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mespesadoさん講義(54)憲法9条をめぐって [mespesado理論]

・そもそも憲法9条の根底にあるのは、「日本みたいな国と二度と戦争はしたくない」という連合国側の都合。《「欧米に楯突く」ための「武力」》を持たせてはならない。その時点で日本“が”「被害者」になる戦争なんて、考えも及ばなかった》GHQも、ほとぼりが冷めて冷静になったら「そりゃ理屈の上では自衛権は当然存在するよね」ということは「あくまでも普遍的理屈として」認めただけなんじゃないでしょうか。》

日本軍結成から第二次大戦の敗戦までは、日本人がかなり「無理をした」時代》《列強の植民地政策に拠り国家存亡の危機にあった日本が慣れない「軍事」力を一生懸命つけて侵略を防ごうと懸命に頑張った。》《無理に無理を重ねてまで軍事で頑張り、最初から負け戦とわかっていながら日本が第二次大戦で“大暴れ”した》西洋人の植民地支配だけでなく戦争を外交の延長として使うという流れが完全に崩壊》《無理を重ねたことで、その反動として戦後は妙に気が弱くなってしまった》

・そうだからといって、大切なのは「勇ましさ」ではなくて「冷静な判断力」と「実際の能力」です。》女性の方が勇ましくて、その分、男性が冷静になってるような気がします。私の身の回りを見回しても。女性が勢いを持つことの危うさも頭に入れておかねばならないと思ったところです。

*   *   *   *   *

160 名前:mespesado 2020/05/06 (Wed) 10:52:02
>>156
> 自分は、野党はちょっと論外。危なくて、絶対に任せられない。

> 保守層の主張はまともだと思います。(wikiはとても全部は読めず拾い
> 読みですが f^^;)
> もちろん、全世界で武器を放棄しよう、というのは素晴らしい考えでし
> たが、結局、現実を振り返ってみれば明文化が行われたのは日本だけだ
> ったわけですよね。
> そこから言えば保守層の主張はまぁわからないではないです。このまま
> の文じゃ国として普通じゃないので加憲が妥当と考えられているんじゃ
> ないでしょうかね。

 ここでおっしゃっている「野党」というのは、その前に「全世界で武器を放棄しよう、というのは…」と書いておられることから、日本が憲法で武力を放棄すると書いているから、そのとおり解釈して、今の憲法のままでいい、という主張をしている野党のことでしょうか?
 だとすれば、野党は単なるお花畑ですね。
 問題は、憲法9条の英文にある forces という言葉です↓
> land, sea, and air forces, as well as other war potential,
> will never be maintained

 この force(s) というのは、国連憲章の中の
> All Members shall refrain in their international relations from
> the threat or use of force against the territorial integrity or
> political independence of any state

の force と同じで、日本語に訳すなら「武力」でしょう。で、国連憲章では「武力」を「用いてはならない」という文脈になっているのに対して、日本国憲法では、その「武力」を「持たない」とまで主張しているわけです。
 これは大きな違いですが、国連憲章が「用いない」止まりなのは、まあ当然と言えば当然で、日本以外は別に武装解除しておらず、軍というものが存在しているのですから、それを「持たない」と書いたら、世界中で一旦軍を解散しなめればなりません。そんなのゲームの理論じゃないけれど、バカ正直に武装解除した国から真っ先に他国にいいように料理されてしまいます。なので「存在はそのまま認めるが、用いてはならない」としたのでしょう。
 これに対し、日本の場合はとにかく戦勝国である欧米諸国は日本軍の強さが恐ろしかった。なにせ、それまでの米大陸やアジア、アフリカを植民地にするに際しては、現地人の抵抗など「赤子の手をひねるようなもの」だったわけですし、かの大帝国だと思っていた中国(清)ですら、「張り子のトラ」であることがわかってしまったわけです。ところが、そんなアジアの「小国」のハズの日本が、日清・日露の戦争で大国に勝つという、彼らにすればトンデモない偉業を成し遂げただけでなく、第二次大戦では世界を敵に回して堂々と善戦した。これ、西洋人の立場からしたら恐怖以外の何ものでもないでしょうね。だからこそ、GHQはこんな悪魔のような日本軍をとっとと解体したくてしかたなかった。だから、直ちに日本を武装解除しただけでなく、二度とあんな恐ろしい軍を作らせない、という趣旨で、憲法に武力を「持たない」と明記させたのだと思います。

