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根底から考える「憲法」論(2)議論の「深化」から「国民の共通意思」形成へ  [イハトビラキ]

根底から考える「憲法」論(1) →「言霊政治」!https://oshosina2.blog.ss-blog.jp/2020-05-09-3 に書いたことを放知技板に書いた。

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192はぐらめい:

2020/05/09 (Sat) 08:36:00

host:*.omn.ne.jp >>186 suyapさん

>暗喩、隠喩、言霊が政治を仕切るのが良ければ、現体制(な~んちゃって
>デモクラシー)をすっきり否定して、天皇を頂点にいだく言霊政治にするの
>も一案かと(爆

「言霊政治」、その意味するところ深遠、
憲法論議の「極」として頭に置いておくべきことかと”感じた”。

「言霊政治」で検索しても出てこない。初めての言葉。
議論の深化を期待します。

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mespesadoさんとsuyapさん、早速期待にお応えいただいた。自分で漠然と”感じた”ことが、議論のプロセスで形を整えてゆく。すごいことだし、ありがたい。このプロセスを経ていま頭に浮かんでいること。


天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅 https://www.youtube.com/watch?v=9UNYCQxUETo

・宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅 https://www.youtube.com/watch?v=D3AlzQGJNDE

・斎庭稲穂(ゆにわいなほ)の神勅 http://sumeragi-iyasaka.seesaa.net/article/432921551.html

もうひとつは、マドモアゼル愛さんの「日本語」論。https://www.youtube.com/watch?v=n_QTKyNnp8khttps://www.youtube.com/watch?v=uZj7YI6psLU

【追記 7:40】《こうした議論を通して、日本国民としての「憲法イメージ」を醸成してゆく、そうして「国民としての共通意思」が育ってゆく、「憲法学者」的憲法論議とは別レベルの大事なことと思えます。》と付け加えて、放知技板に書いてきました。→http://grnba.bbs.fc2.com/reply/17178824/206/

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194 名前:mespesado 2020/05/09 (Sat) 09:53:21
 >>192 はぐらめいさん、>>184 ままりんさん、>>186 suyapさん

 いやあ、こういう憲法談義って新鮮味があっていいですね。
 ではまず時系列的に >>186 から。

> 私から見たら、いわゆる「憲法学者」なるカテゴリー(職業?)がある
> こと事態がおかしい。

 あ、この意見、大賛成です。そもそも憲法学も、それだけでなく、御用学者になり果てた経済学者も、ファクトを解明するという本来の学問を逸脱していますから、「学者」扱いするのはやめた方がいいですね。「政治助言人」とか。あるいは江戸時代を真似て(風刺して?)「天下のご意見番」とかw あ、ついでに「内閣総理大臣補佐官」も、そんなわかりにくい名前やめて、「側用人」でいいw
 さて、

> 日本文であろうが、異なる解釈を差しはさめない(誰も詭弁を弄せない)
> 明確な法文が必要です。

 ここにあえて(日本語の本来の意味で)「異を唱えたい」と思いますw
 法律とは異なり、憲法って、大枠の国家としての哲学を書く必要があって、西洋人なら一応厳密には規定するけど環境が変化したら細かく「憲法改正」して対応するのだけれど、日本ってすぐ、大日本帝国憲法のときだって「不磨の大典」とか言って、原理原則的な法文の親玉は「基本的に不変なもの」、ほら、君が代にも「さざれ石の巌となりて苔の蒸すまで」とかいう歌詞があるとおり、「尊いものは変えるべからず」的な心理が強い。
 なので、憲法にたとえ原理原則を書くにしても、「今の私たちの“さかしらの”知恵に過ぎない頭でこれが絶対正しいと思っても、将来その欠点に気が付くかもしれない」ことをふまえて、ある程度解釈に幅を持たせて、将来認識のレベルが高まっても解釈によって改正しなくても通用するような、しかし「日本人という民族のDNAに裏打ちされた、基本路線は絶対変わらないであろう根っこの部分」のところはしっかり明記し、しかもそれが何のために行うのか、という観点から「手段優先ではなく目的優先」になるようにきちんと考えて条文を制定する…、そんな憲法が理想ですかね。
 例えばの話ですが、すぐ経済の話に持って行って恐縮ですが、その昔、といってもそんなに昔ではないですが、MMTがまだ認識されていなかった時代に、西欧諸国の間で「財政規律条項」を憲法に明記した国があり、日本にもそんな意見が一部で出ています。これ、確かに日本人の規律好きからすると、民族のDNAにはかなっていますが、これってまさに「手段優先」の典型です。じゃあ「目的優先」とは?
 それは、言うまでもなく、国民がその時代に可能な範囲で最大限経済的豊かさを享受することであって、「財政規律」というのは単なる「手段」、しかも、過去の供給不足の時代に「我も我も」と欲しいものに殺到して奪い合いが生じるのを防ぐために「少しは欲を我慢しなさい」というための「手段」だったわけです。しかし、「目的」は同じでも、経済環境が変われば、当然「手段」も変わってきます。実際、供給過多になった現代では、逆に財政規律(つまりPB重視)を強めると貨幣不足になり、供給力は十分あるのにオカネが無いだけのために満足に消費できない、という本末転倒なことになります。これに対し、経済の「目的」である「皆で豊かさを享受する」の方は、この「皆で」のところが日本人のDNAに叶っており、これは時代を超えて不変な部分だと思います。だから、これをもし憲法に書きこむら、「財政規律条項」ではなく「経済活動並びに経済政策とその根拠となる法律は、万民が豊かさを享受できるように定め、実行されなければならない」とかいう条文にすべきだ、と思います。
 ↑うへぇ、もう既に長文になってるw
 言いたいことはいろんな分野にまたがるので、ここで一旦切ります。          (続く)


