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無念、最後の議会だより(3)旧ハイジア問題 [議会]

4年前、22年ぶりに議会に返り咲いた。私には古巣に思えた議会報編集委員会、以前に比べずっとていねいな仕事をしていた。当局との間でなんども校正のやり取りが行われた。自ずと当局への忖度がはたらく。今回の私の原稿の改変にそれがよく表れた。私が編集会議に参加しているときも何度もそういう場面があった。基本的に改変を拒否しつつぎりぎり妥協してきた。今回は私の不在ゆえ私の意思はないがしろにされた。当然調整があってしかるべきと思うと口惜しいが、選挙のどさくさのなかでの編集でそこまで手が回らなかったということか。

ただ、いま南陽市民にとって一番の関心事がハイジア問題なのに、そのことに触れるのを議会が避けているように思えるのはどうしたことか。ハイジアには触れてほしくないという市当局への忖度があるのだろうか。一般質問でハイジアに言及したら議長に「通告外」と指摘され、議会だよりも質問の主旨を骨抜きされて、何が問題かわからなくなってしまっている。ハイジアについては先に「一般質問報告⑶「身の丈市政」批判② ハイジア問題 https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2024-02-24」で書いたが、以前書いた記事とリンクさせながら、これまでの経過と現状を私なりに整理してみました。

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無念、最後の議会だより(2) [議会]

手元に届いた議会だよりの私の一般質問から、旧ハイジアに関する質疑は削除されていた。その代わり「一般質問は通告制度を採用しております。この度通告外の質問がありましたが、それについては掲載しておりません。議会報編集委員会」の囲み記事があり、選挙管理委員会事務局長答弁部分が、《「有投票」の選挙の中で、一番高い投票率だった選挙は、昭和51年3月.7日執行の第3回の一般選挙で、投票率は95.3%。/その後、平成4年3月29日執行の第7回の一般選挙までは、投票率が85%を超える高い投票率で推移したがそれ以降の選挙の投票率は右肩下がりに低下し、前回、令和2年3月22日執行の第14回の一般選挙では、投票率が60.8%と過去最低となっている。/選挙啓発ポスターや出前講座などの啓発活動の実施、選挙公報、市のHP、SNS等で投票を呼び掛けている。》と、水増しされていた。ただ、3月26日の校正では全く抹消されていたワクチンについての質疑が復活していたのがせめてもの救いだった。

しかし一番無念だったのが、予算委員会の私の質疑が全く骨抜きされてしまっていたことだ。

まず、倒れる前に書きあげて提出していた原稿。

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無念、最後の議会だより(1) [議会]

市議を10年務めて(1992.4~1998.3 2020.4~2024.3)この間ずっと議会報編集委員だった。編集委員としての最後の議会だより(177号)が手元に届いた。それを見て非常に口惜しい思いでいる。

3月4日の編集委員会を前にして病院に運ばれた。1日まで斉藤頭取の葬儀で走りまわって、私の受けもち原稿の残り分(私の一般質問と南陽の歴史発掘)は2日と3日で仕上げるつもりだった。パソコンの使えないICUに入ってしまったので、一般病棟に移り次第書きあげる旨を家族を通して議会に伝えたはずだった。どうもこの辺からこちらの意思が編集委員会にうまく通じなくなってしまったようだ。その後選挙が終わって3月26日が第一回の校正。終了後事務局から私の一般質問校正の写真送付。私の出した原稿ではない。その後伊藤委員長と電話でやりとり。私の思いを伝えたのが以下の文章。


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令和6年3月27日
議会報編集委員長
伊藤 英司 様
髙岡 亮一
 
私の一般質問校正前記事について
 
 私の不徳の致すところ、いろいろご迷惑をおかけすることになり、ほんとうに申しわけなく思っております。
 昨日戸田君(議会事務局)より、私の一般質問校正前記事写真を送っていただきましたが、それを見た上で、以下の通り申し述べさせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。
 
