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新・mespesadoさん講義(122)6題 [mespesado理論]

医師がこんなに騙されるとは思わなかった。》問題視すべきは、遊びの余地のある「入学試験」よりむしろ、専門分野の「資格試験」の方。(人間の頭をガチガチにする)→ 教科書を疑うことを知らない人達だから、医師になれた》

「正しさ」と「証明」の問題。《数学では「証明されたとき、その命題を正しいと言う」というのが「正しさ」の「定義」ですが、数学以外の分野では、この定義は採用されていない》

③「シューマン共鳴(振)」について。

④岸田首相をどう見るか。岸田さんは、今のところは何とかうまくバランスを取ってこなしているかな、という印象です。ただ、それが岸田さんの意図したとおりなのか、単に天然なのかはわかりませんが。》
⑤翻訳ソフトDeepLの評価。
⑥「bon sens(良識)」:「正しいこと」と「間違ったこと」の2元論の域を出ない概念》「常識」なるものを「正しい」ものであるとラベルを貼ったものが bon sense の正体》
*   *   *   *   *
842 名前:mespesado 2022/01/25 (Tue) 16:42:34
https://twitter.com/ryokuhei/status/1485749709851410432

萬田緑平@ryokuhei
> いくら「変だ!」「おかしい!」と言っても効果はない。変でもなんで
> もいい。騙してでもワクチンを打つのが目的だから。テレビを信じる国
> 民が騙されるのはしょうがない。政治家が金にまみれてるのも想定内。
医師がこんなに騙されるとは思わなかった。遺伝子を知らないと医師も
> コロナ怖いのは仕方ない。
 ↓ ↓ ↓
ポチ@DHBfc1T9fngpyzq
> 教科書を疑うことを知らない人達だから、医師になれたのかな?と逆に
> 思ってしまったりします。
> 勉強してて、何かに興味を持ったり違和感を持ったりしてたら、脱線だ
> らけで勉強が進まないですもんね。
> でも臨床の場で学び直すものかな?と思いましたが学ばない人が多いん
> ですね。

 ↑これ、すごくよくわかります。
 いわゆる「資格試験」ってありますよね。私も国家試験ほど大げさなものじゃありませんがこの一種を受けたことがありますが、ひたすら「暗記」して「パターンに慣れる」ことに一生懸命にならないと受かりませんw
 でも、それが苦痛かというと、そういう問題ではなく、脳が一種の「トランス状態」になって、教科書に「夢中になる」というか「同化する」って感じになると、それにスイスイ乗っかった感じになって「頭に入って来る」んですね。
 しかしですね、もうはるか前に経験しただけになってしまった「大学受験」をはじめとする「入学試験」は、今となってはあまり受験時代の記憶が残ってないので記憶違いな部分もあるかとは思うんですが、ちょっと「資格試験」とは違う気がするんですね。入学試験の場合は、あまりに分野が広すぎる、つまり特定の専門分野の試験じゃないから、すべてに満点を取ることが初めから期待されていない。そのため、意外なことに、かなり「遊びの要素」があるんですよ。だから、高校のときに大学で習う部分も自分で興味を持って独学して特定の教科について異様に詳しくなると、その教科に対する入学試験問題なんて「楽勝」になっちゃって、他の全然興味を持たなかった教科の低得点をカバーできるんです。だから、「入学試験」対策なら「何かに興味を持ったり違和感を持ったりしてたら、脱線だらけ」になってもちゃんと合格することができるんですよ。ところが、「資格試験」のような特定の分野だけの専門試験は、とにかく基本はすべて間違いないように網羅して覚えておかなければならないような試験なので、遊びの要素が殆ど無い。例えば医師国家試験などは、この問題だけは間違ったら他の問題が全て満点でも落とす、っていう「地雷」みたいな問題が必ず含まれているそうですが、これじゃ確かに「遊び心」なんて余裕は無いですよね。
 というわけで、世間では「入学試験」の方に「受験地獄」などと言って批判が集まるのに対し、専門分野の「資格試験」に対しては世間もスルーみたいですが、実は「入学試験」って、若者の貴重な時間を奪う受験地獄といわれるほ酷いものではなく、むしろ問題視すべきは専門分野の「資格試験」の方じゃないの?とか思っちゃいますね。