195 名前:mespesado  2020/05/09 (Sat) 12:04:50
>>194
 続きです。次は「天皇」について

天皇を頂点にいだく言霊政治にするのも一案かと(爆

 まあ、酔っぱらって、とか爆とか書いておられるように、半分冗談で書いたと思うのですが、明治維新時に天皇を頂点に頂いた理由は、一つには当時の日本がそれぞれの藩を「くに」と認識していて「日本国」の国民だ、という意識が弱く、それでは外国からの攻撃に対抗することができないので、日本人としての自覚を促すために「日本」という国家を意識するために「天皇」をそのシンボルとして担ぎ出した、というのが真相でしょう。
 あれれ?シンボル symbol って、今の憲法でも天皇は日本の symbol だって規定されてますよね。ただ、日本語ではその語感があまりに軽すぎるから「象徴」なんてイカメシイ漢語で表現しているけど、それって今も戦前も同じじゃん。ただ、日本国憲法でそう書いた趣旨は、「天皇に政治権力を持たせたくなかった」から、GHQはあえてそのように憲法に書かせたんでしょう。でも、もとから欧米で発生させた「民主主義国」の理念で突っ走った米国は、戦前は「天皇」が「主権者」だったからあんな「恐ろしい戦争」を引き起こしたのだ、と思い込んだ。だから本来なら天皇は処刑して「天皇制」も廃止したいところなんだが、日本から天皇を奪ったら、日本人は司令塔を失った集団として自暴自棄になって何をして来るかわからない。だから天皇は日本人を「抑えるため」の「シンボルとして」温存させるが、主権者の地位からは引きずりおろさなくてはならない。だからそれを憲法で真っ先に明記しよう…てなところだったのだと思います。
 ところがどっこい、日本人にとって、天皇というのは戦前から、いや、もっと前から「主権者」なんかじゃない。天皇を精神的中心に「戴い」て、皆の「合議」でものごとを決め、シンボルである「天皇」がそれを「公式に」認めることで皆が納得する、という、まさに「天の下をしらす」政治をずっと行ってきただけ。だから、天皇を「主権者の地位から引きずりおろ」そうが実態としては何も変わらない。単にイデオロギーに拘る西洋人と、西洋かぶれした「進歩的(←今の言葉で言うと単なるサヨク)」な日本人が賛同しただけ、ということになるでしょう。

