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「トラオの夢〜病院王・徳田虎雄とその時代〜」 [徳田虎雄]

「トラオの夢〜病院王・徳田虎雄とその時代〜」を観た。鹿児島テレビ制作で今年度のFNSドキュメンタリー大賞作品。
エピローグ、「トラオはいま、いったい何を思うか?」の問いに、徳田夫人、盛岡正博氏、能宗克行氏がそれぞれ答えている。わたしの知る限り、トラオを語るにはこれ以上ない3人だ。この3人を主軸に据えたことがこの番組成功の決め手であったと思う。この3人、それぞれの立ち位置はちがうが、トラオに対して3人ともフラット、というか、上からでもなく下からでもなく見れる。徳田夫人にしても、他人を見るようにトラオに対している。能宗氏は、一旦突き放した上でトラオを評価する。中でも、盛岡氏の答えが心に残った。《ちょっと変な表現ですけど、善の方の何かというか、まあ創造主といってもいいですけど、神様といってもいいんでしょうけど、それと会話するような心境にいっているのか、それとも、実はもう完全にそういうことも捨てちゃっているのか、というのは、わからないですね。》たしかに、私にも、「わからない」。先ずは前者と思いつつ、後者も、「そうかもしれない」と思ってしまう。そもそも、トラオにとって自分以外に「神」など在ったのかどうか。
子供時代の同級生の言葉、「ケンカは強いが友達はいなかった」。そのトラオに「友達」として最も近づいていたのが盛岡氏であったように思うがどうだろうか。神になりたかった男 徳田虎雄』を読んでも思ったことだ。その盛岡氏をしてトラオから離させることになったのが、盛岡氏の弟の死の瀬戸際にあって、それを見守る近親者に平然と「国会議員」の名刺を配るトラオの振る舞いであったと、番組は言う。B型トラオには大事なところが抜けている。たしかにそうなのだ。雲井龍雄でも思うのだが、生き身の人間同士、とてもつきあいきれぬ面をお互い晒し合いながら生きている。それがあたりまえのことだ。そうありつつ、そこで何かを成し遂げる人は成し遂げる。吉本が娘との対談で語ったのを思い起こす。≪・・・残念なことに、どうも俺は鷗外・漱石に比べたら平凡な物書きに終わりそうだな・・・傍から見ても、そばへ寄って話を聞いても、「このうちは本当にいいな。いい夫婦だな。子供もいいな」という家庭を目的として、それで一生終わりにできたら、それはもう立派なことであって、文句なしですよ。・・・それ以上のことはないんです。・・・それがいかに大切で、素晴らしいことかというのは、僕ぐらい歳をとれば、わかりますよ。・・・一生を生きるというのは、結局、そういうこと以外に何もないんだと思います。それだけは間違いないことだから。(2010.6.4)≫https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2012-04-08ということだった。しかし、その吉本のおかげを蒙った人は、を含め数多あるにちがいない。その時代に在っては、鴎外、漱石以上であった。
トラオはといえば、間違いなく、トラオが変えた二つのことがある。一つは「24時間医療体制」をあたりまえにしたこと。もうひとつは、それまで常識のように思われていた「医者への贈り物」を非常識にしたこと。https://oshosina.blog.ss-blog.jp/2013-09-23この2点によってどれだけ多くの人が、命が救われたことか。トラオがいなければいったいだれが為し得ただろうか。今ではあたりまえのことになっていることも、そうなるためには人物が必要なのだ。須藤永次が、日本の住まいを「燃えない住宅」に変えたのと似ている。
2チャンネルの「ログ速」を観た→https://www.logsoku.com/r/2ch.sc/livecx/1570039080/ トラオを世間はどう見ているかがわかる。「功罪相半ば」「毀誉褒貶の激しい人」、この番組もそこに立ちつつ、最後はトラオをまっとうに評価して終わる。だから、後味はいい。見終えて思ったのは、私だったらトラオをどう描くだろうか、ということだった。とはいえ、私にとっては、まだまだ「徳田さん」である。徳田さんは今もがんばって、徳田さんでありつづけている。(→https://oshosina.blog.ss-blog.jp/archive/c2302707714-1
徳田さんと高岡家のコピー.jpg

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