843 名前:mespesado 2022/01/27 (Thu) 08:55:07
 別スレで次のような書き込みを見ました↓

> キチっと証明するまでは

> どんな説も 仮説 です。

> せめて 疎明 しましょう

 ↑よくそのように思う人がいると思いますが、「証明」されたら「正しい」ということすら私からしたら「間違い」です。そもそも「証明」と「正しさ」がハッキリ連動している学問分野って「数学」だけしかありません。それ以外の分野では、「理論」や「事実」があるだけで、「正しさ」という概念は数学ほど明確ではないし、そもそも「証明」という概念自体が存在しない学問分野すらあります。
 例えば、現在ではまるで数学と区別が付かなくなったような、数式を駆使する理論物理学の場合でも、存在するのは「理論」だけであり、「証明」という概念はありません。ただ、「今のところ実験・観察結果と矛盾の無い理論」とか「技術が無いため検証不可能な理論」があるだけです。後者が将来前者になる場合もありますし、前者後者ともに、将来の実験・観察結果と合わなくなる場合もあります。でも、その場合でも「近似理論」として残る場合もあれば、そもそも根本的に覆されたとして「廃案」になる理論もあります。相対論出現後の「ニュートン力学」や量子論出現後の「古典力学」はこの前者に当たり、燃焼に関する「フロギストン仮説」などは後者の例ですね。
 また、宇宙物理学の場合なんかでも、ブラックホールの存在が「証明」されることがありますが、これは観察によって「証明」されるわけで、数学のように数式で証明されるのとは違います。また、観察によって「証明」されたと思われてきたものが、更に観察精度が上がったりして間違いであることが判明することもあります。数学では「証明されたとき、その命題を正しいと言う」というのが「正しさ」の「定義」ですが、数学以外の分野では、この定義は採用されていない、というか、採用することがそもそも不適切だからです。
 あと、犯罪捜査から裁判までの流れにおける「証明」も同じで、裁判所で「証拠」が認められて判決が下されると、それが事実であったという「証明」と言われることもありますが、それが実際に行われた「事実」と一致するとは限らないことは、「冤罪」の存在が示すとおりです。
 今同スレで問題にされているのは、医学・生理学の分野における「正しさ」と「証明」の話ですが、「この治療に効果があるか」という問題について、分子構造から量子化学などを駆使して解明が行われたり、臨床試験で厳格に二重盲検を行って統計的に結論を出す場合などがありますが、いずれも「証明」というほど明確なものは無く、前者は私のような理屈屋さんにとっては非常に納得感がありますが、これも高分子の分野はいくら最新の量子化学の成果を使って高性能コンピューターで検証しても、所詮は近似計算に過ぎないし、そもそもその依拠している量子化学自体が量子論の一分野でしかなく、その量子論だって、物理学では今のところ観察結果と矛盾しない一理論に過ぎません。また、後者の二重盲検だって、本当に他の条件が同じで検証できているのかと言えば、そのことを明確にできる人は、当の実験を行った人たちですらいないはずです。いわんや、今のような製薬業界の利権による不正が横行している中では、そもそもそれ以前の問題でしょう。
 というわけで、数学以外の分野では、ものごとの「正しさ」を機械的なルールで判明すること自体が原理的に不可能であり、程度問題と心象・納得感以上のものをそこに期待すること自体が間違いだと思います。
 蛇足ですが、私は、例外として除外した「数学」ですら「証明」されたから「正しい」とは思いませんけどね。なぜなら「証明」とはある「公理」群とよばれる「アプリオリに正しいと定めている命題」から「推論規則」というルール群に従って命題を並べていく作業に他ならないのですが、その肝心の「公理」自体が「正しい」かどうかということは数学では不問にされているからです。更に言えば、推論規則が「正しい」かどうかっていう問題もありますしね。
 というわけで、スピリチュアルな世界では「証明」にこだわるな、って話をよく見聞きしますけれど、その感覚はとてもよくわかります。


203:mespesado :2022/01/30 (Sun) 16:03:00
>>202
> シューマン共鳴


 シューマン共鳴(振)については↓
https://hiratageka.com/2019/10/25/%E2%98%86%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E6%B3%A2%E3%81%AE%E8%A9%B1%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E2%98%86/

に図入りで説明がありますが、周波数を大雑把に計算すると

> 地球(電離層と地面間の球殻状の空洞)の共振周波数は、電磁波の伝搬
> 速度、30万キロメートルを地球周囲の長さ4万キロメートルで割った7.5
> ヘルツ付近になります。

ということになりますね。ただし、これは基本モードの周波数で、実際は、これの「倍音成分」があるので、

> 2020年には170Hzに到達しました。

というのはその倍音成分のことで、特にこの倍音成分がこの年は強くなった、という意味なのかもしれません↓
https://ameblo.jp/mitsulow/entry-12661386482.html

↑ちなみにこのサイトには複雑な数式が出てきますが、これは、地球が最初のサイトの図による説明にあるような「円」と「円周」ではなく、実際には「球」と「球面」であることによるものかと思います。


664:mespesado :2022/01/30 (Sun) 16:41:50
岸田首相も陥ったコロナ「後手後手」批判
広がる既視感、準備十分だった?
https://www.nikkansports.com/general/column/nakayama/news/202201300000195.html
> 岸田首相の政治スタイルは、政策の方向性が適切でないと気づけば、修
> 正をいとわないのが特徴。「安倍&菅時代から激変」といわれる姿勢を、
> ある野党議員は「ツッコミどころが難しい」と手を焼いていた

