龍口神社御神体拝観(3) [熊野大社]
龍口神社の合祀先は、熊野大社境内社の厳島神社。ここの御祭神は龍口神社と同じ市杵島姫命。ただこのお社は龍口神社の御神体が収まる大きさではない。そこで選ばれたのが、境内社の中でいちばん大きなお社の幸(さいわい)神社。石段途中右側にある。御祭神は猿田彦命と天宇受売命。そもそもこの神社は神仏分離令以前馬頭観音像がおかれ、交通の神様として信仰を集めていた。しかしその観音様、廃仏毀釈によって、今は白鷹町荒砥の補陀山岡応寺に遷され、置賜三十三観音29番札所松岡観音として信仰を集めている。したがって、幸神社は空き家といえば空家なわけで、そこに龍口神社の御神体が納まることになった。毎年8月10日四万八千日(しまんはっせんにち)祭が盛大に行われる。
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幸神社について『熊野大社年中行事』(北野猛著)にこうある。https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2013-11-09
《猿田彦鈿女の命を祀り、方角や家相の神さまである。この宮は神仏分離前は馬頭観音をお祀りしてあった。馬の守護神であり、昔は着飾った馬の参拝が行なわれたものだ。/ 仏説に旧七月十日に観音様にお詣りする人は四万八千日の御利益を授けられるという信仰によって行なわれたものである。ま夏の日の暑さに一日を過ごした人々は、夕の涼風を求めて集まり、境内は夏大祭をしのぐ人出で賑ったものだ。赤いカンテラの火が燃えて黒い油煙が流れる。冷たい氷水を売る店、熱いゆでコンニャクからはあのコンニャク特有の香りが参拝者の食欲をそそる。糸の宮内と唄われた当時、若い女工さん、あんちゃん、ばんちゃんで店頭はごった返したものである。このお祭りも、戦争末期に新旧暦のさだかならぬうつりかわりの時、やれ新暦だ、俺は旧暦だという雑音と、大戦のためあの行き詰まった社会情勢の中に自然とその影を失ってしまい、今では明治をなつかしむ人たちによってわずかにその命脈を保っている。》置賜三十三ヶ所札所だった時代の御詠歌も記してあった。《置賜三十三カ所霊場巡りの御詠歌に、十九番宮内馬頭観世音 幾たびかまいる心はみ熊野の熊野の山の馬頭観音 と唄われ、おゆずり姿の巡礼が無心に誦するご詠歌のこえが、鈴の音とともに老杉のなかから聞こえて来た昔は懐しい。》
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煩瑣な合祀の手続きを経ながらも、龍口神社の御神霊と御神体は、熊野大社境内社の厳島神社と幸神社に無事御遷座なりました。毎年7月26日の総社祭が例祭となります。
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