1. 校正対象記事は私が送った原稿ではありません。私の原稿は3月8日に送っているはずです。(3月2日未明の入院で集中治療室に送られたためパソコン等一切使えず、私の未提出原稿が3月4日の編集委員会に間に合わないこと、パソコンが使える状態になったらただちに作成提出する旨を議会事務局に伝えてくれるよう家族に告げています。)
2.ハイジアをめぐっての議論が、本音にもとづく議論によって議会活性化につながるとの認識に立っての一般質問だったのですが、それが「通告外」の指摘を受けたことについて今以て理解できません。また、当局から「掲載不適当」との指摘があったとのことですが、その旨の文書をお示しください。(参考までに、私なりの一般質問にこめた意図を綴って公開した文章がありますので挙げておきます。《実はこの日の朝ハイジアがどうなっているか見て来ての質問だった。/雨ざらしのA3の張り紙が一枚。「建築物等の解体等の作業に関するお知らせ」とあった。・・・ということで話し始めたら、議長から「ハイジアの問題は通告外」との注意。私としては「身の丈」感覚でハイジア問題をこのままほおっておけば、契約に沿って10年経てば奥山さん側で自由に処分できることになるわけで、そうなればその契約を認めた議会も重大な責任を負うことになる、そうならないためには本音の議論でこの状況をぶち破らねばならない。ハイジア問題をどう解決にもちこむことができるかどうか、それは議会の活性化ひいては市政の活性化そのものの重大問題である、との認識に立っての質問だったのだが、議長には理解してもらえなかったようだ。抽象的な議論をいくらやってもなんにもならない。議会政治の形骸化の一端を垣間見た思いだ。/白岩市長に対して「出張が多すぎるのでは」との批判をしばしば耳にする。たしかに青年市長会の会長を受けて以来、いろんな役職が回ってくるようでそれに伴う会合出席が多くなっていることもあるのだろう。一般質問翌日も東京一泊出張であることを山形新聞の市長今週日程で知り、せっかくの機会、(株)KEN OKUYAMA DESIGNに行って、奥山さんとこれからどうするかについてサシで話してきたらと言いたくてのハイジア問題への言及だった。そのことを告げて、予算委員会であらためて問題にすることにした。》「移ろうままに2」2.24記す)
3.今回の記事は、私の議会人生最後の一般質問となりますので、魂の抜けた内容にしたくありません。もし掲載不適当であればその部分を「通告外のため掲載できません」と記して空白にしてください。
以上
追記 ご指摘を配慮して一部修正の上、あらためて原稿をお送りしますので、よろしくお願い申し上げます。
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そうして送ったのが以下の記事。
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「日本の同盟国である中国」は、言い間違えではない(副島隆彦) [日本の独立]

 【3119】今度の岸田訪米で、米に払った(貢いだ、取られた)カネは、9兆円(600億ドル)である。


以下ダイジェスト。日本は、世界(国際社会)に何も、一切、悪いことをしないで、敗戦後の79年ここまでやって来た。だから、日本は大丈夫だ。オロオロしないで、安心しなさい。》でしめくくられています。

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パンデミック条約反対デモ [コロナ危機]

◎原口一博議員のユーチューブ。https://www.youtube.com/watch?v=z0W9UvOem90

どんなデモだったかがよくわかります。なんか大きな流れになって行くような気がします。

◎【Tokyo Demo#1】English subtitle 4.13 池袋デモには約19,000人が集まった!春風吹く池袋デモを追ったドキュメンタリー。パンデミック条約と国際保健規則IHR改定https://www.youtube.com/watch?v=etgspFLr1zc

◎【決起集会】4.13東京激震!パンデミック条約、IHR反対集会に日本中から集まった人々のNWOから日本を取り戻す闘い!高音質4K https://www.youtube.com/watch?v=-R0wUOujXf4


























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井上正康先生「世界への警告」 [コロナ危機]

井上正康先生「日本製ワクチンを決して信用してはいけない」いう英語のメッセージを世界に向けて発信されています。

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見出し画像

mRNAワクチンの開発と生産が日本で進みつつある。そして今年の秋から、新しいタイプのmRNAワクチンである「レプリコンワクチン」の接種が始まろうとしている。

コロナパンデミックにおいて始めて使用されたmRNAワクチンによって多くの被害が起きたにも関わらず、日本政府は反省もなく、新たな被害を起こそうとしている。レプリコンワクチンはスパイクタンパクの産生を止める機能を持たず、接種者からエクソソームを経由して他者に有害成分が伝播することも懸念されている。よって、「私はワクチンを接種しないから大丈夫」というのは間違いである。日本全国、世界全体で阻止しなければ、取り返しのつかないことになる可能性がある。

そこで発せられたのが、井上教授による世界に向けたメッセージである。多くの人にその危険性を知ってほしい。協力してほしい。その願いを込めて、ここに文字で記録する。

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ごぶさたしました [日記、雑感]

3月1日、頭取を無事送り出すことができた日、10時過ぎ就寝。しばらく寝入って午前1時頃めざめると、身体がいつもと違う。あれこれ動かしてみるが軟体動物になったようで、こんがらかってコントロールがまるで効かない。どうなってるのかわからないまま、30分近く布団の中でもがいた末、家内に声をかけた。息子も起こして救急車の手配、公立置賜総合病院へ。脳梗塞で右下肢の麻痺だった。右手にも若干影響があるが、さいわい意識は明瞭だった。 


