祭りが始まる [熊野大社]
御獅子渡御、休憩所ごとの振る舞い酒、すっかり祭りに酔った上の大酒でヘロヘロでした。気持ちのいいお祭りでした。
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『すこし昔のくらしー吉野民俗風土記』(昭和61年 吉野文化史研究会)より
《この社は元村社であって末社も多く、祭日は七月十九・二十日で、多くの氏子により、わかものがしら、こがしらを中心に、盛大な獅子かぶりが行われていた。/獅子児は小学校三年以上の男子で、獅子かぶりの小頭以上の役員から許可を受けた者に限られていた。いよいよ祭が近づくと、一週間は精進食で、その上朝夕は水垢離をとって身を浄めねばならなかった。/祭り当日の装束は、白の行衣・帯・タスキ・鉢巻・シンメ・白足袋などであって、これらのものは総べて自分で洗濯や保存をする掟があり、他人(女)に頼むと穢れ、一週間の精進を怠ればケガをすると教えられていたものである。/また、獅子児は夜祭日に拝殿で、獅子の幕を体にまとい、お籠りをする。この夜および昼祭りでの獅子かぶりが納められる時、次のようなおがみあげを三回唱えて獅子を本殿に納める。/アヤ二 アヤ二 クスシク タウト 熊野ノ神ノ ミマエ二 オロガミマアツル/・・・この熊野神社創設にかかわる口碑として、「水林は大姉、上荻は中姉、宮内の熊野社は末妹」といわれている。この意味について憶測も多く、吉野川の上流・中流・下流の説を唱える人もあり、また三社とも同じ方角に建立されているというむきもある。ともあれこれは同じ熊野神社としての信仰の厚さを物語ったものかも知れない。》
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