SSブログ

原爆投下に見る悪魔性 [日本の独立]

In Deep意味も理由もないまま1945年に原爆を落とされた日本と日本人…は、その後の数十年で何かを考えたのだろうか? という疑問のために」https://indeep.jp/jp-1945-2023/で紹介された広島・長崎への原爆投下は不要だったと第二次世界大戦の米軍トップが語る」https://www.zerohedge.com/geopolitical/hiroshima-nagasaki-bombings-were-needless-said-world-war-iis-top-us-military-leadersをDeepleで翻訳して読んでみた。
《悲しいことに、アメリカ政府は日本の都市に原爆を投下すること自体が目的であり、降伏を求める日本の関心を無視しただけでなく、21万人以上の人々(不釣り合いなことに女性、子ども、高齢者)がこの2つの都市で殺された後まで降伏が延期されるよう努力したのだ。》
アイゼンハワーは後に、「日本軍は降伏する準備ができていたので、あんなひどいもので攻撃する必要はなかった」と語っている。「私は、わが国があのような兵器を最初に使うのを見るのが嫌だった」。》
海軍長官特別補佐官のルイス・ストラウスは、「東京からそう遠くない、杉の大木が茂る森で原爆の威力を示すべきだ」と提案したという。この兵器は、爆発の中心から四方八方に、まるでマッチ棒のように木々を風穴に並べ、もちろん中心で火をつける。このようなデモンストレーションをすれば、日本のどの都市でも意のままに破壊できることを証明できるように思えた」。/シュトラウスによれば、海軍長官のフォレスタルは「心から同意した」というが、トルーマンは最終的に、最適なデモンストレーションには何十万人もの非戦闘員を焼き払い、都市を荒廃させる必要があると判断した。責任はそこにある。》
ヒロシマ神話は、アフガニスタンでの無人機による空爆で虐殺された女性や子どもたち、不当なイラク侵攻による何十万人もの死者、アメリカが認可したイランで輸入医薬品がないために死亡した赤ん坊など、アメリカの海外での行動に関連する民間人の犠牲者に対する堕落した無関心を助長する。/結局のところ、ヒロシマ神話を受け入れることは、真に不吉な原理を受け入れることなのだ。正しい状況下であれば、政府が意図的に罪のない市民に危害を加えることは正しいという原理である。その被害が爆弾によるものであれ制裁によるものであれ、それはアルカイダの道徳を反映する哲学である。》
1945年と2023年をつなぐ糸はこれだけではない。トルーマンの無条件降伏の主張は、バイデン政権がウクライナでの交渉による和平を追求することにまったく無関心であることと呼応している。/今日、日本に投下された原爆の1000倍もの威力を持つ6000発の核弾頭を持つ敵国と対峙しているバイデンは、自らの頑なな戦争継続によって、広島と長崎の罪のない人々と運命を共にする危険にさらされている。》
鬼塚英昭著『原爆の秘密』を読んでhttps://oshosina.blog.ss-blog.jp/2008-09-15を思い出した。結局はカネに由来する悪魔性「金を先んじ諍い世の常と成し人の命軽んじて顧みぬ穢き企み世にはびこることなく、諍ひの源祓ひ清め、世の萬の皆々勝ちさぶ心なく心ゆるやかに和み合ひ、神の心の人の心なる世に移り行かしめ給へと、畏み畏みも乞祈み奉らくと白す」(月例祭祝詞)
≪核兵器用プルトニウムを生産するための施設を完成するために「その基本計画を受け取った時点から27ヶ月を要し・・・その工場施設の設計・建設・実際の運転業務を推進するにあたって、デュポン社は、1万ないし1万5000の他企業の援助を得た≫と、長崎を破壊したプルトニウム爆弾の開発を担ったデュポン社の社長カーペンターは語ったという。(『原爆の秘密(国外編)』257p)関わった企業が10,000~15,000と言う数字の大きさに唖然とした。原爆の完成に至るまでにどれだけの人とカネが注ぎ込まれたことか。
≪自分たちは湯水のように、アメリカという国家の金を使った。今さら、良心的な行為をしろという学者たちよ、お前たちは、そろそろこの表舞台から去ってもらおう。民主主義とは何かを、心に問うてみるがいい。それは、成果を見せて、国民を喜ばせることなのだ。/そのためにはスペクタルが必要となる。そうだ、無警告の中での原爆ショーである。≫(261p)
*   *   *   *   *

続きを読む


nice!(0)  コメント(1) 
共通テーマ:blog

宮内七夕祭 [熊野大社]

2023.8.7 1.jpg

昨日宮内七夕祭が斎行された。平成25年(2013)に始まったので今年が11回目。まだまだPR不足で十分に知られていない祭事だが、伝統に裏付けられた意義深い祭りとして永く継続してほしい。今回、北野宮司の御母堂が亡くなられていたので、斎主を蔵田権禰宜が務めた。その祝詞と神事終了後の挨拶にこの祭事の意義が語り尽くされていた。

・祝詞 

・挨拶 

この祭りによって、各家に眠ったままのお獅子達がハレの場に出る機会を得た。宮内には古来各家の獅子を旧暦7月6日の晩、みんなの目に触れる場でお祀りする七夕の行事があった。戦後は子供会単位で行われるようになっていたが、少子化とともに廃れてしまっていた。それを復活したのが宮内七夕祭だった。→「宮内七夕の復興(1) 北野猛著「熊野大社年中行事」」https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2013-12-10

昨日上の寺のところで、87歳の平源助さんに声をかけられた。墓掃除だという。「ナヌカビ」であることに気づいた。古い人は昔からの伝えを守っている。今朝ゲートボールの練習日で、同僚議員に「ナヌカビの墓参りは?」と訊いたら、吉野や梨郷の議員は「当然」の風の答えだった。町場で忘れられていることがしっかりと地域に伝わっていることを知らされた。6日の晩の七夕祭りを終えると、吉野川に七夕の飾りを流す、そして夜が明けると墓参り、そしてお盆を迎えるというのが恒例だったのだ。そういう行事に関係ない勤め人が増えてしまってどんどん忘れられてゆく。宮内七夕祭は、そうしたことに歯止めをかける意義もある。

続きを読む


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感