「消えゆく別れの儀式」(保坂正康) [日記、雑感]
《死者との別れの儀式は、現代社会から見事に消えていった》《私たちはこれまでの日本社会の形が解体されていくプロセスにいる》。これまではどうだったか。《民俗学の書に触れると、例えば「(かつては)葬式だけは最後の晴だから、立派にしてくれと言い残して死ぬ人も多かった」(明治大正史(世相篇)」柳田国男)という。そのために衣装をそろえ、「花や放鳥のけばけばしい籠」が連なった。葬祭にはこうした古風が伝えられるままに残り、新しい文化に照らしても変えられることはなかったというのである。死者の希望をかなえることは、生者の務めだったと柳田は指摘している。/死者を通じて連綿と続いていた「別れの儀式」は、実は生者も自らの死と人々との別れを想定することで守られてきたのである。》「しかし」と続く、《その申し送りはあっさりと消えていくかに見える。》保坂氏は保坂氏なりの「私流で故人思い 心の整理」によって、心を落ち着かせるという。《この落ち着きだけで、死者との回路が確認できるような気がするのである。》そのあと、死を覚悟した保坂氏の先輩からの、別れの書簡のことが綴られる。送る人も送られる人も、人それぞれ、いろんな「死」への向き合い方があっていい、としみじみ思う。葬式のあり方、変わるのが健全なのかもしれない。
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