 さて、この目的のためには、天皇というものは、どこか「神格化」しておかないとうまく「機能」しません。天皇の日々の行動があまり世間に「見えて」しまうと、天皇は「雲の上の存在」ではなくなってしまい、最悪、単なる「総理大臣」と同じになってしまい、権威も何もなくなってしまい、国民をつなぎとめる役割が果たせなくなってしまいます。だからこそ、皇室を持たない米国では、大統領に一部神格化された存在のように大衆に思わせる儀式(例えば聖書に手を置いた宣言など)をさせたりして「天皇のかわり」を勤めさせたりするのでしょう。
 ところが、情報がすぐに筒抜けになる今日の日本で、天皇を、戦前みたいに「雲の上の存在」にしておくことは最早不可能になっています。例えば大日本帝国憲法みたいに天皇を「万世一系」だと定めようとしても、日本書紀の記述を古代の部分から真に受ける人はほぼいませんし、そういう「擬制」は通用しなくなっています。ですから、今更新しい憲法で、戦前みたいに、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」なんて書いたって、ほとんどの国民にとっては「白々しい」ものとなってしまうでしょう。
 ただし、天皇というか、皇室の存在は、日本人というか、本来の人類の本能からすると、そういう「特別な何か」というものは存在した方がうまくいくことが多いし、しかも血の伝統というのは一旦廃止したら二度と復活できないので、天皇という「恐れ多い」存在は維持する必要があります。
 一方、戦後日本だけでなく先進国では当たり前になった「民主主義」ですが、これは「民主主義は最悪の政治形態である。ただし今までに存在したあらゆる政治形態を除いて」というジョークがあるくらいで、「比較的マシではあるが、決して理想というものでもない」んだから、民主主義であることを憲法に書きこむのも好ましくない
 で、実際、今の憲法ではどうなっているかというと、「民主主義」という言葉の代わりに、前文で「主権在民」であることを「人類普遍の原理」などと、思いっきり西洋かぶれなことを書いています。だから、これは本来なら要らんでょうw。ちょうど終戦直後の「進歩的な人」にとって「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」が白々しかったのと同じように、GHQの洗脳や西洋かぶれから抜け出ることのできた「覚醒」した人にとっては、この「主権在民は人類普遍の原理だ」などという一文には同じような白々しさを感じるのではないでしょうか。
 そして、これが重大な部分なんですが、旧憲法でも現行憲法でも、「選挙」とか「国会」「内閣」「司法」の存在を具体的に明記しています。
 で、前の書き込みで、憲法には「目的優先」で書くべきで、「手段優先」になってはならない、と書いたんですが、「国会」「内閣」「司法」の「機構」というか「組織」というのは、確かにそれは「手段」を実行するための「道具」なんですから、それを明記することは「手段」について憲法に書くことになるからどうなのか、という話になるんですね。
 でもこれを書かないわけにはいかない、という理由が確かにあるんですね。というのは、「機構」あるいは「組織」というのは非常に「具体的」な「存在」です。しかもこういう「国会」や「内閣」や「司法」それから「軍隊」「自衛隊」のような「存在」は、様々な局面で、国民に強制力によって義務を強いる場面が出てくるので、これらの「存在」は、何らかの「権威」をまとったモノとして存在しなければ、国民がその「命令」を守ろうとするインセンティブが起きず、想定した役割が果たせない。そこで、この「権威」をまとわせるためには、その「存在」を「葵の紋章」たる「憲法」に明記する必要があるわけです。
 ここに具体的な政治機構としての「存在」を憲法に明記するか否かについてのジレンマがあるわけです。
 では、このジレンマを解決するにはどうしたらいいか。
 その一つの解決策が、機構の「存在」だけ明記して、その「存在」が行うべき「目的」を一種曖昧にしておくこと、です。
 戦前、天皇が主権を持っていた時代でも国会や内閣は憲法に明記されていました。ただし、その役割は微妙に違います。なので、これらの組織について、その役割をある程度幅を持たせた組織として憲法に明記するのであれば、かのジレンマの矛盾を少しでも和らげることができると思うのです。
 ちなみに今回取り上げたテーマからははずれますが、これを例の9条問題に当てはめると、「自衛隊」という「機構・組織」も、「国会」等の組織と同様に、国民に何らかの「義務」そ強いたり「命令」したりする場面があるのですから、やはりこの「組織・機構」についても憲法に明記するのは極めて当然というか、逆に明記しない方が、国会や内閣や司法について明記されている事実と平仄が揃わないことになると思うのです。
196 名前:mespesado 2020/05/09 (Sat) 12:32:58
>>195
 おっと、>>195 で天皇の話で大事なことを書き忘れて次の民主主義の話に進んじゃった。その重要なこととは「天皇を憲法でどう規定するのか」という話です。もうそれまでに論じたことから明らかなように、「天皇の『存在』については憲法に明記する。ただし天皇の『役割』については憲法では一切触れない」です。ちょうど国歌国旗法みたいなもので、「日本の国歌は君が代とし、国旗は日章旗とする」と定めるだけ、と同じで「天皇の皇統については皇室典範で定める」くらいにさりげなく「天皇」の名前を出して終わり。それから「皇室典範」については、自民党の安藤議員が主張しているように、これを国民の意見で決まる国会に改正権を持たせるのは問題でしょうね。ただし、安藤さんが主張するように、これを皇室自身が決めるべき、という意見は実効上問題で、事実上は「宮内庁」のような選挙を経ない政府の組織が「皇室の意向」であると「擬制」して好き勝手やる可能性があるので、そこはうまく機能する方法を考えないといけないと思うのです。


198:suyap :2020/05/09 (Sat) 20:20:56
>>192 はぐらめいさん

 >「言霊政治」...議論の深化を期待します。

えっ!
昨夜はビールとワインで酔っぱらって思い付きを書いたようですが、
「言霊政治」って誰も使ってないんですか?

