夢のリアリティ [若松英輔]
失われた物語性を求めて〜新美南吉 若松英輔
人の話を聞く、あるいは文章を読み、楽しいと思う。そのいっぽうで心打たれたと感じることもある。二つが同時に起こる場合もあり、そうした経験は時を忘れる。
あるときまでは楽しいことが重要で、楽しくないことはつまらないことだった。年齢を重ねたせいなのか、かつてのように楽しくなくてもつまらないとは感じなくなった。心打たれる経験が増えたからである。
心打たれるとき、心中で、耳には聞こえない小さな音がする。何かが動き、響く。本居宣長は「感く」と書いて「うごく」と読んでいる。この場合、うごくといっても体ではなく心、それも心の深部がうごくことを指すのだろう。ある出来事にふれ、心が動かされた、と口にすることもある。感動とは、心と身体ともに、それも深く「うごく」出来事なのではないだろうか。
若いときは、楽しみと感動は質を異にする経験だった。しかし、最近は極めて近しいものになっている。別ないい方をすれば、心を打たないものには楽しみも感じにくくなっている。
「ごん狐(ぎつね)」や「手袋を買いに」の童話で知られる新美南吉という童話作家がいる。一九一三年に生まれ、四三年に三十歳になる前にこの世をあとにした。今年は生誕一一〇年、没後八〇年にあたる。彼に「童話における物語性の喪失」という情熱的な論考がある。いつの間にか童話から物語性が失われてしまった。どうしてもよみがえらせなくてはならない、という。
かつて文学は、人と「物」との協同によって生まれていた。しかし、いつからか「物」はどこかに追いやられてしまった。小説はずいぶん前に物語であることを止めた。最後の砦(とりで)だった童話の世界からも物語の痕跡は消えつつある。物語性を失った話は単なる「作り話」に過ぎない。現代文学はいつしか、「物語」ではなく「作り話」にその座を譲ったと新美は指摘する。
「物」という文字を古語辞典で調べると、物体、物事、人、という常識的な意味のあとに超越的存在という言葉が続く。「物語」とは、人間以上のはたらきの介入によって生まれる言葉にほかならない。「昔からよい作品は霊感によって生まれるといわれている。霊感は、また『閃(ひらめ)く』という述語をいつも従えている。して見るとそれは稲妻のようなもの、我々のままにならぬものなのである」。「作品」は作者の思いの「ままにならぬもの」である、それが新美南吉の書き手としての実感だった。こうした現場で「ごん狐」、「手袋を買いに」、そして「でんでんむしのかなしみ」といった作品も生まれたのだった。
新美南吉は文学者だから、ことをいたずらに大きくしないが「物」は文学の世界だけでなく、さまざまな場所から追い出されつつある。芸術、宗教、哲学、科学、さらには実業の世界でも、歴史のあるところには必ず物語があった。どんなに巧妙に考えても人間の知識では太刀打ちできないような堅固な物語が存在した。プラトンの哲学、『新約聖書』の「福音書」がそうであるように哲学も宗教も物語から生まれてきたのである。
フランスの小説家フランソワ・モーリアックが「小説家と作中人物」と題する一文で創作をめぐって興味深い言葉を残している。小説家の計画通りに動く主人公、あるいはその作品は、じつによく思うように進むが、けっして生きたものにはならない。「これに反して、私が何らの重要性も置いていなかったある別な副次的な人物は、自らの舞台の前面にのり出して、私が彼を招きもしなかった席を占め、思いがけぬ方向に引っ張ってい」(川口篤訳)くことがある。ここに「物語」が生まれる、というのである。
作家にとって重要なのは、作意を練ることではなく、自分のなかに「物」が動き始める余白の場所を生み出すことだというのだろう。
作り話は、書き手の作意があれば、いくらでも作ることができる。複数の人間がアイディアを持ち寄ることもできるだろう。だが、どんなによい着想があっても、「物」が語らなければ物語はけっして生まれない。
この一文を書いていたら書棚にある小説家の佐多稲子の『年譜の行間』という著作の背表紙が目に入った。「物語」は、年譜の上ではなく、「年譜の行間」にこそ宿るのではあるまいか。行間も生まれないほどに詳しく記された年譜に人生を語らせようとするとき人は、「物語」が発する無音の声を、自ら封じているのかもしれないのである。
(批評家)
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