> 自衛権の存在・行使を明文で否定することは不適当である」と思ってた
> のなら、なんで”land, sea, and air forces, as well as other war
> potential, will never be maintained.”などという英語にしたんでし
> ょう

 ですから、この force つまり「武力」というのは、当然のことながら、「欧米に楯突く」ための「武力」です。そもそも、第一次大戦も第二次大戦も、欧米諸国が戦争の当事者、それも「被害者」の立場になり得た戦争です。当時の欧米列強は、日本“が”、“生意気にも”白人様の欧米諸国に楯突いた、という被害者意識で日本の force を見ていたわけですから、逆の、日本“が”「被害者」になる戦争なんて、考えも及ばなかったんじゃないでょうか(でも、これってすごいことですよね。だって、もし日本軍が強くなければ、日本は他のアジア・アフリカ諸国と同じく植民地としての侵略の対象であり、植民地となる対象の日本が自衛のための武力を持とうとしたら彼らは遠慮なく拒否して潰していたはずでしょうから)。で、GHQも、ほとぼりが冷めて冷静になったら「そりゃ理屈の上では自衛権は当然存在するよね」ということは「あくまでも普遍的理屈として」認めただけなんじゃないでしょうか。

> land, sea, and air forcesは、対応している動詞がmaintainであること
> から陸海空自衛隊(または陸海空軍か。どう訳すかはここではちょっとお
> いといて)を指していると考えるのが普通です。

 この憲法が書かれた当初は自衛隊は存在しなかったので、land, sea, and air forces が自衛隊を指すわけはなく、戦前の日本軍と同じものを復活させた軍隊のことを念頭に置いたものだと思います。
 で、まりりんさんはそういうことを言いたいのではなく、現実に今の憲法がそのままになっている中で、現実に自衛隊が存在する以上、この ~forcesは自動的に自衛隊のことを指すのではないか?という趣旨だと思いますが、こういう「一旦法律や憲法ができた後で、制定当時は想定していなかったモノが出現したときに、それをどう解釈して位置づけるか」というのは、どんな法律に対しても常に発生する問題です。これを決めるのは、立法にかかわった国会ではなく、既に出来上がった法律の適用に関する問題ですから、一義的には司法が答を出します。ところが憲法の中でも9条は、米軍との地位協定のような条約がからんできて日本の主権が及ばないような問題も多く、司法は結論を出すのに及び腰です。だから、こういう問題を司法の手助けのために“客観的”に論じるのが憲法学者の役割なんだと思います。そして、憲法学者の間では、自衛隊がこの ~force に該当するかどうかで意見の相違があり、結論が割れている。つまり、確かに憲法制定当初は、この forceは欧米諸国に楯突く軍事力を意味していたかもしれないが、単語を字義通りに解釈すれば、自衛隊だって軍事力ではないか、という意見が出て来て当然なわけです(ただ、憲法学者の役割はそこまでであって、だからということで憲法改正に反対を表明するのは、政治行為であって学者としての仕事ではないと思うんですけどね)。だからこそ、はっきり自衛隊の存在を憲法に明記して、この神学論争にケリを付けたい… ← これが安倍総理の「加憲」発言の趣旨でしょう。ただし、私が >>144 で書いた次の部分↓
> ただ、自衛隊の存在自体は憲法できちんと明記しておいた方が、自衛隊
> 員の士気や自衛隊への国民の敬意を維持するうえでも大切ではないか。

