさん
これはものすごく分かり易い。
兌換紙幣の金本位制であっても
コントロールできれば金の総量以上の通貨は発行できる。
そうなんだよね。

118:堺のおっさん :2019/12/20 (Fri) 11:32:27
>>116つづき
要は、国家の国力に見あった範囲であれば
政策と連動して貨幣を発行しても問題をはない。
それを超えてその場凌ぎでやるとそりゃアカン。
これが価値の創造。
具体的なプロセスは別の問題。
分からんしとには永遠に分からない。

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mesさんの今回の議論、やすえちゃんに読んで欲しくて書きはじめた前書き部分、長くなったので独立した記事にしました。→「あらためて、やすえちゃんへ(3市5町後援会研修会)」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2019-12-21-1

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114:mespesado :2019/12/19 (Thu) 23:30:21
 なんと!当の一万円札の主、福沢諭吉も家計簿脳(緊縮脳)だった↓
https://twitter.com/koumori_2011/status/1207518180052090880

miffy 万年筆マネーを広めよう@miffy41028586
> 福沢諭吉は『学問のすすめ』の中で、
> 「政府は法令を設けて人々の生活や安全を守るが、それに必要な費用が
> ないので、税金として国民に負担してもらう。これは政府と国民双方が
> 合意した約束事である」
> と言っているらしい…

https://pbs.twimg.com/media/EMHU5pNUYAE3Kl6.jpg
 ↓ ↓ ↓
miffy 万年筆マネーを広めよう@miffy41028586
> 政府に「必要な費用がないので」という考えがおかしいんだよね。
> 福沢諭吉にして、この考えか…
> というか、福沢諭吉さんに言われると、そうだ!と思うよね。
 ↓ ↓ ↓
真場貴雄=リナードル(反緊縮・積極財政・消費税減税且つ廃止・反グローバル)
> どの様な高名な人物でも、間違えないとは限らないと言うのが、実に良
> く分かる事例ですね。
> とは言え、福沢諭吉が生きて居た当時は金本位制(固定相場制)を採用
> して居た訳ですし、福沢諭吉がその様に捉えたとしても不思議では無い
> とも言えますけどね。
 ↓ ↓ ↓
(..)蝙蝠 †伊達文右衛門(本名)†@koumori_2011
> 金本位の時には貨幣量に限界がありますんで。
 ↓ ↓ ↓
TFK@kmwt736
> 当時でも「太政官札」が発行されるなど、政府の財源が必ずしも税金だ
> けでないことは分かっていました。

> 福沢諭吉氏は、そういった知識が無かったのでしょう。
 ↓ ↓ ↓
(..)蝙蝠 †伊達文右衛門(本名)†@koumori_2011
> それは松方デフレ前の時ですね。
> 松方デフレ後から第一次大戦の間は金本位ですよ。
 ↓ ↓ ↓
(..)蝙蝠 †伊達文右衛門(本名)†@koumori_2011
> もう少し言うと、世界の潮流は金本位制で欧米をお手本としていた維新
> 志士である福沢が金本位準拠で思考してても仕方ないです。

 ここで諭吉の時代は金本位制だったから貨幣発行量に上限があるから諭吉がPBで考えていたのは仕方ない、と擁護する意見が見られますが、よく考えると、それもおかしいんですよね。だって、諭吉は費用を「税金として国民に負担してもらう」と言っている。これはおかしい。正しくは「お金の発行額に上限があるので、それ以上発行するためには金との引換券を国民から税金として回収しなければならない」と書かないといけない。つまり、金本位制であろうが管理通貨制度であろうが、税金は財源でないことに変わりはない。金本位制のもとでは、通貨を追加発行するためには、国民が持っている金引換券を「回収する」のが税金の目的であって、これを「費用負担」と言うのはおかしいわけですね。やはり、福沢諭吉と言えども家計簿脳に陥っていたことは間違いありません。そんな諭吉を最高額紙幣の肖像画に採用した時点で、国民を洗脳する目的があったのかな、と思わず勘ぐってしまいます。

115:mespesado :2019/12/19 (Thu) 23:55:10
>>114
 もっと過激なことを言いましょうかw
 金本位制の下では貨幣の発行量に上限がある、と書きましたが、それ、本当ですか?
 「え??? どういうこと???」と思うかもしれませんが、でも「あるモノの引換券を、そのモノの保有高より多く発行するという例」はあるんですよね。それが、市中銀行の貸出額。銀行はもともと預金を担保に貸し付けを行っていたハズなのに、実際は預金額以上に貸し付けてますよね。だからこそ、取り付け騒ぎなんてことを心配しなければならなくなる。いや、預金の範囲内で貸し付けていたとしたって、貸し付けたオカネが返済される前に預金を降ろそうとしたらオカネは足りなくなるわけで、これは「実際は預金を全額下ろすことは無いハズだから、実際に降ろされる可能性がある金額だけ銀行の金庫に残しておけばよい」という考えによるものであり、取り付け騒ぎというのは、この残高がデマなどの特異事象が起きて、想定外に不足してしまった、というだけのことなんですよね。
 ということはですよ、「本位制通貨」だって同じことじゃないですか?兌換紙幣の時代だって、実際に紙幣を金に交換しようとする人はわずかなんですから、金の保有量以上に紙幣を発行しても、実際は取り付け騒ぎになることはない。
 じゃあ、何で金の保有量以上に紙幣を発行しなかったのか?
 それは、たとえ取り付け騒ぎが起きなくても、金の保有額以上に通貨を発行しないというのは、中央銀行を作って貨幣のコントロール権限を握った国際金融資本たちの「お約束」だったから。これ、管理通貨制度下の今の日本で、本当は通貨が発行できるのに、財務官僚の「お約束」で通貨を発行しないのと同じですよ。つまり「利権」のためなんですね。制度のせいじゃないんです。このことを国民は広く知るべきでしょうね。お上のルールには無批判に思考停止して従う日本人の場合は特に。

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