SSブログ

明治維新のキモ(辻原登『陥穽ー陸奥宗光の青春』) [雲井龍雄]

明治維新の全体像が浮かび上がる。

*   *   *   *   *


辻原登「陥穽(かんせい) 陸奥宗光の青春」(184)(185)

小杉小二郎 画


江戸で幕閣たちと激論を交わし、その守旧ぶりに業を煮やし、憤然として神戸に帰って来た勝海舟はすこぶる機嫌が悪かった。京都で長州をやっつけたというだけで、再び天下を取ったような気になって旧弊に戻ろうとする相手では、「一大共有の海局」の話など通じる訳もなく、例えばこの難局に、「参勤交代の制」を旧に復したことを最大の政策的成果などと自讃する始末なのである。

海舟は既に幕府を見限っていた。自分はその幕府の軍艦奉行なのである。神戸だけは何とか守らねばならぬ……。海舟は若い連中と短艇(カッター)を漕いで一日、日の暮れるまで体をくたくたに疲れさせて憂さを晴らそうかと考えていた矢先、不意を衝いて西郷が現れたのである。

しかも話に聞く、形(なり)を構わぬ風体でなく、赤い轡(くつわ)の紋の付いた黒縮緬(ちりめん)の派手な羽織を着た役者のような出立(いでたち)である。頬には薄っすらと白粉(おしろい)を刷(は)いている。これには、一カ月前に会ったばかりの龍馬も小二郎も驚いた。

西郷の一行は海舟への挨拶もそこそこに、広大な操練所の中を二時間近くかけて、訓練の様子と施設を見学し、最後にカッターで碇泊中の観光丸の周囲を一周して戻って来た。西郷の羽織は、オールの上げる飛沫(しぶき)でびしょ濡れになっている。

西郷はそのまま海舟の部屋に入って、二人きりで話し込んだ。

西郷の訪問の目的は二つあった。一つは海軍の操練所見学、一つは、勝海舟を通じて幕府の内情を探ることである。

西郷は、勝の激烈な幕府批判を聞いて一驚する。幕府の腐朽ぶりを改めて知った。

海舟は、思い切って、幕府を除外した雄藩連合による「共和政治」を西郷に吹き込んだ。つまり横井小楠の思想を、西郷によって体現させようとしたのである。

西郷から国許にいる大久保利通への、九月十六日付の手紙。

 勝氏へ初めて面会仕候処(つかまつりそうろうところ)、実に驚き入候人物にて、最初は打ち叩くつもりにて差越(さしこ)し候処、とんと頭を下げ申候。どれだけか智略の有るやら知れぬあんばいに見受け申候。まず英雄肌合の人にて、佐久間象山より事の出来候儀は一層も越え候わん。学問と見識においては、佐久間抜群の事にござ候えども、現時に臨み候ては、この勝先生とひどく惚れ申候。

 

西郷の大久保利通への手紙の続き。

 (……)一度此策を用い候上は、いつ迄も共和政治をやり通し申さず候ては相済申間敷候間(あいすみもうすまじくそうろうま)、能々(よくよく)御勘考下さるべく候(……)

西郷は、海舟を通じて横井小楠(しょうなん)の「共和政治」を受け取ったのである。龍馬の評言に従えば、大きく叩いて大きく鳴ったのだ。

重要なことは、幕府・幕藩体制という最早手の施しようもなく腐り切った体制(アンシャン・レジーム)を西郷が見限った時、長州と薩摩が仇敵視し合う必要、理由がなくなるということだ。つまり長州の桂小五郎と薩摩の西郷隆盛の両雄は、理念上ここで出会っていたことになる。その出会いを用意したのは「一大共有の海局」を唱え、実践しようとした勝海舟だが、どの辞書にも出て来ない「海局」とは、歴史上の文脈では、「薩長同盟」を推進するエンジンのことに他ならない。間もなくそのエンジンを坂本龍馬が担うことになるのだが……。

nice!(1)  コメント(1) 
共通テーマ:

nice! 1

コメント 1

めい

【読書】辻原登(著)『陥穽 陸奥宗光の青春』〜日本経済新聞の連載小説〜
谷川万次郎
2023年7月21日 06:46
https://note.com/medakanokaisha/n/na89e9d01a061

毎朝、事務所に着くと必ず日本経済新聞を読んでいます。しかし最近はあまり時間がなく、ほとんど見出しをさらっと見る程度で、これはと思う記事だけを読んでいます。36面に掲載されている連載小説も好きだったのですが、それも最近は読めていませんでした。

しかし今連載されている、辻原登(著)『陥穽 陸奥宗光の青春』を少し読んでみたのですが、これがとても面白いのです。最初から読んでおけば良かったと、後悔しています。

物語りは今、薩英戦争のところなのですが、坂本龍馬と勝海舟のやりとりが、とてもリアル感があります。

最近は毎朝、日本経済新聞の36面を開くのが楽しみです。事務所に着いて、仕事を始めるまで読むには、程よい文字数なのです。

by めい (2023-09-19 06:15) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。