SSブログ

「宮内の歴史」ということで、語りたかったこと(2)熊野大社 [熊野大社]

前記事の結語として《このたび熊野大社に龍口神社が合祀されることで、熊野大社は名実ともに「龍穴」となった。金山龍口神社は白鷹山塊を龍に見立てた「龍穴」であったが、熊野大社は、出羽三山から鳥海山、さらに秋田、青森までつづく出羽丘陵(出羽山地)を一頭の龍と見立てた上での「龍穴」といえるのではないか。》と書いた。ここまで言ってしまうと、「またホラが始まった」と言われようが、とことん行くところまで行くしかないということで、熊野大社の御祭神の話にならざるを得ない。「私にとっては究極のロマンです」と断って語った。
*   *   *   *   *
「宮内の歴史」ということで、いま語りたいこと(2)

◎そもそも宮内の熊野大社とは

5-1-大津家古文書切抜き.jpg・「熊野神社縁起」:《山形県羽前国東置賜郡宮内村二鎮座シ玉フ熊野神社縁起来由ヲ尋ヌルニ、大同二年(807)諸国一般神社仏閣建立ノ官許有リテ、紀州熊野郡有馬村峯ノ神社ヲ遷シ玉フ、是則当社ノ根元ナリ・・・祭式ハ古例に任シ、花時二花ヲ以テ是ヲ祭リ、笛吹・鼓打・旗立・歌舞シテ祭リ、天下泰平・国民安堵ノ為メ春夏秋冬怠慢無ク大祭小祭ヲ定テ、天下永久祭ルヘシ》( 大津家文書)

花の窟神社151.jpg・花窟神社:《一書に日く、伊奘冉尊(いざなみのみこと)火の神を生みたまひし時に、灼かへて神去りましき。故、紀伊の国の熊野の有馬の村に葬めまつりき。土俗(くにひと)この神の魂を祭るには、花ある時には花以ちて祭り、また鼓吹幡旗用ちて、歌ひ舞ひて祭る。》(「日本書紀」巻一)《『日本書紀』(神代巻上)一書には、伊弉冉尊は軻遇突智(火の神)の出産時に陰部を焼かれて死に、「紀伊国の熊野の有馬村」に埋葬され、以来近隣の住人たちは、季節の花を供えて伊弉冉尊を祭ったと記されている。当社では、それが当地であると伝え、社名も「花を供えて祀った岩屋」ということによるものである。/神体である巨岩の麓にある「ほと穴」と呼ばれる高さ6メートル、幅2.5メートル、深さ50センチメートルほどの大きな窪みがある岩陰が伊弉冉尊の葬地であるとされ、白石を敷き詰めて玉垣で囲んだ拝所が設けられている。》(ウィキペディア)
04-4花の窟神社DSCF2472.jpg
・熊野信仰由来:《スサ国に生む スサノオは 常に雄叫び 泣きいざち 国民挫く イサナミは 世の隈(くま)なすも わが汚穢(おえ)と 民の汚穢、隈 身に受けて 守らんための 隈の宮。》(素盞の国(熊野)にてお生みになつた素盞鳴尊は、伊奘冉尊が月の汚血(おけ)のときにはらまれた御子であつたため、常に荒々しい叫び声をあげ、泣きわめいて人々を困らせていた。伊奘冉尊は、素盞鳴尊が世の隈となっているのも、もとはといえば、月の汚血にはらんだわが身の過ちであると思召しになり、民の汚穢隈(おえくま)を御自からの身に受け、民を守ろうと熊野宮(隈の宮)をお建てになった。(「ほつまつたゑ」三紋(鳥居礼「完訳秀真伝上」))

04-09-DSCF8319.JPG・結論:「ほつまつたゑ」によれば、当時の日高見の国、すなわち仙台多賀城を中心にしたこの東北地方こそが日本の中心であった。そしてイサナミノ神とは代々東北を治めてきたタカミムスピノ神の五代目にあたるトヨケ神の娘であった。つまりイサナミノ神のふるさとはこの東北なのである。
 そもそもイサナミの父トヨケ神とは今の伊勢外宮の御祭神豊受大神である。晩年裏日本の乱を鎮めるため東北から丹後宮津に出向き、今も元伊勢の地名の残るその地で崩御、その後東北の何処かに祀られたと「ほつまつたゑ」には記されている。そこで「ほつまつたゑ」の再発見者でこの書を広めるに功あった松本善之助氏は、トヨケ神の御本霊が祀られたその有力候補地は出羽三山ではなかったかと考えておられる。というのは、蜂子皇子チラシ.jpg今から1400年前、崇峻天皇の第三皇子蜂子皇子が出羽三山を開山したのは、古来豊受大神と同神とされる倉稲魂神(うがのみたまのかみ)の導きによってであると伝えられるからである。つまり、蜂子皇子による三山開山以前に豊受大神はその地に祀られていたことになる。このことからトヨケ神の娘であるイサナミも、その御霊代はふるさと陸奥に帰っていると考えることはできまいか。そしてその地が他ならぬわが熊野大社であると考えることはできまいか。紀州熊野有馬村峯ノ神社ヲ遷シ玉フ。実にこの一文は、熊野大社が伊奘冉尊の御本霊の鎮まり賜う場所であることを告げているのだ、と。
《イサナミの神様は天照大神のお母さんです。とすると、伊勢神宮の大々神楽がひそかに宮内熊野大社に伝わったのもゆえなきことではなかったのです。》(「宮内よもやま歴史絵巻」14)

*   *   *   *   *

千手観音DSCF2755.jpg明治になっての廃仏毀釈によって仏の社は神道の社に名を変えたのですが、イザナミの神様の本地とされる千手観音だけはそのままの形で今に至っているのも不思議なことです。これも熊野大社とイザナミの神様との深いつながりを思うと納得させられます。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。