は、いかにも「じゃあ、自衛隊員の士気が低下せず、国民から敬意も感じられているなら改憲自体が不要なんだな」と突っ込まれてしまうわけですが、そういう意味で私の上の発言は足りなかったし、それだけじゃなくて認識も甘かったことは認めざるを得ません。
 さて、この加憲という改正案とは別に、9条2項を廃すべきだ、という意見もあります。これはまさに、この force なるものが武力全般を表しているので、。第2項をそのまま温存すると、自衛隊の存在が第2項に抵触してしまうのではないか。そんな状態で加憲だけすれば、憲法が自己矛盾してしまうのではないか、という立場なわけです。
 ところで「自衛隊」の英訳は Self-Defence Force です。force すなわち「力」に defence だけでなく、self まで付けて、徹底的に用途を限定しているのですね。つまり、通常の air force のような force では、過去からの経緯で侵略戦争が許されていた時代のあらゆる武力を含んだ概念であるけれど、defence force と限定することにより、侵略戦争はしない、ということを示唆している。しかし、それだけでは他の諸国が国連憲章で宣言したような軍隊の位置づけと何ら変わることがない。そしてその結果はどうだ。こんなタテマエがあるにもかかわらず、世界は戦争だらけではないか。それなら我が国はこれを更に限定して「自らを」防衛するための「力」だ、という大義名分を持つことになり、事実これは世界で米軍産複合体が猛威を振るっていた時代の(あくまでタテマエ上のものに過ぎないけれど、この憲法が米国の押しつけであったからこそ「戦争放棄はあんたが押しつけたんだろ」と開き直ることができて)時の日本の政権は、彼ら軍産複合体の思惑に巻き込まれないための抑止効果があったことは事実でしょう。
 つまり、現行憲法9条第2項の force とは、まず一義的に世界一般の軍隊のことを指すのであって、そのような「軍隊」は持たないよ、という趣旨である。ただ、それだけしか書いてないと、他の解釈、例えば自衛のための武力組織も含まれる、というような解釈も許してしまうから、“ただし「自己」「防衛」のための力である「自衛隊」は持つよ”ということを追加して明記する。こうすれば現行条文の force が世界一般の「防衛の意味を拡大解釈して事実上の侵略行為をするような軍隊」のことを指していて、我々はそんなものは持たないよ、という意味だよ、という解釈が可能になるわけですね。
 さて、ままりんさんは、安倍さんの加憲に賛成なのか、もっと強硬派の保守みたいに第2項は削除して自衛隊も「国防軍」と解明すべきと考えているのかはわかりませんが、私は「国防軍」創設には反対です。それは前にも言ったかもしれませんが、「言霊思想」によります。
 日本はもともと島国で他国から侵略を受けにくかった。そのため「戦争には慣れていない」。ここで「慣れて」というのは民族レベルのDNAに刻み込まれている、くらいの意味です。そうすると明治維新による富国強兵は何だったのか。私は、この日本軍結成から第二次大戦の敗戦までは、日本人がかなり「無理をした」時代じゃないかと思っています。つまり、列強の植民地政策に拠り国家存亡の危機にあった日本が慣れない「軍事」力を一生懸命つけて侵略を防ごうと懸命に頑張った。第一次大戦の反省として国際連盟を作った欧米諸国の表面的な戦争防止策なんか全然機能しなかったのに、この日本の「無理に無理を重ねてまで軍事で頑張り、最初から負け戦とわかっていながら日本が第二次大戦で“大暴れ”した」結果、西洋人の植民地支配だけでなく戦争を外交の延長として使うという流れが完全に崩壊してしまった。そういう意味では日本人は世界の救世主と呼ばれてもバチは当たらないと思うんですが、その代償として日本人はこの無理を重ねたことで、その反動として戦後は妙に気が弱くなってしまったんですよね。
 さて、「軍隊」というのはこういう歴史をまとっているわけで、もし憲法改正で「国防軍」を持つなどと敢えて改正すると、あの恐ろしい「日本軍」の復活だ~(英語で言うなら冒頭の self- を外すということになり、それはそれで非常にメッセージ性が強い)、ということで他の国も身構えるであろうし、そもそも仮想敵国に格好の軍拡の大義名分を許してしまう。それだけでなく、内側の問題としても、「軍隊」と名乗ったとたん、何となく自分が力を持ったような気になり、横柄になる可能性がある。(たとえば官僚機構で、昔「大蔵省」と名乗っていた時代はまさに横柄そのものだったけれど、「財務省」という平凡な名前になってからは官僚個人はかなりしおらしくなったような気がする。ただし「組織」は相変わらず極悪だけどw。あと、逆に「防衛庁」だった時代は日陰の存在過ぎて表に出てくること自体が憚られるような感じで哀れだったのが、「防衛省」になってからは適度な自信を持つようになってよかったように見える。)
 というわけで、いろいろ考えさせてくれるレスを戴いて感謝しています。ままりんさん、どうもありがとう。