「選挙はムリ」の判断は早かったと思う。その時点で「定員2名オーバー」の情報があり、「私が抜けても選挙になる」との判断もあった。しかしその後、情報にあったK君の出馬は無いことが判明、無投票が大勢となる中、何とか擁立をさぐる動きがあった。私も秘蔵のふたりに声をかけた。いずれも叶わなかった。 


首都圏在住の長女夫婦が見舞いに来たのが1週間経った3月9日の土曜日だった。私は全く考えていなかった、長男説得を言い出した。「代わりに息子を」とは何人かに言われたが、本人ははなから拒否しており、私も議員世襲をこのましくは思っていなかった。そんなわけで、これからは本業の染物での可能性をさぐるべくはらを決めていた。しかし、長女夫婦のことばを聞いて、成行きに任せてみることにした。息子がチラシ、選挙公報に書いた文章を転載しておきます。


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故斉藤喜一頭取神葬祭 [弔辞]

遺影.jpg頭取の神葬祭、無事、立派に斎行できました。左は遺影の元画像です。この杖を持ったこの装束での旅立ちです。2017県写真展で県知事賞受賞のカメラマン須藤佐重さん(山形市)が2018年に撮ってくれていました。(県知事賞の写真のモデルは獅子冠事務所の川合嘉雄さんでした。→「祝!県知事賞「出番前」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2017-03-03

以下、弔辞です。

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  「とにかく生ぎででだげけろな」と言っていたのも、いつかこの時が来ることの覚悟はあってのことでした。享年89歳、いつの間にかすーっといなくなる、「フェードアウト」という言葉が似合う大往生でした。
 最初の大動脈解離は9年前、平成27年でした。2回目は3年前、令和3年でした。1回目は8・2、2回目は9・1で、ともに助かる可能性はわずかでした。間には鼠蹊ヘルニアで救急車で運ばれることもありました。しかしそのたびに病を乗り越え、車を止められてからは、電動自転車でどこまでも行っていました。周りはハラハラさせられていましたが、無事で通しきりました。身体を動かすことで病気前より丈夫になったようでした。最近は自力で神社の石段を昇り降りできるようにもなっていました。神さま、お獅子さまのご加護を思わずにはおれませんでした。逝くべき時まで自力で生き切りました。
 最近は髭も伸び放題でした。しかし、棺(ひつぎ)に納められて戻った姿は見違えるようでした。その翌日、火葬の前はさらに男前に磨きがかかり、神々しくさえ見えました。肉体のくびきから放たれて、頭取本来の精神の自由を思う存分満喫しているかのようでした。
 頭取の自由奔放な思考につきあうのは大変でした。ただフーフー言いながらのなんとかついていって実を結んだのが「白鷹山に『伝国の辞』碑をつくる会」でした。長くなりますがあらためてふりかえってみます。
 「『伝国の辞』の碑を白鷹山にぜひ」という頭取の投書が山形新聞に載ったのは平成20年、16年前のことでした。だいたいそれっきりになるのが普通なのに、思いがけなくこの投書に作谷沢の樋口和男山辺町議が共鳴、頭取との交流が始まり輪が広がりだしました。小滝地区をはじめとする白鷹山山麓の方々も巻き込み、平成24年に「白鷹山に「伝国の辞」碑をつくる会」が結成されました。米沢上杉神社大乗寺健宮司のお声がけもあって米沢も動き出し、予定を超える金額が集まり、平成26年の「高い山」の日を期して、「伝国の辞」碑とともに、碑建立の趣旨を伝える副碑もできることになりました。
 さらにそれからが頭取の真骨頂でした。ちょうどケネディ大統領が凶弾に斃れて50周年の日、除幕式にキャロライン・ケネディ駐日大使に参列してもらおうという手紙を出したのです。するとその直後、キャロライン大使就任後最初のスピーチで、父ケネディ大統領が鷹山公を尊敬していたことを語られ、大きく報道されたのです。真偽が定かでなかった話にお墨付きをもらったということで、山形県中沸き立ちました。それから大使館との交流が始まり、副碑にはケネディ大統領の言葉とキャロラインさんからのメッセージが刻まれて碑は完成、平成26年5月13日除幕の日を迎えました。キャロライン さんのご列席は叶いませんでしたが、心のこもったお祝いの言葉が届きました。
 さらにそれで終わりではありませんでした。その年の9月、米沢の鷹山公のおまつりにキャロラインさんが家族で来てくれたのです。その時なんと、除幕式の記念として送った手拭いが家族みんなの首にかけられていました。キャロラインさんと頭取が直接会うことはありませんでしたが、キャロラインさんからの何よりのメッセージでした。
 頭取の思いはどこまでもつづきます。なんとかキャロラインさんに白鷹山の碑を見ていただきたい。その願いを最後まで捨てることはありませんでした。その思いから村山市出身のアメリカ大使館女性職員と知り合い、そこから南陽市とカリブ海の島国バルバドスとの交流が生まれました。(「バルバドスからの手紙」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2017-05-17/「バルバドスとの交流へ向けての第一歩https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2017-07-18
 さらに一昨年の9月には、かねて念願の花見弘平とジョン・F・ケネディの友情秘話を紹介する「”昨日の敵は今日の友”」と題するパネルを白鷹山虚空蔵尊に据え付けました。頭取は自力で山頂まで登り切り、山形新聞に大きく紹介されました。(「”昨日の敵は今日の友”(花見弘平とケネディ)」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2022-09-15
 「伝国の辞」碑建立の余韻はこれからもまだまだつづきそうです。頭取にとってはおそらく、こっちの世界もあっちの世界も地続きです。あっちの世界からどんな思いを伝えてくるか、耳を澄ましておきたいと思います。
 それにつけてもいちばんは獅子冠事務所のことです。みんな「これからどうする」と心配してくれます。「とにかく今は無事頭取を送り出すこと。あとはそれから」と言い続けてきました。事は見事に運んで今に至っています。頭取のおはたらきを感じます。これまでも「おまつりは神さまの段取りについてゆくだけ」と思って務めてきました。頭取もこれからは神さまのひとりになりました。どうか獅子冠事務所を、そしておくまんさまのお祭りをお導きお守りください。こっちの世界でやらねばならないことをみんなでがんばってやってゆきます。その思いをお伝えして、弔詞とさせていただきます。
 ほんとうにありがとうございました。