なんだかんだと言いながら、日本語や日本社会って、いまだに言霊で物事が動く面が多い気もします。今は「な~んちゃってデモクラシ」が建前ですが、これからスピ系がもっと流行れば(!)、「氣」系なトレーニングとかも正道に乗って...とまで言わなくても、たとえば古武道なんてまさにソレですもんね。

「憲法学者」にあーだこーだと理屈をこねまわす隙を与えないようなスッキリした文章で書かれた「憲法」が可聴音でメロディーを奏で、氣や言霊を重低音として引き継いだ民族性の継承...ってか、
ますますワケワカメ→きょうは素面です(爆

>>194 mespesadoさん

内閣総理大臣側用人、良いですね(笑)

 >憲法にたとえ原理原則を書くにしても、「今の私たちの“さかしらの”
 >知恵に過ぎない頭でこれが絶対正しいと思っても、将来その欠点
 >に気が付くかもしれない」ことをふまえて、ある程度解釈に幅を持た
 >せて、将来認識のレベルが高まっても解釈によって改正しなくても
 >通用するような、
     ↑↑
これやっちゃうと、「憲法学者」「憲法ご意見番」がわらわら沸いてくると思いますよ。

 >「日本人という民族のDNAに裏打ちされた、基本路線は絶対変
 >わらないであろう根っこの部分」のところはしっかり明記し、しかもそ
 >れが何のために行うのか、という観点から「手段優先ではなく目的
 >優先」になるようにきちんと考えて条文を制定する

民族のDNAを法律面で正面に出すことは賛成できませんが、たとえば日本人・日本文化を培いそれに生きてきた民族を継承する目的で、古武道や民族文化(茶道など、いわゆる「道」のつくお稽古事)を学校教育で義務付けるなどで、重低音の部分を培えれば良いなと。

いや~、こんなのを前面に出した憲法改定案なんて、左向きのお花畑の住人からはブーイング出まくりでしょうね(笑)

あと蛇足...>>191 mespesadoさん

 >ままりんさんやsuyapさんは、ストレートな反論なんですよw。

 >飯山さんや堺のおっさんや嘘と欲さんは、同じ異を唱えるにしても
 >「遠慮」というか、やや婉曲的に

ちーがーうーだーろー(この〇ゲー)...あっ、違った

それは私やままりんさんが女だからじゃなく、たまたま私たちの場合、mespesadoさんが書かれたforcesの解釈が明らかに間違っているのが見え見えだったから、それを指摘したまでです。

 >ままりんさんもsuyapさんも遠慮なく、おかしなところがあったら
 >ジャンジャン指摘してください。

はい、お言葉に甘えました~^^→きょうは素面です(爆

201:mespesado :2020/05/09 (Sat) 21:44:02
>>198

> 民族のDNAを法律面で正面に出すことは賛成できませんが

↑これ、なぜなのか是非理由を聞かせてもらえませんか?
 どういうレベルで「賛成できない」のか、ビミョーな問題のような気がしますので。
 あと蛇足部分について

> それは私やままりんさんが女だからじゃなく、たまたま私たちの場合、
> mespesadoさんが書かれたforcesの解釈が明らかに間違っているの
> が見え見えだったから、それを指摘したまでです。

 いやいや、指摘の仕方がちょとネチっこい感じがしたんですよ(失礼!)。というかそんなに長々と説明してくれなくても「forces と複数形なんだから単なる力や武力の意味じゃないでしょ」だけで「あ、そうですね。いけねえ、うっかりミスでした」で済むんですけど、男性陣だと短く指摘して終わりなので、どうもその辺の「しぐさ」の違いを感じちゃったんですよね。
 ということで、このレスもちょっとイヤミな感じかなw
 でも引き続きよろしくお願いしますね。

203:suyap :2020/05/09 (Sat) 23:04:49
>>201 mespesadoさん

ネチっこくて失礼しました。こちらこそ、これに懲りず今後ともよろしくお願いします。

 >> 民族のDNAを法律面で正面に出すことは賛成できませんが

 >↑これ、なぜなのか是非理由を聞かせてもらえませんか?

日本国憲法に「民族のDNA」をいれちゃうと、ます現「日本国民」の民族を規定しなければなりません。

そうしたら良いという意見ならそれでも構いませんが(現に国民の民族性、血筋を厳密に規定している国もあります。私が住んでいる国もかなり厳しいです)、今の日本でそれをやるのは至難の技...かも。

で、日本国民としての民族性を設定したとしても、所詮、純潔日本人なんて神代の昔からいなかったのだから、どこで線を引くのか?またアイヌや在日朝鮮半島出身者のように、マジョリティ「日本人」と異なる出自をかなり明確に証明できる人々もいます。そして、それ以外の国から、婚姻やその他の理由で日本国帰化を選んだ人々もいるので
す。

だから、可聴音である憲法では、その辺は触れないほうが良いかと思います。それで、日本列島にあちこちからルーツを異にする民族が渡来してきて、何千年もの年月をかけてmespesadoさん言われるところの「民族のDNA」を醸してきたわけですが、それらの伝授は重低音で行われるのがよかろうかと。とかって、もともとそういう風に伝わってきと思いますよ、時代を経て残ってきたホンモノは。




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