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新・mespesadoさん講義(18)「緊縮脳」からいかに脱皮するか [mespesado理論]

先日参加した、公民館改築をめぐる地元での議論でも緊縮脳に直面して苦戦。それに併せて、なんとか自分の考えを直接行政に反映させたいという並々ならぬ民主主義志向が働くのでさらに厄介。なまじ戦後民主主義が涵養した「自我の拡大」が正常な議論を阻害する。背景にある、ひたすら自分が正しいというポリコレ感覚、それゆえの行政不信。団塊の世代サヨク感覚の温床。私が小学生高学年時に直面した民主主義教育の行き着くところ。おそらく「綴り方教育」の影響下の小学5、6年担任の女の先生、「まずは物事『批判』からはじめよう、『素直』な気持ちは捨てなさい」、明治生まれの祖父さんんによる家庭のしつけとのギャップに直面、おかげでチックになって、いつもパチパチからついたあだ名が「そろばん」。脱出に苦労した。中学、高校、大学と引きずって大学紛争をくぐり抜けつつ一応の「自己確立」でなんとか今に至る道に辿りついた。(そのプロセス→「移ろうままに3」https://oshosina3.blog.ss-blog.jp/2019-12-05
mesさんの今回の議論、私には実にタイムリー。mesさんの結論、《国民が「自分で考える」クセを付けるような体質にならない限り、今日の「苛政」から逃れるのは無理》《「1+1=3みたいな意味での間違い」であることを正しく教育で伝えていく、これしかないんじゃないでしょうか。》とりあえずは地道な努力の積み重ねしかありません。いつかパッと開けてくることを念じつつ。「トランプがんばれ」も同一線上です。
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128 名前:mespesado 2021/02/20 (Sat) 11:57:33
 反緊縮界隈の一部で、民主主義がダメだという議論が盛んになっています。

 以下のツイッターのやり取りはそんな議論の一つです↓

しんいち(..)@amr_shin
> 【定期】民主主義だと上手くいくと思うのは幻想です。民主主義のプロ
> セスで独裁者が選ばれたり、民意が暴走して間違った選択がされるなど
民主主義自体に自身を破壊する要素が内包されています。民主主義にか
> けられた制御弁が壊れ素の民主主義が跳梁跋扈するとこうなります。
 ↓ ↓ ↓
blackburn@blackburn52
> 「悪政と戦えるのが民主主義」で、
> 「悪政と戦うこともできないのが独裁」、
> 「戦わなかったら悪政になるのが民主主義」なのかな。
 ↓ ↓ ↓
しんいち(..)@amr_shin
> 民主主義による悪政が行われているのが現在の日本です。
> 制御された民主主義では国民の声が生のまま通らないようになっていま
> す。
> また、先鋭化した利害対立がある場合、民主主義のプロセスでは意見集
> 約ができません。民主主義が豊かな先進国でしか成立しない理由もここ
> にあると思います。
 ↓ ↓ ↓
水元公彦@q8eqxRRt4HQBjwS
> 「俺の意見が採用されない」を「国民の声が政治に反映されない」にす
> り替えちゃいけない
> 間接民主主義では、比較多数の国民の支持により選ばれた代議員により
> 政策決定がなされる
> 日本で正常に民主主義が機能している事に疑いはない
 ↓ ↓ ↓
しんいち(..)@amr_shin
> 民主主義で間違った政策が実行されて国が破滅するとしても民主主義と
> 心中する覚悟があるということでいいんですね。
 ↓ ↓ ↓
水元公彦@q8eqxRRt4HQBjwS
> 「間違っている」というのは、一体どのような基準で決定されたものな
> のでしょうか?
何をもって間違った政策と言えるのですか?
 ↓ ↓ ↓
しんいち(..)@amr_shin
> 日本の現状に何の疑問も持たないんですかね。オペレーションの問題に
> 過ぎない経済政策に対して、30年以上に渡って緊縮という自傷行為を続
> けているわけですよ。いくら丁寧に説明しても改めようとはしないわけ
> ですよ。
 ↓ ↓ ↓
(..)すまん寝@秩序回復・財務省廃止・反財政再建@sumannne
> RT>もう民主主義も余裕ある奴の戯言にすぎない気がしてます。元々リベ
> ラルの妄想だったわけですが、近頃は自称保守も民主主義者化してるし。