161 名前:mespesado 2020/05/06 (Wed) 11:26:31
>>160
 さて、憲法9条のもう一つのテーマである「戦争放棄」について。これについて、サヨク連中の一部が、日本国憲法は戦争を放棄した世界で唯一の憲法だから、これを世界遺産に、という運動をしたことに関連して、日本国憲法が戦争放棄を明言した唯一の憲法だという主張自体が事実に反する、その一例がイタリアの憲法だ、という話があります。ところがこれは、事実かと言えば確かに事実なのですが、そう単純なものではない、ということを解説したサイトがあったので、紹介します↓
日本国憲法9条とイタリア共和国憲法11条
http://hgkmsn.hatenablog.com/entry/2019/05/13/235005

 まず、イタリア憲法の戦争放棄にあたる条文は次の文で始まります↓
> L'Italia ripudia la guerra come strumento di offesa alla libertà
> degli altri popoli e come mezzo di risoluzione delle controversie
> internazionali;
(和訳)
> イタリアは、他の人民の自由を損なう手段としての戦争も国際紛争の解
> 決手段としての戦争もこれを放棄する。

 これ、まさに「戦争」とは「侵略戦争」のことであり、その「侵略戦争」を我々(イタリア人)は放棄する、という趣旨であり、国連憲章やパリ不戦条約の主張のコピペそのものです。ところがこの条文に続く部分が問題の箇所になります↓
> (L'Italia) consente, in condizioni di parità con gli altri Stati,
> alle limitazioni di sovranità necessarie ad un ordinamento che
> assicuri la pace e la giustizia fra le Nazioni;
(和訳)
> (イタリアは)他の諸国との平等(parità)を条件として、諸国間の平
> 和と正義を保証するような秩序形成に必要なものであれば、主権の制限
> に同意する。

 そしてこう述べます:
> 「主権の制限」とは「軍事力を制限」のことだ。軍事力を使わないよう
> にするといって、相手があることだから、一方的にそれを捨てるわけに
> はゆかない。相手があることだからだ。だから、もしも相手もまた使わ
> ないというならば、つまり相手と「平等な条件のもとで」、「諸国間の
> 平和と正義を保証するような秩序形成 oridnamento 」に必要だというの
> ならば、そのときは「主権の制限」、つまり武器を捨てても構わない、
> ということなのだ。だからこそ、この条文はこう締めくくる。

> (L'Italia) promuove e favorisce le organizzazioni internazionali
> rivolte a tale scopo.
(和訳)
> イタリアは、こうした目的のための国際的な諸機関を促進し、これを助
> けるものとする。

 つまり、日本のような、GHQの思惑どおりの完全武装解除のように解釈できる条文を持っているわけではなく、「条件付き軍事力放棄」なんですね。つまり、日本国憲法は、確かに世界でも珍しい「戦争放棄」条項を持った憲法なわけで、それは事実だったわけです。しかし同じ第二次大戦の敗戦国イタリアが、日本と同じような戦勝国からのある力の中で、うまく自衛のための武力を憲法にしっかり盛り込んだことと比較すれば、GHQの言われるがままに作って(作らされて)しまった日本の憲法が「戦争放棄」だぞ~なんて、とても世界に対して自慢できることでないことも同時にわかってしまったわけですね。


169:ままりん :2020/05/07 (Thu) 00:09:28
>>160 mespesadoさま

>ここでおっしゃっている「野党」というのは、その前に「全世界で武器を
>放棄しよう、というのは…」と書いておられることから、日本が憲法で武力
>>を放棄すると書いているから、そのとおり解釈して、今の憲法のままでいい、
>という主張をしている野党のことでしょうか?