  

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オーストラリア議会が世界で初めて超過死亡を認める! [コロナ危機]

2024.2.28 オーストラリア議会が世界で初めて超過死亡を認めた(及川幸久)


- 豪州上院議会で超過死亡に関する動議が賛成多数で可決。世界の議会で初めて、超過死亡を公式に認めて、その原因調査をすることに。

- 一方英国政府は「予想死亡数」を高く見積もり、超過死亡を減らす工作をしている。

> ニュージーランドの超過死亡について: twitter.com/oikawa_yukihis

超過死亡が世界中で起きている問題について: twitter.com/oikawa_yukihis

日本の超過死亡 藤江さんの報告: twitter.com/oikawa_yukihis


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人口動態速報値 令和5年12月.jpg27日に「令和5年12 月分人口動態統計速報」が出ました。https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/s2023/dl/202312h.pdf 以下、プレスリリース。

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獅子冠事務所斉藤喜一頭取、逝く [熊野大社]

杖つく頭取.jpg「とにかく生ぎででだげけろな」と言っていたのも、いつかこの時が来ることの覚悟はあってのことだった。「フェードアウト」という言葉が似合う大往生だった。昭和11年7月27日生、享年89歳。
大動脈解離で生死の境をくぐり抜けて来た。最初は平成27(2015)年だった。「齊藤喜一氏重篤の中、ケネディ大使への手紙を発信しました」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2015-05-25 令和3(2021)年にも別の箇所で再発して救急車で運ばれた。間に鼠蹊ヘルニアの手術もあった。その時も救急車だった。そのたびに甦ることができた。最初の発病で車の運転を止められてからは電動自転車でどこまでも行った。周りはハラハラさせられていたが、無事で通した。病気前より丈夫になったようでさえあった。神社の石段を自力で昇り降りできるようにもなっていた。神(お獅子さま)のご加護を思わされてきた。逝くべき時まで生き切った。
今は肉体のくびきから放たれて、精神の自由を満喫し出しているような気がしてならない。頭取の自由奔放な思考にとてもついてゆけなかった者として思う。ただフーフー言いながらのなんとかついていって形のなったのが「白鷹山に『伝国の辞』碑をつくる会」だった。頭取の発想から、碑の建立が実現しただけではない。キャロライン・ケネディ駐日大使の米沢訪問につながった。そこからさらに南陽とバルバドスの交流が始まった。→鷹山公精神の世界発信(「Acorn」への寄稿)(1) ケネディ大統領の心に鷹山公の名が深く刻まれたわけ」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2015-03-02/「バルバドスシンポジウム」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2019-02-26
とりあえず、手元の写真から何枚か。昨年撮ったものです。→祭りはリクツでない」https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2023-07-26

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