> もちろん本筋の議論としても我が国はそもそも民主主義国じゃないんだ
> からおかしいんだけど。

 「しんいち」さんと「すまん寝」さんが民主主義の限界に絶望して、すまんねさんなんかは戦前の「君主主義」に戻るべしとまで主張しています。
 昨今の反緊縮が世間に広まらず、財務省が暴走しているのに一般人が間違った倫理に基づいて緊縮・増税をしかたのないことだと思い込んで、「財務省政府」の狂った政策を(消極的に)支持している様を嘆いているわけです。
 では、戦前のような君主主義に(例えば「すまん寝」さんが期待するような自衛隊のクーデターによって)戻したとして、うまくいくのかどうか?
 確かに民主主義だと、国民が主権者であり、国民は長期的展望やコムツカシイ理屈でなんか考えない。日本人は、基本的に「ずるい!」の感情がベースにあるので、国民全員に現金給付しようとしても「金持ちまで貰うのはずるい」だの言って、せっかく経済的に正しい政策まで引きずりおろそうとする。これを、彼らは「民主主義独裁」と呼んだりしているのですね。
 しかし、某やんごとないお方ですら「皇族の祭祀を経費節減」することをご主張されていたりするので、まあお立場はわからないでもないけれど、君主が必ずしも「正しい」政策を主導できるかは別問題。所詮は「取り巻き」の人達(江戸時代なら老中を中心とした幕臣たち)の見識が問われるだけ。
 つまり、今クーデターを起こしても、「正しい見識」を持った中核にいるべき人を育成しなければ、民主主義の今より悪くなる可能性がある、というか、その可能性の方が高い。それに国内・国外のDSの狡賢さは戦前の比じゃないので、そういう「幕臣」みたいな人を背後から脅してDSの思い通りにしようとするでしょうから、結局解決にならないように思います。
 これに対し、「君主主義時代」を歴史的に持たなかった米国は、純粋に民主主義を至上とし、何とか民主主義で善政が行われるようにしたい、と熱望する層がかなり厚い。彼らが今回のトランプ支持の岩盤層になっていると思うのです。ただ、米国と日本では、国民に苛政を強いている首謀者も苛政の中身も違う。だから、米国で仮に「真の」民主主義が勝利したとしても、それがそのまま日本に伝わったり、表面だけマネしてうまくいくことはないでしょう。やっぱり教育制度に根本的に問題があって、国民が「自分で考える」クセを付けるような体質にならない限り、今日の「苛政」から逃れるのは無理でしょう。

129 名前:mespesado 2021/02/20 (Sat) 12:28:58
>>128
> 日本人は、基本的に「ずるい!」の感情がベースにあるので、↑あ、これ、「すまん寝」さんの説です。でも、よく考えてみると、実は日本の場合はもっと根が深い。「ずるい」感、すなわち妬み嫉妬というのは、大多数の国民にとっては「醜いもの」であるという自覚はある。だから、露骨に「ずるい」から反対する人はあまりいなくて、狡賢い維新みたいな政治組織がこの国民の「ずるい感」を悪用してレントシーカー(竹中平蔵的存在)と結託する。でも現実を見ればわかるように、それが成功しているのは大阪とその近辺だけです。
 私の考える真の問題は、一般の人が「ずるいことをやっちゃいけないという倫理に縛られている」ことではないか、と思うのです。だから「働いてもいないのにタダで給付金なんか貰っちゃいけない」という倫理的縛りが問題なわけです。これはただの妬み嫉妬のような「うしろめたい」ものではなく、正々堂々な「正論」だと思っているから始末が悪い。
 だから、日本人の倫理は維持したまま、この流れを変えるには、その倫理のベースになっている「事実」の部分が(よく立憲民主などのサヨクとかが問題にするポリコレに反するという意味での「不正義」のような倫理問題ではなく)「1+1=3みたいな意味での間違い」であることを正しく教育で伝えていく、これしかないんじゃないでしょうか。

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