いえ、mespesadoさまの >>144

>つまり、何が言いたいかというと、かつての「自国防衛に特化された自衛
>隊さえも違憲だ」と主張していた野党の主張も、逆に「軍隊を持ち戦争放棄
>の第2項を削除しないと国防ができない」という保守層の主張もまた「大い
>なる誤解だ」ということだ。

に出ていた「野党」のつもりでした。おっしゃるとおりで
「じゃあ、日本を守るのもダメってことね」となり、話になりません。
というか、何故こういう主張をするのかと考えたとき、とても日本人の考えとは
自分は思えません。

>問題は、憲法9条の英文にある forces という言葉です↓
>
>>land, sea, and air forces, as well as other war potential,
>>will never be maintained
>
>この force(s) とうのは、国連憲章の中の
>
>All Members shall refrain in their international relations from
>the threat or use of force against the territorial integrity or
>political independence of any state
>
>の force と同じで、日本語に訳すなら「武力」でしょう。

恐れながら、「武力」と訳すのは文法的に間違いです。9条のはland, sea, and air
forcesと複数形で使っていますが、複数形ということから、書き手は
「数えられる名詞のつもりで自分は言っています」ということがわかり、
「軍隊」という、一、二と数えられる実体のあるものを指していることがわかります。
「武力」という意味ですと抽象名詞になりますから、複数形で使うことは
できないのです。

ただ、抽象的な意味を表わす名詞であっても、種類を表わす場合は
複数形で使う場合もあるし、「翻訳」となると違います。翻訳は、「内容的に」
何を指しているかわかることが一番大事であり、文脈からそれが「武力」を指していることが
明白なのであれば「武力」で良いです。あたくしは憲法制定の背景など
全然ワケワカメですから、mespesadoさまが「武力」とおっしゃるなら
「武力」なんだなと思います。

結局「武力」で良いのだと思いますが、しつこいようで恐縮ですが
一応、基本的なとこなので誤解があるといけないと思いまして。
あと、違う文書の文脈を別の文書の中で受けるというのは、
自分はちょっと違和感があります・・・。

>さて、ままりんさんは、安倍さんの加憲に賛成なのか、もっと強硬派の保
>守みたいに第2項は削除して自衛隊も「国防軍」と解明すべきと考えている
>のかはわかりませんが、私は「国防軍」創設には反対です。それは前にも言
>ったかもしれませんが、「言霊思想」によります。
> 日本はもともと島国で他国から侵略を受けにくかった。そのため「戦争に
>は慣れていない」。ここで「慣れて」というのは民族レベルのDNAに刻み
>込まれている、くらいの意味です。そうすると明治維新による富国強兵は何
>だったのか。私は、この日本軍結成から第二次大戦の敗戦までは、日本人が
>かなり「無理をした」時代じゃないかと思っています。

やはり「軍」の字なのかな、合いませんよね。

『日本はもともと島国で他国から侵略を受けにくかった。
そのため「戦争には慣れていない」。』は、それは確かにそう思うんですが、
ただ、そういう事、いっていられませんよね・・・。

>ままりんさん、どうもありがとう。

いえいえこちらこそ、読んでまた鱗が落ちました。
ありがとうございました <(_ _)>。

173:mespesado :2020/05/07 (Thu) 06:16:35
>>169

> 恐れながら、「武力」と訳すのは文法的に間違いです。9条のはland,
> sea, and air forcesと複数形で使っていますが、複数形ということから、
> 書き手は「数えられる名詞のつもりで自分は言っています」ということ
> がわかり、「軍隊」という、一、二と数えられる実体のあるものを指し
> ていることがわかります。