> 「有事には強いリーダーシップが不可欠」とはよくいわれることだ。コ
> ロナはまさに有事だが、岸田首相から、国民が安心できるようなリーダ
> ーシップは、まだなかなか感じられない。

↑記事は岸田首相の「優柔不断」さをネガティブに報道する。

 一方、財務関係について↓
https://jp.reuters.com/article/japan-pm-idJPKBN2K00NR
> 緒方氏は首相に対してデフレは貨幣現象かと質問。首相は「貨幣が物価
> 変動に影響を与える意味では貨幣現象だが、デフレにはさまざまな要因
> もあることに留意が必要」と応じた。

> 首相は、安倍政権と同様、2%の物価目標をもとに金融政策運営を行う
> 方針を関係閣僚で確認しているが、「どのような政策を具体的に取るか
> は日銀に任せるのが基本姿勢」と述べた。

> さらに「日銀による国債引き受けを前提に野放図な財政政策を行えば、
> 国の信頼を失う恐れがある」とし、岸田政権では「MMT政策は採って
> いない」と話した。

 もちろん、三橋さんは、この最後の部分について

>  どうせ、矢野をはじめとする財務官僚が書いた作文を読んでいるだけ
> なのでしょうが、突っ込みます。どこの誰が、
> 「MMTは日銀の国債引き受けを前提とした財政政策」
>  などと主張しているというのでしょうか。何しろ、MMTは万有引力
> の法則と同じで、
> 「現実はこうなっています」
>  という説明に過ぎず、「MMTをやる」などと主張する者は、「万有
> 引力の法則をする」と言っているのも同然なのです。

と批判していますが、それは事実ベースとしてはそうでしょうが、この財政における岸田首相の発言から、首相としてのスタンスは明らかだと思います。つまり「強い抵抗勢力には逆らわない」こと。しかし、実際には西田さんや高市さんに財政面で財務相を牽制する仕組みを実際に作ったことを考え合わせると、「国民のためにならないことをやろうとする強い勢力には表面的には逆らわないが、しかし彼らの思惑通りにさせるつもりもない」という態度が見えます。だから、コロナ対策もそうなんじゃないか。だから、DSには露骨には逆らわないが、かといって彼らの手先になるつもりもない、というところではないでしょうか。まさに微妙なかじ取りです。もし国民のためという受けを狙って強い勢力にハッキリ抗ってしまうと、前首相や前々首相のように「辞めさせられる」のは明らかですからね。この点、河野さんはもちろんのこと、高市さんが首相になった場合でも、このような微妙なバランスが採れたかどうか疑わしい。そういう意味で、岸田さんは、今のところは何とかうまくバランスを取ってこなしているかな、という印象です。ただ、それが岸田さんの意図したとおりなのか、単に天然なのかはわかりませんが。


847:mespesado :2022/01/30 (Sun) 16:49:11
DeepLを翻訳のプロが検証!評判のAI翻訳ソフトの実力は?
https://www.atglobal.co.jp/strate/8500
> DeepLというドイツ発の無料のAI翻訳ソフトの翻訳品質が「非常によい」
> と話題になっています。

 なるほど。この記事で最新の翻訳ソフトの発展状況を知ることができました。


968:mespesado :2022/01/30 (Sun) 15:21:53
 別スレ↓
https://grnba.bbs.fc2bbs.net/reply/17339954/242/

bon sens(良識)という言葉が出てきた。
 何でフランス語?と思うけれども、もちろん、この語には由来があるわけで、デカルト哲学によるものだ↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B9

> 物事を正しく判断し、正しいことと間違ったことを区別する能力

 そう。この語は「常識」と訳されることもあるが、デカルトの本来の意図を酌んで「良識」と訳されることも多く、要するに、上の説明にもあるように「正しいこと」と「間違ったこと」の2元論の域を出ない概念だと思う。
 デカルトは「我思う、ゆえに我あり」で有名だけれど、これとて現代のレベルで見るといろいろツッコミどころが多くて、ちっとも自明な出発点などではない。なぜなら、自分が「思っている」ってどういう状態を意味するのか?それ自体が「錯覚」かもしれないわけだし、ちっとも「自分が思考をしている」と「感じている」からといって「自分が存在すること」の証明になどなっていないのは明らかだからだ。
 まあ、それはともかくとして、世の中の種々の「習わし」を、「正しい」ものと「間違い」なものに分け、前者を bon sens と称して、それを軸にしてモノを考えるということ自体、価値観の変化や魂レベルの進化に付いて行けない証拠のように思うのだがどうだろう。「常識とは多数決に過ぎない」とはよく言ったもので、今のコロナやワ○チ○に対する「常識」なんか、まさにそれだし、この意味における「常識」に従うことで安心する人たちが、その価値観を「正当化」するために、その「常識」なるものを「正しい」ものであるとラベルを貼ったものが bon sense の正体なんじゃないの、と思えてくる。数学の哲学におけるフランス数学の権威である「ブルバキ」のあと書きの哲学的論考を読んでも、このことを強く感じた次第。

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