 ご指摘ありがとうございます。言われて見れば確かにそのとおりですね。
 air や ground や sea それぞれの force なので、「軍隊」あるいは「武力集団」のことですね。
 でも、force という、本来は「力」を表す単語の、別概念への「流用」ですから、その別概念とは、やはりこの9条が作られた時点で実際に「存在」している概念を指すはずであり、当時は「武力集団」と言えば「軍隊」しか無かったんだから「軍隊」のことを指すのであって、決して当時まだ存在していなかったはずの「自衛隊」のことを指すつもりはなかったはずです。
 で、そうなると、その次に as well as に続いて書かれた「other warpotential」というのが当時としては多分GHQによるダメ押しになっていて、「今までの軍隊ではないよ~というタテマエで実質的に軍隊であるようなものを作って全然違う組織を作るのも禁止する!」という趣旨なんだと思います。だって、今の官僚たちもよくやりますよね。〇〇を法律で禁止したけれども、本当は禁止されて欲しくない集団が名前と大義名分だけ変えて、実質〇〇と同じ機能のモノを作っちゃうの。多分GHQも日本の官僚は特にその辺がシタタカなのをわかっていたから、こういう抜け道を防ぐ一文を追加したのでしょう。
 そうすると、自衛のための組織を改めて作るにあたって、それが otherwar potential と見做されないようにするのに腐心したのでしょう。自衛隊もいきなり「自衛隊」ではなく当初は「警察予備隊」の名で発足したのもその表れでしょう。英語で Self-Defence Force と、単に Defence だけじゃなくて Self- まで付けて帰納を限定したのもそういう趣旨だったんでしょうね。

> 『日本はもともと島国で他国から侵略を受けにくかった。
> そのため「戦争には慣れていない」。』は、それは確かにそう思うんですが、
> ただ、そういう事、いっていられませんよね・・・。

 ここで私が言ったのは、日本人の民族のDNAとして、という事実を言っただけで、「だから戦争についてタブーにすべきだ」というような主張をしているのではない、ということです。戦後しばらく、高度成長期の終わりごろまでの国民の自衛隊アレルギーの原因もこの民族DNAのせいだろうと思いますが、実際にそういう武力組織が必要かどうかという話はこれとは全く別です。必要なら造らなければならないし、国民にアレルギーがあるのなら、そのアレルギーが妨害にならないようにうまく国民を「いなして」造らなければならない、というだけの話です。まあ、今はさすがにそんなアレルギーは無いようですが。ですが、逆の「(口だけ)勇ましい」意見が一部の保守の間に見られるのは問題ですが。大切なのは「勇ましさ」ではなくて「冷静な判断力」と「実際の能力」です。
 最後に一言。
 ままりんさんのおっしゃる「野党」って

> 「自国防衛に特化された自衛隊さえも違憲だ」と主張していた野党

のことでしたか。この件に関して、昔の国民は自衛隊に対しても「あんなの事実上軍隊でしょう、あーやだやだ」などと、とにかく「軍事」について、口に出すのも忌まわしい、みたいな雰囲気が蔓延してましたよね。そんな中で、野党つまり今の目で見たら明らかなサヨクって、当時の知識人もサヨクであることが必須条件みたいな雰囲気でしたから、こういう野党の「自衛隊も反対!」っていう意見は当時のインテリ的な(当時はインテリって知的レベルの高い、庶民の気持ちを代弁してる人たちっていう肯定的な目で見られてましたよね)意見に合致してるから、単に「野党は正論を言っている庶民の味方だな。それに引き換え与党自民党は戦前威張っていたブルジョワのお仲間でけしからん奴らだ」くらいに考えていた。
 今にして思えば、当時から中共は日本に工作し放題で、日本の世論を「親中」と「反戦」、ただしこの「反戦」という言葉も彼らの戦略による欺瞞で、実際は「反自衛力」のことで、とにかく日本に自衛力も持たせたくなかったわけで、当時の野党にも相当数の中共の工作員である今の言葉で言う「媚中」勢力が党を牛耳っていたことは間違いない。今にして思えば、高度成長で世の中は浮かれていたけど、本当に悪だくみなヤツらの工作に全然気が付かなかったお目出たい時代だった、といえるでしょうね。今の時代の野党って、もう若い世代を中心にそんな工作にとっくに気づいているのにまだ目と耳を塞いで昔のイデオロギーに執着する団塊の世代の指示に縋っているだけの、哀れな存在でしかないですね。だからこんな野党は全然無視でよい。それよりも、これからはむしろ自民党内の獅子身中の虫である「媚中」勢力にこそ用心しなければいけないと思います。

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